第三章 父の想い
頭をハンマーで殴りつけられたような衝撃に、ぐらりとセシアはふらついた。
「我々の種族は絶滅の危機に瀕している。よって、種の存続は何に変えても継続しなければならない。しかし、今の我が一族に子を産む母はおらず、他所から招き入れることになった。だが、本家の爺共は混血を許さなかった。そこで選んだのが人間だ、彼らの存在は我らより脆く薄い、混ざり合ったとしても腹より生まれるのは怪物の子だ」
人間と怪物から産まれるのは、人間と怪物が半々の存在ではない。人間という因子を食らい尽くし、怪物が生まれる。それはセシアという存在が証明している。
「でも、そのような家の縛りとは別に、父様は母様を愛していたでしょう?」
出会いは家の掟だった。だが、二人は愛し合っていた。セシアは本家の
から聞かされている。だから、眼の前に立つ父親が事件を起こした動機は、自身の伴侶を決め付けられた恨みではない。
「愛していた。だからこそ、産ませたくなかった。人間に怪物は産めない。産んだところで子に全てを持っていかれる。身体も、魂も、全てを」
クルトの妻は、セシアの母親は、この世にはもういない。セシアを産み、数日後に死んだ。
「私は母様の全てを奪って生まれた。あなたが大好きな人を殺して生まれた」
思ったより簡単に、セシアはその事実を口にすることができた。
生まれてから父親とは別の家に住み、顔も合わさず、話もせず、触れあうこともしてこなかった。ただ、自分を産んだことで、父親の最愛の人物が死んだという事実だけは知っていた。
ゆえに、いつかはこうなるだろうと、ある種の予感を抱いていた。
「お前は爺共が望んだ子だ。俺は望んでなどいなかった。お前など、産ませなければよかった」
「……父様は、私を殺したいんですね」
父親の言葉を、娘は引き継いだ。セシアが事件を必死に解決しようとしていたのは、持ち前の正義感だけではない。自分自身が事件の発端を担っている可能性を考えていたからだ。
「お前が憎い。お前を殺したい。お前が娘だという事実を消し去りたい」
覚悟はしていた。こうなる可能性は考えていた。だが、セシアの心は父親の言葉に抉られる。
心のどこかで、セシアは違う理由があるのではないかと可能性に縋っていた。だが、全ては否定され、縋るモノがなくなった。親にさえ、彼女はもう縋れない。
「あなたの行いは間違いです。私個人が狙いならば、私だけを狙えばよかったでしょう。どうして他人を巻き込んだんですか! どうして! こんな卑劣な手段を取ったんですか!」
されど、セシアは自分の心に従い、父親は間違っていると言い切った。
例え自分を憎んでいたとしても、セシアは父親を愛し、誇っていた。ゆえに、彼女は目的が納得できても、手段に納得はしていなかった。
クルトは立ち上がり、答える。
「お前に戦わせるためだ。娘として殺されることなど、俺は認めない。お前の眼の前に立つのは道を妨げる敵だと思え! 俺に怒れ! 父親だと思うな! 敵として戦え!」
セシアに逃れられない理由を与える。父親が娘を殺したのではなく、敵として殺し合ったという題目を付けるために、クルトは他者を巻き込んだ。
「そんな理由であなたは! 恥を知りなさい! この外道!」
ここまでされ、言われた以上、セシアという人物は眼の前の男を敵として視るしかなくなる。
「そうだ、俺はお前を認めない。お前はこの世界にいてはならない。ここで死ねぇ!」
クルトが床を蹴り、正面からセシアに襲いかかる。
セシアは素早く真横に跳躍する。突進をかわし、距離を取るべく壁際まで退いた。そして、直ぐに次の行動へ入ろうとするが、脚に痛みを感じ、姿勢を崩してしまう。捻挫による痛みだ。
(こんな時に……!)
先程走り回った際に熱を帯び、今の急激な動きで痛みがぶり返したようだ。走る痛みを気力で堪えて姿勢を立て直すが、眼の前にクルトが立ち、右拳を振りかぶっていた。
突き出された拳をなんとか両手で受け止め、セシアは腹部目掛けて左足で膝蹴りを放つ。
クルトは左手で蹴りを受け止めて押し返し、防がれた右拳を開いてセシアの左腕を掴む。彼女の軽い身体を引き寄せながら、みぞおちに拳を叩き込んでくる。
セシアは右腕を盾にして拳を防ぐが、次々に打ち込まれる拳を見切ることができず、鉄のように重い拳が数発身体に突き刺さった。
息が詰まり、身体が前に向かって倒れ込む。
だが、クルトは追撃の手を緩めなかった。前に倒れかけたセシアの腹に蹴りを入れ、背後の壁に叩きつけた。そのまま串刺しにするように、腹に脚を押しつけ、潰すように力を込める。
胃の中のモノがせり上がるのを感じながら、セシアは両手を重ねて拳を作り、クルトの脚に振り下ろした。脚による拘束を解きつつ、セシアは肩口からクルトに体当たりする。
全体重をかけた突進は、クルトに裏拳を叩きつけられて軌道を反らされた。更に、擦れ違うように脇を通り抜けた時に、腹部に膝蹴りを入れられた。
拳、そして二度の蹴りを全て同じ場所に叩き込まれ、セシアは膝から崩れ落ちそうになるが、それより早くクルトがセシアの首を掴み、頭上高く持ち上げた。脚が床から離れると共に、首を絞められ、呼吸が苦しくなる。
(やはり……強い……)
ツヴァイト家頭領の名は飾りではない。眼の前の敵は、一つの組織を纏め上げるだけの力を持つ怪物なのだ。力の差は、それこそ大人と子供ほどの開きがある。
実力が、経験が、歩んできた道のりが違う。それを、ほとんど戦闘経験の無いセシアが相手をする。絶望的な経験差は、気合や覚悟だけで埋め切れるモノではない。
「だ……けど! 私は! 負けられない!」
彼女自身の想いは、現実を受け止めなかった。
セシアは身体を反らし、両足でクルトに向かって蹴りを放とうとする。
「そうだ、最後まで抗え。その程度で心を折るな!」
セシアが蹴りを放つ前に、クルトに床に叩きつけられた。
後頭部から床に落とされ、激痛が全身を駆け抜ける。セシアの意識は、そこで一端途切れた。
「お前には、より深い絶望を与えるのだからな」
セシアが意識を取り戻した時、クルトに背後から片腕を取られ、関節を決められていた。更に、頭を掴まれて横に倒されている。身動きを封じられた上に、首筋が剥き出しの状態だ。
「ッ! や、やめて! 父様! それだけは! やめてください! お願いします!」
クルトが何をしようとしているか気付き、セシアは青ざめながら必死に懇願した。
言葉にし、決意しようと所詮は表面だけだ。心の奥底では、セシアはまだ父親を求めてしまっている。それをクルトは全身全霊で拒絶するため、首筋に噛みついた。
「あ……と……う……様」
セシアの首筋から流れる血を、クルトが啜る。吸血だ。力の源となる血を吸われ、身体から力が抜けていく。だが、そのことにセシアは意識を向けられなかった。
ツヴァイト家において、吸血は対象者を家畜と見なす行為だ。対象者を同じ生物だと認めないという証を、クルトはセシアの首に刻みつけた。
セシアの眼から涙がこぼれた。どれだけ傷を負おうと、どれだけ追い詰められようと泣き言さえ言わなかったセシアの心が砕ける。もう戦う力も、心も残っていない。
「ここまでか」
クルトが首筋から口を離し、頭を掴んだ腕に力を込める。首をへし折る気だ。
セシアの細い首がへし折れる間際、部屋の壁の一角に罅が入り、砕けた。




