第三章 死者黙言・生者妄言
「夏香、どうしてここに!? いや、それより、その黒いガスに触れるな! 死ぬぞ! 法と一緒にこの屋敷から脱出して、なるべく遠くに逃げろ!」
「大丈夫、近づかないようにしてるから。あと前も言ったと思うけど、逃げるなら卍も一緒にだよ。えっと、説明は省略するけど、とりあえず今から投げるモノをセシアに身に付けさせて!」
「……。わかった、投げてくれ」
夏香を信じ、卍は応じた。すると周囲の黒いガスの中から、布の固まりが飛んできた。
ハンカチだ。中にペンダントが包まれていたらしく、地面にぶつかった衝撃でハンカチから飛び出した。
ペンダントは卍の眼の前に転がり、地面にぶつかった衝撃で留め金が外れ、蓋が開いた。
卍は息を呑む。ペンダントの中には、プリクラサイズの写真が納められていた。今より若いクルトと、セシアがそのまま大人になったような美しい女性が金髪の赤子を優しく抱きしめ、二人揃って幸せそうに笑っている。そこに恨みや怒りはなく、赤子が生まれたことに対する幸福と祝福が感じられた。
「護らないと、大切なモノを……護らないと!」
無意識に卍は呟いていた。この写真を嘘にしてはいけない。護らなければいけない。卍はイザヴェルを操作、周囲の物質を分解、変性、再構築を行い、全身を再構成する。
動力炉を除き、斬り飛ばされ、破壊され、傷ついていた身体が治っていく。
再構成の代償で破損している動力炉に更なる負担がかかる。排熱機構をかねた髪が白から朱に、全身から熱が立ち昇り、周囲の大気を歪ませだす。
卍は立ち上がり、ペンダントを拾って、セシアに近づいていく。
セシアは胸に穴を開けたまま、その穴から黒い液体を流し続けている。その姿が、ずっと泣いているように卍は視えていた。
「君は望まれて生まれてきたんだ。君の両親は、君を抱きしめてこんなに幸せそうに笑っているじゃないか。だから、そのままじゃ駄目だ、泣いてたら駄目だ。戻ってきてくれ、セシア」
卍はセシアの首にペンダントをかけた。直後、穴から流れていた液体が止まる。地面に落ち、気化して周囲に漂っていた全ての細胞がセシアの胸に吸い込まれていった。
細胞が全てセシアの元へ戻った時、胸に開いていた穴は塞がれ、身体がぐらりと揺れて倒れた。
強く抱きしめれば折れてしまいそうな身体を受け止めながら、卍は膝を着く。
(ヨルムンガルドの息の反応消失を確認、イザヴェル自動停止。緊急冷却開始)
ヨルムンガルドの息の消失と、イザヴェルの停止は同時だった。どうやらヨルムンガルドの息の出現と、イザヴェルの発動は同期しているらしい。
抱き寄せたセシアの口からは、僅かに呼吸を行う音が聞こえた。生きている。そのことにホッとして、視線を上げた卍は凍りつく。
クルトが床を這うように移動し、卍の前まで来ていた。
卍は指先一つ動かせない状態だ。今またセシアに攻撃された場合、護ることはできない。
クルトがセシアに手を伸ばす。卍が止めようと口を開いた時、クルトは掠れた声で、
「杏玲、俺を……許して……く……れ……」
妻の名を呼びながら許しを請い、セシアの頬を流れていた涙を指ですくった。直後、血を吐いて倒れた。
クルトの全身にできた紫色の染みは、例えヨルムンガルドの息の活動が停止していようと、身体の大半の機能が圧迫され、機能不全を起こしていることがわかる。
「待て、待ってくれ! 死んだら駄目だ! セシアに殺されたら駄目だ! セシアをこれ以上傷つけないでくれ! 頼む、死ぬな!」
卍の呼びかけにクルトは答えない。亡骸は何も語らない。
「……あんたは最後に妻を視たのか? それともセシアを視たのか?」
救いを求めて卍は訊いた。彼にはわからなかった。クルトがどうしてこんなことをしたのか。本当はセシアをどう思っていたのか。最後に言った言葉は、いったい誰を想って言ったのか。
だが、誰も答えてくれない。残ったのは結果と、胸に走る痛みだけだった。
★
法はエンが入れたお手製の紅茶に口を付け、ふうと一息吐いた。
場所は奇幾何学部の部室であり、日付はツヴァイトの屋敷に襲撃をかけてから、数日が経った日の放課後だ。
「ウェイトレスさーん、私にも紅茶―、砂糖とミルクいっぱいで超甘いのー」
部室の奥に並べられた机の上に乗り、両脚をバタバタさせて朱音が注文する。
「そんな甘い汁は自販機で買うか、カブトムシから別けてもらってください」
真周高校の制服を身に纏い、ティーカップを優雅に傾けながら、エンが注文を切り捨てた。
「それにしても、奇幾何学部も賑やかになりましたねー」
いつもの定位置に座り、スナック菓子を摘まみつつ、のほほんと夏香がコメントする。
「和むな。というか、ティーセットを完備するな。あとお前ら居なくなれ」
中身を飲み干したティーカップをエンに押しつけ、法は指差しながら文句を言う。
「ツヴァイト家の保護下に入りたいと、セシアお嬢様に言ったのは部長ではないですか」
「保護下だと? お前らは単に厄介払いされてここに来たんだろうが」
一言一句力を込め、法は断言した。あの日の後、現頭領を殺したセシアがツヴァイト家の次期頭領となることが決まったが、セシアはまだ若いと判断された。そこでセシアの補佐という名目で本家の老人達が名乗りを上げ、今現在ツヴァイト家では政権争いが勃発していた。
その間、頭領であるセシアと副頭領だったエンは、政権争いに利用ないし邪魔になると判断され、ツヴァイト家から隔離された状態となった。
行き場が無い二人は、朱音をオマケに法の元へとやってきたというわけだ。
「まぁ、それはそれということで。ちゃんと部活のお手伝いもしますから」
セシアとエンは真周高校に入学、元々学生である朱音は以前通りに通学している。
「いいんじゃないですか先輩、人手多い方が楽できますよ」
「三号は黙ってろ。まぁ、セシアとエンはいい、セシアが頭領になった時、たっぷりと礼を貰う。だが、そこのヤンキー勇者をどうして連れてきた? セシアを殺すんじゃないのかそいつ」
「うーん、今はまだ無理かな。アタシの手持ちの武器じゃセシアちゃんを殺し切れない」
あっさりと頭領暗殺の意思を認めたが、エンは表情を変えずに答える。
「なので、セシアお嬢様を殺すまでは、手柄を横取りされないように護ってくれるそうです。今現在、直接護りにつけるのは私だけなので、少しでも戦力が欲しかったためお誘いしました」
「そういうわけで、部長さんよろしくねん」
法は疲れたように息を吐いた。認めたくはないが、諦めるしかない。
「けど、殺しても死なないセシアちゃんをどう殺せばいいのかな~。首を斬り落とせば、あの黒いガス出てこっちが死んじゃうし、止めても蘇生するからふりだしに戻っちゃう」
朱音が楽しそうに暗殺の算段を始める。
「ネックレスを身に付けさせて止めても、制御化に戻った細胞は死に際に発せられた生存本能に従ってセシアを蘇生させるんだよね? ネックレスを身に付けさせたまま殺すのは?」
夏香が普通に会話に加わった。どうやら興味があるようだ。
「黒いガスの出る工程が無くなって、すぐに蘇生されるから無理だろうな。しかし、不老不死に加え、生物の天敵とも言える能力か。今更だが、セシアが七不思議に登録されない理由がわかったよ。悪性腫瘍の怪物なんて今まで見たことも聞いたこともない。彼女は卍と同様に規格外、未来では当たり前のように流行る病であり、まさしく悪性新生物なんだろうな」
法は計画の問題点を指摘し、セシアについての考察を語る。
「盛り上がるのは結構なのですが、せめて私のいないところでしてください」
エンがニコニコとしながら凄む。その威圧に怯むことなく、夏香が思案顔で言った。
「じゃあ、どうしてクルト・ツヴァイトはセシアを殺そうとしたんだろう」
「セシアちゃんを殺そうと思ったからじゃないの? 夏香くん」
朱音が今更何を言っているんだと言い返すが、夏香は首を左右に振った。
「だってクルト・ツヴァイトは、セシアは殺しても殺せないのを知っていたはずでしょ? そんなの殺そうとするだけ無駄じゃないか」
「それでも殺そうとしなければ、妻を死なせた自分自身を許せなかったんじゃないですか?」
エンが動機について話すが、夏香は眉を潜めたままだ。
「何を考えているんだ? 言ってみろ」
法は夏香の考察が気になり、話を促す。
「クルト・ツヴァイトは、セシアを憎んで殺そうとしていたんじゃなくて。セシアを想って殺そうとしていたんじゃないか。そう考えていたんです」
「ほう。そう思ったのは、セシアに見せてもらったペンダントの写真がきっかけか?」
「はい。僕にはあれが、どうしても作り物の笑顔には視えませんでした」
そこに関しては同意見なのか、エンと朱音は黙ったまま話を聞いていた。
「クルトはセシアを愛していた。自分の妻が病魔に侵されながらも繋げた命を大切にしようとしていた。だけど、朱音の一件でセシアの能力について知ってしまった。ここで、もしセシアを憎んでいたなら、その能力のことを周囲に知らせて、周りを敵だらけにして心身ともに追い詰めればいいと思うんです。本当に憎んでいるなら、自分が手を下すその時まで、一片たりとも幸せな生活なんて送らせたくないはず。どうして腹心であり、信用できるエンだけに話をして秘密にしたのか。それは、ひとえにセシアを想っていたからじゃないでしょうか? なら、どうしてセシアを殺そうとしたか。そもそも、殺しても死なないセシアを殺そうとすること自体が不可解です。あの正義感の固まりであるセシアに自分の能力の事を知らせ、一生涯悩ませ苦しませる。殺すことができないなら、そうやって延々追い詰めたほうがいい。殺そうとして失敗する可能性の方が高いなら、それしか復讐する方法はないはずです。だけど、クルトはセシアに能力のことを話さずに殺そうとした。いえ、殺そうとしなければならなかった。先輩、セシアの能力が公表されたらどうなりますか?」
「間違いなく終団には最重要ターゲットとして狙われるだろう。他の怪物やフェイカーからも、保身のために身柄を狙われることになるな」
世界を滅ぼすかもしれない爆弾。そのスイッチを自分の手元に置いておきたいはずだ。
「間違いなく世界中に敵を作るでしょう。その全てからクルトはセシアを護りきれない。盾になることはできますが、いずれ壊れる盾です。それなら自分が敵となり、肉親を殺すという最大の壁を破壊させることで、セシアの強さの糧になることを望んだんじゃないでしょうか?」
セシアはいずれ世界中に敵を作り、心や身体に傷を負うだろう。それに耐えうるだけの精神力を身に付けさせるため、クルトはセシアを殺そうとした。夏香はその可能性を考えていた。
「もしもセシアがクルトを殺せれたらそれでよし。逆に、クルトがセシアを殺しても、たった一人の肉親も殺せない怪物が、世界中を敵に回しても醜い末路を迎えるだけ、それなら自分の手で殺し、地獄の蓋を開ける。そう考えていたんじゃないでしょうか」
他の者に殺されるなら、せめて自分自身の手で葬りたい。クルトはそんなことを考えていたのではないか。様々な可能性を捨てず、寄せ集めた夏香の答えなのだろう。
「……それが君の考えか?」
「はい。本人に確認がとれないので確証ないし、空想の産物的考えで憶測ですけどね。まぁ、どっちでも結果は同じです。セシアは泣いたでしょうし、僕は両方の可能性を許容できない」
夏香が刺々しい口調で吐き捨てた。
法は苦笑し、自分の定位置から夏香の隣に移動して腰を降ろす。肩が僅かに触れる距離だ。
「君の今の話は空想だけの与太話だ。真実味もなければ確証もない、理論も穴だらけで突っつき放題だ。けど、私は好きだな、愛を感じる」
そう言ってほほ笑み、法は夏香の頭を撫でる。彼女なりの励ましであり、報酬だ。
「色々な可能性を、空想を交えた上で考慮しても、こんな可能性しか思いつきませんでした」
夏香は、セシアが傷つかない答えを考えていたようだ。だが、出した結論は変わらない。
「そうか、頑張ったな。だが、それはお節介だ。結局、結論を出すのは君じゃなくてセシアだよ。他人がとやかく言っても、彼女がどう感じたかが大切なんだ。だから、それはここだけの話にしろ。代わりに、私が撫でてやる」
「はい……ありがとうございます先輩」
頷き、気分を変えるように、夏香が一度首を振った。
「もう、この事は過去にして、現在の事を考えます。なので僕、奇幾何学部抜けますね」
夏香の唐突な申し出に、法は噴き出してしまった。
「ぶっ! 君は本当に唐突だな。とはいえ、悪夢は終わったし、君がここにいる理由は無いな」
口を拭い、わざとらしく咳き込んだ後、夏香を撫でるのをやめて、法は顔を背けた。顔を背けたのは、自分がつまらなそうな顔をしていると自覚が有るからだ。
「サッカー部も辞めて、今度は自分の意思で本格的に入部します」
法が驚いて振り向くと、夏香が手を差し出してきた。
「今回の事で決めました。僕、法先輩に惚れました。あなたについて行きます」
「……ああ、君は本当に唐突で、私を驚かせてくれるよ。これからもよろしく頼む、夏香」
二人は握手を交わし、笑みを交わし合った。




