第一章 僕と友人と怪物と(前編)
「っ……あの大きさを造るのは骨が折れますね」
息を整えるように呼吸を繰り返しながら、怪物は愚痴る。土煙を上げながら今まさに獲物に食らいつこうとする大蛇は、彼女にとって来るべき時のために備えていた切り札だ。
それゆえに、使用には多大なリスクがある。実は毅然とした態度で仁王立ちする怪物に、余力はもうない。もはや腕一本動かすことすら億劫な状態だ。だからこその切り札であり、彼女にとって必殺の一撃であらなければならないモノだ。
だから、怪物は眼の前で起きた現象に対して、何の反応もできなかった。いや、できなくて当然だ。いくら怪物でも、光速で飛ぶものは視認できない。
大蛇の体に穴が空く。土煙が上がっているからこそ視える白い一筋の光が大蛇の身体を貫き、拡散することなく一直線に怪物の十数メートル横を通過した。
矢のように、流星のように走る光。現実に理論は完成されど、未だ兵器として発展途上にある。その名は『レーザー』。光速で走り、接触したモノを溶解する光学兵器だ。
超至近距離でレーザーに貫かれた大蛇は体を縦に溶断され、姿を霧散させた。自然、怪物の眼には左眼から光を放つ卍の姿が映る。
言葉より確かな物証、これで彼女は卍の言論を認めざるを得なくなった。
卍のように小さな眼球から瞬時に高出力のレーザーを放つ。そんな技術は世界のどこを探してもない。
あるならば、それは遠い未来だ。無限の可能性を秘めた、いつかは辿りつく理想の世界だ。
レーザーの光は空の彼方へ消えていった。怪物が今起きた現象を思考しようとした瞬間、爆風に跳ね飛ばされ、宙を舞った。レーザーの余波によって吹き飛ばされた地面と風が遅れてやってきたのだ。
体力やその他の力を使い果たしていた怪物は、避けることも防ぐこともできずに、津波のように迫る衝撃波に吹き飛ばされた。
そして、地面に激突して気を失った。
★
レーザーの照射時間は五秒だった。それが発射台である卍の眼球や頭蓋骨が熱に耐えられる限界時間だ。それでも文字通り眼球の水分が沸騰し、左眼から白煙を噴き出している。
「卍、それ平気なの? 眼から煙が出てるけど、というかビームって……えぇ!」
「予備の眼球と取り換えれば大丈夫だ。ただ、今は左眼が視えないな。あとビームじゃなくてレーザーだ。そんなことより」
眼に見える脅威が去ったせいか、饒舌になる夏香に答える。
怪物が気を失ったことで眼下に広がっていた闇は消え、レーザーに裂かれた大地が視えた。レーザーの照射跡さえなければ、この墓地に現れた異変は消え去ったことになる。
ドレスを身に纏った外見は少女で中身は化け物なモノを残して。怪物の身体は無傷……とはいかないまでも、かすり傷程度の怪我しか負っていない。 だが、気を失っているという隙だらけな状態だ。
卍は怪物の傍まで移動し、無防備なその姿を見下ろす。
「さて、どうする? ここでやっておかないとまた襲われるぞ」
「やらないに決まってるでしょ、それ聞くまでもないことだよ。僕は無傷で、この女生徒も生きている。それに和樹の居場所も聞かないとならない、なにより」
アッサリと恐怖から立ち直った夏香は、真っ先に女生徒の安否を確認していた。
「そんなことして後ろめたい人生を送りたくないし、友達にそんなことさせたくない」
少しだけ怒ったような声だった。眼に見える誰かを犠牲にして、お気楽な人生を送れるほど図太い神経の持ち主はそうそういない。なのに、卍は夏香を助けるためとはいえ、半ば無理やりに共有させようとした。
「すまん、今のは失言だ。自分のことしか考えていなかった」
「うん、そういうことは言わないでほしい。けど、ありがと。気持ちだけは嬉しいよ」
笑って許した夏香が怪物の傍に来て膝を付く。その隣に付き添うように卍は立つ。
「で、どうするんだ? わかっていると思うが、俺はロクな提案を出さないぞ?」
「うーん、とりあえず話してみる。もしかしたらいい人かもしれないし」
自分を襲った怪物に対してこの感想である。軽い眩暈を感じるように、卍は額に手を付く。
夏香があまりにも早く立ち直れたのは、眼の前で気絶する少女が話せばわかる人物だと思っているからのようだ。むしろ彼にとっては、話なんて全く通じず敵意しか向けてこなかった先程の白装束の集団や、大蛇の方が恐ろしい存在なのかもしれない。
「人を襲う怪物がいいヤツなわけあるか。夏香、お前は拒絶することを覚えろ。なんでもかんでも許容していたら、気付かぬ内に毒を呑むぞ」
「別に何でもかんでも許容してないよ、僕はそんなイエスマンじゃない。ただ、話もしてないのに決め付けて、どうこうするのが嫌なだけだよ。だから、慎重と言ってくれ」
「物は言いよう、それは詭弁だ。そして慎重も度が過ぎるといつか追い込まれるぞ」
二人の言い合う言葉が耳に届いたか、怪物が身じろぎをした後に眼を覚ました。その黒い大きな瞳が夏香、そして卍の姿を捉え、落胆の色を示した。
「……私、負けたんですね。ですが、それなら腕の一本でももぎとっておかなければ……この腕がまたあなた達を襲いますよ」
だが、そんなか弱い表情は一瞬だった。アッサリと敗北を認めてから、この現状で一切の恐れもなく反抗の意思を示した。卍は腕を掲げ、攻撃の意思を示す。
「まった! もしくはタイム! 僕は『まだ』君に何もしないからちょっと話そうよ!」
しかし、争いごとを一ミリも望んでいない夏香が間に割り込み、手を左右に振る。
「私はあなたを襲いました。なら、停戦する理由は無いと思いますが?」
「理由は必要だけど、絶対理由がないと駄目ってことじゃないだろ? そこに倒れてる女の子と僕の知り合いはどう思うかわからないけど、僕はまだ何もしない、君から聞きたいことを聞いてから判断する。その上で、そういう答えだったら……僕も何かするよ」
常識的に考えて、自らを襲った怪物が友好的な態度を取るとは思えない。
なので、卍は夏香の背後から怪物に睨みを利かせている。
だが、眼の前の友人は怪物が友好的では無いと決めつけるにはまだ早いと思っている。
それは優しさから来るものではない、結果次第では夏香も行動に出ると言っているのだから『慎重に判断』をしているだけに過ぎない。
(怪物は友好的である、怪物は友好的ではない。矛盾した二つの答えを一端許容して話をする。それは、ある種ありえない思考回路であることを理解しているか? 現在の可能性として、怪物は友好的ではない可能性が群を抜いて高い。反論である怪物は友好的である可能性を選ぶのはただの物好きだ。なにより前者ならお前は襲われるかもしれないんだぞ)
二つの可能性を同価値として今夏香は話している。そのことに、卍は不安を感じていた。
「……どうして、ですか?」
不安を感じる卍とは違い、怪物は戸惑いを感じている表情だ。今の状況は狩ろうとした獲物に返り討ちに遭い、普通なら問答無用でトドメを刺される所を、相手が立ち止まって話し合いを望んでいる。
そう言ったところだ。怪しむなと言う方が難しい。
「理由としてはそうだね。あの白い服着て銃を持った連中から助けてくれたことが引っ掛かった。それと、そこに倒れている子が気を失っているだけなことも」
「獲物を横取りされるのが気にくわなかっただけです、勘違いしないでください」
警戒を露わに、怪物が夏香をキッと睨み据える。
「それなら僕が撃たれた後でもよかったでしょ? わざわざ仮面まで付けて、連中に真っ向から立ち向かう必要が無い。僕と卍が君の姿を見たから、こうして襲って来たんだから」
夏香は怯えた表情を見せない。
「それは、あの程度の連中、余裕で蹴散らせたからであって……」
「そもそも襲う人間は一度に二人だけなんでしょ? だったら三人目である僕はそのまま放置してれば良かったじゃん。それが賢い選択だと思うけど?」
「賢い選択と狩り人としてのプライドは別問題です。……もしここで見逃しても、私は力を取り戻りさえすれば、あなた達をまた襲いますよ」
突き放すように、そして脅しも加えて怪物が言うが、言われた本人はどこ吹く風で、
「うーん、非効率な部分が多くて納得いかない。それにさっき卍と戦っているのを見たら、君は一秒とかからず僕の存在を消せたはずでしょ? でも、十分に時間があったにも関わらず、卍が横槍を入れるまで、君は僕の身動きを止める以外なにもしなかった。その理由がわからない。この理由がわかるまで、君がいい人である可能性を捨てきれないよ」
片方の選択肢を捨てきれず、夏香が呟く。一方の卍は話に違和感を感じていた。それを確かめるため、夏香の名前を呼んで視線を合わせ、アイコンタクトを交わす。
「しかし、なんでこんな所にお前の友達は来たんだ?」
「……和樹は突然、この声聞いた事あるとか連呼しながらここに入っていったんだ」
「なるほど、お前がこいつの知り合いを呼び付けたということか」
「そういえば君に呼び止められた時、身体が全然動かなくなったね。和樹もそうなの?」
「そうです。人間程度、言葉一つで容易く操れます。今宵もこんなひと気の無い場所をふらふら歩く無防備な人間を『危言』で呼び寄せたに過ぎません」
怪物がそっぽを向き、馬鹿にするように言う。
煽るような振る舞いには一切反応せず、卍と夏香は顔を見合せていた。
「夏香、お前が見ていた悪夢に出てくる女はこいつだったのか?」
「それがさ、最初見た時は似てたと思ったんだけど……若干この子と違うんだ」
「どこがだ?」
追及すると、夏香が気まずそうに怪物へ視線を向けた。もっと言うと起伏の少ない胴体へ視線を向けた。夏香は酷く困ったような声で答える。
「あー……その、胸がもっと大きかったかな~……四サイズほど……」
「成程、貧乳ではなく巨乳だったと」
小声で言葉尻を濁した夏香に対し、卍はストレートに表現した。怪物が無言で立ち上がり、卍に襲いかかる。ひょいっと身を反らして避ける。