第一章 部長は魔女で魔法少女
「ねぇねぇ、また有名な占い師が人類滅亡するとか予言したらしいよ」
「またかよ、もうそのネタは聞き飽きた」
「今度は全人類病死って占いで、某国で開発! 新種のウィルスの実態! とか放送してたよ」
「その前は超大型爆弾爆発で地表が燃え尽きるだったねー」
翌朝。卍が教室に入ると、クラスメート達が昨晩テレビでやっていた特番の話で盛り上がっていた。
(おかしい。昨日は騒ぎになっていたはずなんだが……)
自分の席に座りながら卍が違和感を感じていると、夏香が教室に入ってきた。
「おはよう……卍」
夏香は普段通りの挨拶をしながら席に着く。
挨拶は普段通りだが、疲れているのか顔色が悪い。
当然といえば当然だ。ここ一週間魅せられている悪夢に加え、銃を持った白装束の集団と怪物に襲われ、友人がアンドロイドだという事実、普通なら現実逃避をするか部屋の片隅でガタガタ震えているだろう。
普段通りに登校できるのは称賛に値する。
夏香は眠いのか、あくびを噛み殺しながら言う。
「昨日、あの後……魔女……じゃない、先輩にあったよ。あと本物の魔法も見せてもらった。卍がビーム? で吹っ飛ばした地面を一瞬で修復したりして凄く驚いたよ」
どうやら上記に加え、まだ色々とあったようだ。椅子に座ったまま上半身だけを振り向かせ、いやはやまいったと夏香が呟く。
「ちょっと待て、法に会ったのか? あの後に?」
「うん、卍が出ていった後に、入れ替わるように出現したよ。本当に神出鬼没だよね」
人類の数パーセントが奇跡的な確立で遭遇するようなモノを一日に何度も経験した男に、もはや驚きという感情は無いのかもしれない。のほほんという擬音が聞こえそうである。
「俺が出ていくタイミングを見計らっていた? くっ、あの女、計りやがったな」
代わりにとでもいうように、卍は音が出るまで歯を食い縛り、低く罵った。
「まぁまぁ結果的にはなにもされなかったし、警察の厄介にもならずに済んだよ。それにあの人、和樹の手当てもしてくれて、眼を覚ました二人に急に倒れたとか適当な説明してくれたりと色々助けてもらったしさ。おかげで昨日は和樹と一緒に普通に帰れたし」
好奇心旺盛なクラスメイト達が教会裏の異変という面白おかしい話題ではなく、昨日やっていた特番の話をしているのは魔女が細工をしたからのようだ。だが、卍の表情は険しい。
「そういう問題ではない、本当になにもされなかったんだろうな?」
「本当になにもされてないよ。なにかされそうになって、失敗したというのが正しいのかな?」
卍が身を乗り出して確認すると、夏香が首を左右に振り、昨晩のことを思い出すように呟いた。
「どういう意味だ?」
「どういうもなにもないさ、そこの男の記憶を弄ろうとして失敗したんだ」
風が吹くように、もしくは瞬間移動でもしたかのように、机の傍に法が立っていた。夏香がビクッと表情を引き攣らせたのに対し、卍は眼を細めて鋭く睨みつけた。
「なぜ夏香を襲った?」
友人を奪われかけ、卍にとっての日常を崩されかけたことに怒っていた。
「襲ってはいない。怖~い記憶を消すために忘却の手助けをしようとしただけさ。その男が忘れる気がちっともなかったから失敗したがな」
卍が法を睨み、法が夏香を睨むという妙なラインができあがる。ラインの終わりである夏香が困ったように卍を見て、視線のトライアングルが完成した。
「とりあえず卍、落ち着こうよ。みんなが驚いてるからさ、ほらほら笑顔笑顔」
「怪物の時のようにまた俺が悪者か。……。もういい、好きにしろ、お前なんて魔女に食べやすい大きさに解体されて、鍋でぐつぐつ煮られればいいんだ」
卍はそっぽを向いて拗ねる。夏香のために怒っても、結局自分が悪者にされるからだ。
「えっと、できれば拗ねてないで先輩と話をしてほしいかな。僕、この人苦
手なんだから、あんまり一対一で話させないでほしい」
顔は笑顔で、されど椅子を後ろに引きながら夏香が懇願する。
どうやら夏香が法を前に平然としているのは、自分は魔女には絶対に敵わないと昨晩の一件で判断を下しているからのようだ。ゆえに、恐れを抱かないのは一種の諦めに近い。
「む? 今、さりげなく予防線を張られたか?」
「魔法少女とか名乗りながら、記憶を奪おうとした前科があるからな」
首を傾げた法に、卍は冷たく言い放った。
「まぁいい、昨日の出来事の詳細を聞こう」
「なんで先輩がその話を聞くんですか? 昨晩の一件で卍側の人間っていうのはわかりましたけど、先輩無関係な上にあんまり関わりたくないような厄介ごとですよねこれ?」
話したくない。というよりは単純な疑問で夏香が聞いた。法の行為は対岸で起きている火事に、岸を渡って飛び込む行為に等しいからだ。
「答えは単純、私がこの街を守る魔法少女だからだ。だから、無関係だが無関係ではない」
「意味がわからないですね。卍、話すの? 僕にはまだ判断材料がないから任せるよ」
当然だと言わんばかりの法に、夏香がハッキリと言って、卍にこの場を託した。
「お前はまだ悪夢を魅せられているのだろう? なら事件は解決どころか、昨日相談を持ちかけてきた時から何も変わってないということだ。それなら専門家に話した方が良い」
嫌々渋々といった重たい口調で、卍は夏香と自分を納得させ、話を始めた。夏香を交え、白装束や怪物、そして事の顛末を手短に法へ話した。話を聞いた後、自称正義の魔法少女は嗤う。
「悪夢の登場人物に似たアンティーク、いや、怪物か……面白いことになっているじゃないか」
「全く面白くないがな。この流れをどう読む?」
「その怪物が無関係という線はまずないな。悪夢とは強制的に魅せる劇のようなモノだ、その中に登場する人物は悪夢を魅せる相手によって決まる。少なくとも面識はあるはずだ」
「しかし、胸の大きさが違ったらしい」
「容姿については変えることができる。だが、顔が似ていたのならモデルにしたのは間違いなくバンが出会った怪物本人か顔が似ている誰かさんだ。ただ、これが何を意味するかは当事者達に確認を取らないとわからない。まぁ、それは後々に考えよう」
そう言って、法が制服のポケットからスッと二枚の紙を取り出し、机の上に並べて広げた。A4サイズの紙だ、卍と夏香が紙を覗き込み、同時に頬を引き攣らせた。
「二人共、私の奇幾何学部に入れ」
命令系である。紙の一番上には、入部申込書と印刷されていた。更に入部希望欄には、しっかりと学校の魔境とされる奇幾何学部の名前が記入されている。残るは名前を書き、担当の教員に提出するだけで入部が受理される。なんという手際の良さ、そして拒否権を許さない満面の笑顔だ。魔女の本性を垣間見た憐れな生贄達は、顔を見合わせ、反抗を試みる。
「待て、どうして俺達が部活に入らないと駄目なんだ?」
まず卍が重い表情で理由を問う。それも当然、出入りしているだけでも嫌な眼を向けられるというのに、本格入部となれば卍と夏香の学生生活は完膚無きまでに破壊されるからだ。
「バンは規約違反の罰則だよ。約束させたのはそっちだろう? 規約を破った者はペナルティを受けると。なにより君にとって、今回の悪夢はいいチャンスのはずだ」
卍は唸って黙る。ここで法と仲違いするより、奇幾何学部に入部する方が得策だと考えたからだ。
「ちょっと待ってよ! 僕が入部する理由ないよね。そもそもサッカー部に入ってるし!」
「君も別に入部を拒否してくれて構わないぞ。私は善意を見せるが押し付けはしない。ただ、この街を守る正義の魔法少女として、困っている君に手を差し出しているだけだ」
同じく夏香も唸って黙る。法が夏香を奇幾何学部に勧誘したのは、正義の魔法少女と自称している以上、奇怪な現象の被害に遭っている一般人に救いの手を差し伸べなければならないからだ。
もっと言えば法自身、夏香に対して何の興味もないだろう。
「正義の魔法少女は自称だ。私のこれは仕事ではなく趣味に近い。よって私は、君を絶対に助けなければならないという義務は無いし、何としてでも奇幾何学部に入部させなければならないという使命も無い。だから、君も自分の意思で判断すれば良い」
法は手を差し出しはするが、自分から掴むことはしない。
「正義の魔法少女とか名乗っておきながら……先輩は自分から助けてくれないんですね」
「無理やり助けるというのは主義ではない。助かるのも助からないのも判断するのは君達だ。その上で助けを請うなら私は助けよう。さぁ、二人共判断してくれ」
二人は石像のように固まり、視線だけで救いだか破滅だかわからない契約書を見下ろす。法の言う通り、入部するのもしないのも二人の自由だ。決定権は二人にある。
「俺は受けよう、ここでお前と敵対するのはリスクが高過ぎる」
「歓迎するぞ、部員二号。それで、そっちはどうする?」
「僕も受けるよ。先輩は苦手だけど、卍が信頼しているなら僕も信頼するよ」
「私自身は信頼していない上に、信用じゃないのが心に痛いな。だが、歓迎しよう三号」
これで奇幾何学部に、新たな部員が二人も入ることが決定した。
「入部届けは私が出しておく。本格的な説明と活動は放課後に部室で行おう。今はもう朝礼が始まるからな。ああ、言うまでもないが……逃げたら呪うぞ」
言葉の最後にハートマークがつきそうな甘い声と笑顔で言うが、眼が本気だった。魔女は満足そうに立ち去る。ルンルン気分の魔女に、教室内が不吉の予兆とざわめく。残された二人は重い溜息を吐いた後、まだ朝なのにドッと疲れた表情で顔を見合わせる。
「夏香、サッカー部はどうするんだ? 掛け持ちするのか?」
「そのつもりだよ。せっかく一年間頑張ったんだから、ここでやめるなんてもったいない」
「なにがもったいないかはわからんが、頑張れ」
「ありがと。あ、参考程度に聞いておきたいんだけど、奇幾何学部って普段なにしてるの?」
「法が言った通り、お前のような者が現れた時の救済だ。他には七不思議の幾何学的な解明が主な活動だな。それをどのようにして行っているかまでは知らない」
「だけど、信頼はしてるんだね。ちゃんと人助けとかしてることとか信じているし」
具体的に、法が何をしているかはわからない。だが、その言葉に偽りは無く、ちゃんと人助けを行っている。そんな確証を持っているように、夏香には聞こえたらしい。
「……。そうだな、アレは嘘を言ったり騙したりはするが、狂ってはいない」
「ハッキリしない人なんだね。ああ、そういう人だね確かに……見るだけで判断できたよ」
夏香の中で、法はハッキリしない人間だと判断されたようだ。眉を潜める友人を意外そうな眼で見ながら、卍は今日から始まるであろう新たな日常に、複雑な表情を浮かべた。