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輪廻する一輪の花  作者: 零夜 純
第一章 日常は儚く脆く 前編
11/11

9 決別と覚悟

  嫌な、夢を見た。

 とても、悲しく。

 とても、信じがたい夢。

 懐かしさと、悔しさと、愛おしさに身を焼かれるような、夢。

 見なければ、良かった。

 知らなければ、ずっと幸せに暮らせたかもしれない。


 ……でも、今ならわかる。

 あの夢に起こったことは、全て真実だと。

 炎の中を、姉と一緒に逃げ回り。

 姉と別れ、気を失うまでの記憶。

 あのいけ好かない男が、ちゃんと約束(・・)を守っていたこともわかった。

 致死の傷を負っていた姉とも、再会できたし。

 それに。

 それに……。


 「く、そっ……」


 握った拳を、寝ころんだまま床にたたきつける。

 どん、という音とともに鈍い衝撃が手を襲う。


 僕は約束通り(・・・・)、無事に生きることが出来た。

 姉のことなど、忘れて。

 運よく(・・・)生き残った、炎の夜唯一(・・)の生き残りとして。

 そして、今回も。

 姉を犠牲に、一人むざむざと生き残ってしまった。

 生き残るべきは、姉の方だったのに。

 二度も姉に助けられ、生きながらえている。


 薄暗い天井を見上げたまま、いくつもの後悔を重ねる。

 あの時、ああしていれば。

 あの時、姉が僕を庇っていなければ。

 ――あの時、俺なんかいなければ。


 しかしどんなに自責の念が己の身を穿とうとも、過去は変えられない。

 一度死んでしまったものは、生き返ることはない。

 だから、前を見るしかない。

 今の俺にするべきなのは、過ぎ去ってしまったことを振り返ることではない。


 『私のことは、忘れて』


 過去と、同じ過ちを繰り返さないようにすることだ。

 ――だからこそ、俺は。


 「よう立花。目覚めはどうだい?」

 立花が起きたことに気付いたのだろう。

 ドアを開け、顔をのぞかせた晃が答えを予測しているかのようにタオルを投げてくる。


 僅か数週間前。

 いつもとは違う夢を見た時と、同じ光景。

 見えてるものは同じでも、感じるものは大きく変わる。

 晃の、気遣うような行動。それでいて、どこか突き放すような態度。

 そのすべてに、一本の筋が通っているように見える。


 放物線を描くタオルを片手で受け止め、布団から立ち上がる。

 睡眠をとった直後なのに、心身ともに疲れ果てた。

 それでも、笑顔だけはなんとか作って見せよう。


 「最高だよ。生まれ変わったみたいだ」


 その答えに晃は苦笑し、部屋を出ていく。

 「まずはシャワー浴びてこい。そのあとに全部話してやる」

 晃も、立花がどんな気持ちなのかはわかっているだろう。

 だが何も言わずそっと場を離れる彼に、心の中で軽く感謝する。

 そして、立花は暗い部屋の中で立ち上がり。

 明るい場所へと歩き出す。


 ――だからこそ、俺は。

 ――葵姉さんのことは、心の中にしまおう。

 ――深く、深く。深奥の、そのまた奥へ。

 ――しっかりと、二度と開いてしまわぬように鍵をかける。

 ――前を見て、歩くために。


 ――もう誰にも守られる必要がないくらい、強くなるために。



 「さて、何から話そうか」


 烏の行水が如くさっさと風呂から上がった立花は、いつも通りだらしなく座った晃の対面に座る。

 外は雨が降っているのか、雨粒が窓を打つ音がカーテンの様に二人だけを隔絶する。

 カッチ、カッチと時を刻む音が反対側から響き、雨に吸い込まれては消えていく。


 「全部、だ」

 ややあって、何をいまさらという風に立花は答える。

 晃は、この数年間彼女(・・)を隠していたのだ。

 これ以上、何を隠すというのか。


 「いや、もちろん全部話すつもりなんだが……いささか多すぎてな。話す順番はお前が決めてくれ」

 頭を軽く掻きながら、立花の方を見る。


 のらりくらりと追及を避けようとしているように見えた立花は、情報を一片たりとも残さず吐き出させてやると晃を睨む。

 「じゃあまずは、晃。お前は、一体何者なんだ?」


 「神だ……と言ったら、信じるか?」

 「……なら、お前が作った運命を呪うだけだ」

 「怖い怖い、冗談だよ」

 それに神は俺らの敵だしね、と呟く晃。


 「ん、じゃあ改めて。俺は『選ばれし者』、もしくは『魂削りの道化(ジョーカー)』と呼ばれているやつらの一人だ」

 「……」

 「おっと、睨むなよ。今度は別に適当なほら吹いてるわけじゃないぞ。それに」

 ビッ、と晃は立花を指さす。

 「お前も、な」

 「え……?」


 「さて、説明してやろう。それぞれ二つとは、何かを」

 疑問を挟む前に、晃は大仰な手振りで続ける。

 「『選ばれし者』とは、文字通りあるものに選ばれ異能(オーバー)を手にした者……つまり、立花と俺も含まれる」

 異能(オーバー)。初めて聞いた言葉だが、しっくりくる部分もある。

 立花は自分の右腕を持ち上げ、手の甲を見つめる。

 あの時、立花が操った力。

 あれが、異能(オーバー)なのだろう。


 「『選ばれし者』は、必ず自分の異能(オーバー)を使う際体のどこかにその力の形態を象った紋章が浮かび上がる。たとえば、俺の場合はこれだ」

 晃は右手につけた皮手袋を外し、手の甲を下にして机の上に出す。

 外出するときは、いつもこの手袋をつけていたからだろう、日焼けやほくろ一つない白い肌。

 何をするのだろう、と立花は見守るなか晃は口を開く。


 『我、力を求める者。夜風に煌めくその刃で、夢を切り裂け――神威』


 呪文のような文言を、静かな口調で唱える晃。

 そして――その瞬間。

 青白い光が晃の体から湧き上がり、手のひらへ収縮していく。

 黒い狂犬と、彼女(・・)が死んだ時と同じ光。

 下へ向けた手のひらに集まり、凝縮していくそれは、やがて一本の刀を形作る。

 炎の夜、そして昨日見たあの白銀の刀。

 握られた柄は黒色で、鈍く光を反射している。

 (つば)には何か雷のような装飾が施されており、これもまた深い黒に染められている。

 そして何よりも、蛍光灯のわずかな明かりすら跳ね返す、眩いほどの刀身。

 剥き出しの状態のまま出現したそれは、刃を晃自身の方へ向け煌めく。

 新品同様のような光を放つそれは、晃の手の中で己を誇示する。

 あれらは幻でもなんでもなく、本当に晃のものなのだと証明するように、彼の手の中で輝いている。

 同時に、その刀を掴んだ彼の右手にも、わずかな明かりが灯る。

 一本の刀が、天を貫くような刻印。

 青く光るそれは、白銀の刀と混じり合い独特な光景を幻想させる。


 「これが、俺の異能(オーバー)。神威、っていう名前だ」

 そう言って彼は力を抜き、早々に刀を消滅させる。

 「一人につき、原則一つの異能が与えられる。お前にも、お前特有の異能(オーバー)が備わっているはずだ」

 俺のは多分、風を操る能力なのだろう。

 立花はあの時の高揚した気分を思い出し、無意識のうちに右こぶしを何度も開閉させる。


 「そして、俺ら『選ばれし者』の使命は……まぁ、あいつらを見た立花ならもうわかるよな」

 「……あぁ、あれを殺すことだな」

 あれ。つまりは異形の化け物。

 立花の悪夢の始まりにして、なお苦しめ続ける元凶。


 「そう、正解。おれたちは、あいつら魔獣(イーター)を狩る正義の味方、ってわけさ」

 正義の味方、か。

 いつかそんなものを夢見た時代もあったのかな、と立花は独り()ちる。


 「さて、そんな便利な能力を得た俺らは、『選ばれし者』と呼ばれ一般人とは比べ物にならないほどの力を得る。まさに選ばれし(・・・・)、なわけだ。だがしかし、数多く存在するこの『選ばれし者』の中で、知られていない情報が一つある」

 人差し指を立て、立花に言い聞かせるように見つめる。


 「俺らの持つこの異能(オーバー)はな……使い手の()を媒体に、発動するんだよ」


 「なっ……!?」

 驚きを口にし、固まる立花。

 だがしかし、思い当たる節はある。

 昨日の夜、風を操り敵を攻撃していた時。

 突然体を襲った、異変。


 「そうだよ、あれも異能(オーバー)を使いすぎた反動だ。……まぁお前の場合使い始めてすぐだったから体が勝手にリミットをかけただけなんだがな」

 「……でも、だとすると」

 晃は、俺たちの役目は魔獣(イーター)を殺すことだと言う。

 だが、俺たちは異能を使うたびに自分たちの寿命は削れていく。

 『選ばれし者』が人を助ける度に、彼らは死へと近づいていく。

 そんなの、彼女(・・)がしていたことと同じじゃないか。


 「そう、だからこれを知ってるやつらは俺たちを『選ばれし者』じゃなくて、『魂削りの道化(ジョーカー)』って呼ぶ。自己犠牲の精神なんて、まさしく道化だしな」

 立花の表情から何を考えているのか察した彼は、そう言って笑う。


 「お前……」

 彼女(・・)の行動を、侮辱された。

 立花は立ち上がるが。続く晃の言葉に、勢いをそがれる。


 「だけどその道化によって、俺ら(・・)は生きながらえてるんだよ。だから俺はこの呼び名を甘んじて受け入れている」

 俺ら。晃にも、過去にそういった経験があったのだろうか。

 「……」

 立花は無言で怒りを納め、次を促す。


 「じゃあ、『魂削りの道化(ジョーカー)』ってのは、後天的なものなのか?それとも……」

 選ばれし者という響きから、先天的な印象の方が強いように思われる。

 本当にこれが先天的なものなら。

 戦うことが使命なんていう馬鹿げた特性が、炎の夜に巻き込まれた原因なのだとしたら。


 「いや、後天的なものだ」

 晃は、立花の言いかけた言葉を否定する。

 「だが選ばれた基準、いつ選ばれたのか、()が選んでいるのか、などは一切不明だ。俺たちのほとんどは、『魂削りの道化(ジョーカー)』になった時のことを、覚えていない」

 俺もな、と立花に聞こえるように呟く晃。


 「なら、今世界に何人くらい『魂削りの道化(ジョーカー)』はいるんだ?それに……」

 言葉を切り、わずかにためらう。

 「魔獣(イーター)は、何匹いるんだ?」


 晃の瞳を覗き込むように、言う。

 この争いは、いつ終わるのか。そもそも終わりはあるのか。

 優しさと言う名の塗り固められた嘘はいらない、と訴えかける。

 「……そうだな。両者とも、不明だ」

 不明。

 晃の口ぶりからすると、味方は数人存在するらしいのだが。

 それでも、敵の数は……未知数。

 その中に……炎の夜の、あのレベルの化けものが含まれているのだとすれば。


 「ははは……」

 思わず、渇いた笑いが漏れる。

 こんなの、まさに道化じゃないか。


 「魔獣は、人を喰らう。そしてそれは、世間には決して気付かれない。それはお前も体験しただろ? あの結界を」

 結界……やはりあの閉ざされた空間は、化け物が作っていたのか。

 「そして、魔獣(イーター)は獲物を逃がさず残さず証拠ごと全部喰らう。文字通り全部(・・)その記憶ごとな」

 「……え」

 記憶ごと……とはどういう意味だろう。


 「今まで、散々人が食われてきたのに誘拐事件や行方不明者続出なんてニュースは多くないだろ? これは、その人を丸ごと(・・・)食ってるからだ。そいつが存在した、記録ごとな。だからやつらは人知れず、誰にも邪魔されることなく()にありつける」

 「そんな……」

 「俺らを除いて、な」


 「俺ら『魂削りの道化(ジョーカー)』は、この結界を感じることが出来る。まぁ中に入り込むには、また一工夫必要だがな」

 「なら……」

 「あぁ。だけど、間に合わない時だってある」

 昨日の夜のことを言っているのだろうか。

 少しだけ悔やむ様子を見せる晃。


 「それに、記憶に関してもそうだ。俺たちは、食われた者たちを忘れることはない。彼らは、完全にいなくなるってわけでもないのさ。

 ――それが良いことかどうかは、別としてな」

 時には、忘れた方がいいこともある。

 暗に、彼女(・・)のことを言っているのだろうか。

 それでも俺は、記憶が消されていなくてよかったと思っている。

 彼女(・・)はいつまでも俺の中に、ひっそりと眠っていればいい。


 「……くよくよ言っても仕方ないけどな。んじゃあ次の質問は?」

 「そう、だな……」

 何を聞こうか、悩む。

 一回整理したいところではあるのだが、この機会を逃すともう聞けなくなる気がする。


 「俺の右目は、どうなっているんだ?」

 煙にやられた、俺の右目。

 見た記憶の中にも、右目に異常をきたした瞬間など無かった。


 「……? もっと詳しく説明してくれ」

 初めて、晃は質問に対し首をかしげる。

 そのことを曖昧過ぎて判別が付き辛かっただけだと感じ取った立花は、何の疑問も抱かず説明し続ける。


 「いやだからさ、この右目。俺が悪夢を見たあの日、突然この瞳からノイズみたいなのが響いたんだよ。しかも、なんだか俺一人にしか聞こえてないみたいだし。それに……」

 そういえば、あのサラリーマンは結局喰われてしまったのだろうか。

 今更ながら、立花が遭遇した最初の犠牲者であろう人を思い出す。


 「髑髏が、見えたんだ。それはノイズが聞こえた後に、突然人の頭上に浮かび上がって……」

 浮かび上がって。

 その先を、言えなくなる。

 あの髑髏は、結局何なのだろう。

 本当に、死の宣告のようなものなのだろうか。


 「ノイズ、髑髏か……」

 晃は一方、思案顔で俯いていた。

 「やっぱり、か。これで、やっと……」

 ぼそぼそ呟く晃は、どこか嬉しそうにしている。


 「……で? どうなんだ、この目は」

 あの様子ならば、何か知っているのかもしれない。

 そう思いながら、立花は灰色の瞳を指さす。

 だがしかし、返ってきた答えは。


 「いや、知らない」

 「……嘘付け」

 「正しくは、詳しく()知らないだけどな」

 慌てたように、付け足す晃。


 「多分、それはお前の考えている通りの能力だ。ただ、根本的には異能(オーバー)とは違うみたいだしな。よくわからん」

 「……えー」

 じっとりと、彼の目を見つめる。

 まだ、何か隠していないか。

 「いやいや、知らないもんは知らないって。むしろ俺が知りたいくらいだよ」


 「ならいいけど」

 視線を外し、次の質問を考える。

 「……そういえば、結局最初の質問答えてなくないか?」

 「な、何を」

 「晃、結局誰なんだよお前は。悪い人ではないだろうけど、俺の親戚じゃないことは確かだし」

 「俺は……」

 僅かに言いよどむ。

 「俺は、誰でもないよ。お前と同じ、天涯孤独の身さ。日本を回って魔獣(イーター)退治を続けてたらお前と出会って、放っておけなくなったから一緒に住んでるだけの。

 誰でもない、何でもないやつさ」


 「そっ、か」

 天涯孤独、魔獣(イーター)退治を続けてる。

 それだけで、彼がどうしてこの世界に入り込んだのかがうっすらと察せてしまう。

 おそらくは、彼も。


 「ん、わかった。まぁ晃は晃だよ。誰でもないなんかじゃない、俺の保護者だろ?」

 しんみりとした雰囲気を笑い飛ばすように、立花は言う。

 「そうだな……全く、手のかかる子供だよ」

 「うるせー」


 笑いながら次の質問を考えていると、不意に晃が声を上げる。

 「おっと、もうこんな時間だ」

 指さす方向にある時計を見ると、朝の七時を示している。

 「え、今日なんかあったっけ?」

 身に覚えがない予定に、若干嫌な予感をしつつも聞き返す。


 「あぁ、今日は莉奈と一緒にお出かけだろ?」

 「え」

 「ほら、もうすぐ莉奈が迎えに来るからなー。質問タイムはこれで切り上げかな? 立花は早く準備しなきゃね」

 「な!? ずるいぞ! それに俺はそんな約束してない!」

 「まぁまぁ、またいつでも受け付けてやるからさ。それにほら、レディーのフォローはちゃんとするのが紳士の嗜みだよ?」

 噛みつく立花を見て楽しそうに笑う晃。


 「――でだ、立花。一つだけ、確認したいことがある」

 急に真剣な表情に戻る晃。

 「お、おうなんだよ」

 そのまれにみる真剣な表情と声のトーンに戸惑いながら返す。


 「俺は、お前のこれまでの記憶を自由に消すことが出来る。

 ――これの意味が分かるか?」

 記憶が、消せる。

 つまり、今、聞いたことも。

 昨日、経験したことも。

 五年前のあの日、体験したことも。


 「お前は、今ならまだ戻れる。あれもこれも、悲しいこと、辛いことは全部忘れて『選ばれし者』も『魂削りの道化(ジョーカー)』も魔獣(イーター)異能(オーバー)あいつ(・・・)もなかったことに出来る」

 全部、何もかも。

 夢の中の出来事にしてしまえる。


 「これまで通り、平穏な人生か。それとも、辛く厳しく終わりも救いもない(いばら)の道か」

 晃の真剣な眼差しが、立花を見る。


 「選べ。お前にはその権利がある」


 かち、かち。

 時計の秒針が、虚しく響く。

 選べ。選べ。

 その言葉が、立花の中をぐるぐる回る。


 ――逃げちまえ。

 そう叫ぶ声が、立花の中にはある。


 ――立ち向かえ。

 そう叫ぶ声も、立花の中にはある。


 だが、何をいまさら葛藤する必要がある。

 答えなど、もうとっくに出ているではないか。


 あの気持ちを。

 あの後悔を。

 あの涙を。

 あの約束を。


 ――なかったことになど、出来るはずなんてない。


 「遠慮しとくよ」

 俺は、もう決めたんだ。

 誰にも守られる必要なんてないくらい、強くなるって。

 誰かを守れるくらい、強くなるって。


 「いい答えだ」

 晃は、そう言ってほほ笑む。

 「ようこそ、こちら側(・・・・)へ」


 莉奈の到来を告げる呼び鈴が鳴るのは、それから数分したころだった。



 「どうしたんだろうね、晃さん。急に二人で出かけてきていいよなんて言って」

 雨の中、パシャパシャ音を立てながら歩く莉奈。

 「そう、だね」

 複雑な気分を悟られないように、顔を傘でかくして付いていく。

 「でも、わざわざこんな雨の日じゃなくてもな」

 話をそらすように言う立花。

 昨日の夜から降り始めた雨はなかなかに強く、もうすでにズボンのすそが濡れてしまっているほどだ。


 「えー、でも私は楽しいよ?」

 嬉しそうに、雫が跳ねることもいとわずに雨の中を跳ねる少女。

 「あれ莉奈、晴れの日の方が好きじゃなかったっけ?」

 子供の様にはしゃぐ莉奈をいさめながら、立花は尋ねる。

 「うん、まぁね。でも、私はね」

 くるっ、と傘から雨粒を盛大に飛ばしながら軽快にターンし、立花の方を見る。

 そして、わずかに頬を赤く染めながら笑う。


 「立花と一緒なら、どんな天気でも楽しいから」

 「……恥ずかしいこと言うなよ」

 不意打ち気味に発せられた言葉に、また顔を隠しながら言い返す。


 「えー恥ずかしくなんてないよー本心だもん」

 わーわーはしゃぎながら、先を進んでいく莉奈。

 その様子を微笑ましく眺めていると、不意に彼女は振り返り言う。

 「あ、そうだ! 今度また、ごはん作りに行ってあげる! たまには、女手の料理も食べさせてあげる、だって」


 「立花の周りには、私しか女性がいないからね。私が頑張んなきゃ」


 えっへん。傘を差しながら器用に胸を張る莉奈。

 それと、同時に。

 「……!」

 突風が、立花の傘をさらって行ってしまう。

 雨の重みで舞い上がっていくことはないが、それでも取りに行くのが困難なほど遠くへ飛ばされていってしまう。


 「わっ! 立花、大丈夫!?」

 走り寄ってきた莉奈が、慌てて立花を自分の傘の中に入れる。

 それでもすでに遅かったらしく、滝のような雨を頭からかぶった立花は体中濡れてしまう。


 「あー、どうする……? 一旦帰って出直す?」

 このままじゃ、お出かけは続けられない。

 それとも、やっぱり今日はやめようか。

 けれど、待っても待っても隣にいる立花からは返事が来ない。


 「立花? あ、これハンカチ」

 顔中びしょ濡れになってしまった少年にハンカチを手渡しながら、返事を待つ。

 「さん、きゅ」

 顔を拭いている最中だからか、途切れ途切れの声が漏れてくる。


 「うーん、やっぱりいったん戻るか」

 立花は顔を拭き終わった途端、体ごと来た道へと返す。


 「そう、だね?」

 なぜかこっちを見ようとしない立花を不思議に思いながらも、彼のあとをついていく。

 あれ、なんか嫌われるようなことしちゃったかな?

 そう思いながら、また傘から自ら踏み出そうとする立花に、歩調を合わせる。


 「待ってよ立花、もっとゆっくり歩いてー」

 降りしきる雨の中、少年と少女は隣り合って歩いていく。





 こうして、彼は足を踏み出す。

 守るために。

 強くなるために。

 自分の大切なものを、これ以上壊されないように。

 もう、何も知らなかったあの頃には、戻れない。

 それでも、進むと決めたから。


 彼は、踏み出す。

 すべての始まりとなる、その一歩を。


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