第二章 血の臭い
卍とセシアは公園で休憩を終えた後、学校に戻る道を並んで歩いていた。
「背負わなくていいのか?」
「さすがに、ずっとおんぶというのは恥ずかしいですから」
卍が気を遣うと、隣を歩いているセシアが恥ずかしさを誤魔化すように淡い笑みを浮かべた。
セシアの捻挫はまだ治っていない。少しだけ足を引き摺るように歩いており、卍は公園を出てからずっと気にしていた。
「バン、あなたに一つだけ私の秘密を教えます」
そのことを視線で悟ったか、話題を変えるようにセシアが言った。
「秘密? なぜ教える?」
「こちらだけあなたの秘密を知っているのは、少しずるいじゃないですか」
セシアがいたずらっぽい笑みを浮かべ、
「実は、人間の血が飲めないんです。いえ、飲みたくないんです」
そんなことを言った。卍は驚く。怪物にとって人間の血は、自分の力を回復させる特効薬だ。それが飲めないと彼女は言う。致命的な弱点を晒しているようなモノだ。
「私、母様が人間なんです。私は……怪物と人間の間から生まれた怪物なんです」
セシアの告白に、卍は成程と納得できた部分があった。彼自身、セシアは怪物らしくない。むしろ人間より人間らしいと感じていたぐらいだった。
「人間の血が流れているのか?」
「いえ、怪物と人間から生まれる子供に人間の血は流れません、全て怪物の血です」
セシアは首を左右に振り、自分の胸に手を当てて答えた。
「なら、どうして人間の血が飲めないんだ?」
「私達の世界では、血を吸うという行為は相手を家畜とみなす行為なんです。だから、物心ついた時に母様のことを聞かされて、飲めなくなってしまったんです」
自身の母親と同じ人間を家畜としてみなすことはできない。だから、彼女は血が飲めない。
「ですから、ナツとの契約の時はズルをしました。最初から人間なんて襲えないのに、ああいう内容の契約を結んだんです」
恥じ入るようにセシアが言うが、卍は気にならなかった。
どうしてかはわからないが、安堵にも似た感情を彼は覚えていた。
セシアはセシアだと、怪物ではなくセシアなんだと。そんなよくわからない感覚だ。
「反応が薄いと、信じてもらえてないように感じますね」
「元からこういう性格だ」
膨れるように言ったセシアに対し、卍は小さく笑って答えた。
「……バンが笑った」
卍の表情を視て、セシアが心底驚いていた。
「笑って悪いか? まぁ、俺の場合の鉄面皮はシャレにならないからな」
「あ、いえ、すいません。そういう意味ではないんです」
「冗談だ。気にしていない」
からかわれたことに気付き、セシアが声を上げようとする。だが、その表情が凍りついた。
「どうした?」
まるで怯えているような表情に、卍はただならぬ異変を感じた。
「血の……臭い」
今にも吐きそうな表情でセシアが言った。
セシアの視線は日が沈み、夜の闇に覆われた校舎に向けられている。
「……。携帯電話を夏香に渡したのは失敗だったな」
法に指示を仰げない。一人毒づき、卍はどうしたものかと考える。
何が起きているかわからない以上、ここでおとなしく法を待っているのが得策だろう。だが、もし校舎に誰かが残っていて、セシアが感じた異変に巻き込まれていたとしたら。
「バン、行きましょう」
先んじるように、セシアが提案した。
「大丈夫なのか?」
セシアの顔色は蒼白であり、今にも倒れそうだ。
「この血の臭い、尋常ではあり得ません。それに終団は人間を襲いません。ですから、悪夢を魅せている怪物に関係があるはずです。行かないと」
全身を引き摺るように、セシアは校舎に向かって歩き出す。
「待て、俺も行く。悪夢に関係しているなら、俺も行かなければならない」
卍はセシアに追い付き、肩を貸すように手を回して、連れ添うように歩きだす。
二人は校門をくぐり、人の気配が途絶えた校舎を目指す。だが、途中でセシアが校舎裏だと言い、校舎を迂回して裏に回った。
卍は臭いを感じないためわからないが、セシアの顔色が少しずつ悪くなっていることから、何かに近づいていることがわかる。
校舎裏には、日頃使わない用具が入れられた倉庫があるだけであり、非常時に裏門から教師が駐車スペースとして使用する以外はほとんど使われていない。また校舎の影に隠れていることに加え、対面の塀が高いため、酷い圧迫感を感じるので普段は誰も近寄らないような空間だ。
そんな校舎裏が、精肉工場と化していた。
校舎裏に足を踏み込んだ瞬間、セシアが卍の身体を強く掴んだ。
卍は初めて、鼻が効かなくて良かったと感じた。それほどの惨状が眼の前に広がっている。
まるで校舎裏だけ雨が降ったかのように、無数の血だまりができるほどの血液が飛び散っていた。そして、精肉店で売っていそうな肉片が無数にばら撒かれている。
最早誰が誰で、何が何だったのかわからないほどに解体されていた。
肉片が纏う僅かな布切れや、解体が甘かった手足から、それは人間だったんだと推測できた。そんな……見るも無残な、されど芸術品のように完成された『惨殺死体』が転がっている。
「み~た~な~」
校舎裏の中央に、この惨状を生みだした斬殺殺人鬼が居た。自分の身の丈を超える長い刀を肩に背負い、返り血でべっとり汚れた彼女は、ふざけるように笑いながら振り向いた。
「お前、新藤藍音か?」
「ご名とぅ! アタシは新藤藍音だよ。ロボ友達くん」
にへらッと、笑い。藍音が応えた。卍は悟る。
「……。法を、夏香を騙していたのか?」
悪夢を魅せられていたというのは偽りだったと。友人達が裏切られたことに、卍は怒る。
「そうなるのかな~。一応名乗っておくなら、ツヴァイト家の雇われ勇者とはアタシのことさ。セシアちゃんは知ってたんじゃないの? ああ、でも、ちっちゃい時に一回だけ顔を合わせただけだし、覚えてないかなぁ~」
藍音はアピールするように後ろ髪を掴み、ポニーテールのように持ち上げた。
「…………もしかしてあなた、朱音?」
半信半疑でセシアは異なる名前を藍音に向かって呟いた。
「正解! 覚えていてくれてお姉ちゃん嬉しいなぁ~」
髪の毛から手を離し、嬉しそうに藍音は身をくねらせる。
「朱音? どういうわけだ?」
事態が呑み込めず、卍は説明を求めた。
「新藤藍音というのは偽名です。彼女は私が幼少の頃にツヴァイト家にやってきた勇者です」
「そうそう、名のある怪物を倒そうと思って忍びこんだんだよねー。結果、返り討ちで命の保証の代わりに雇われてるのが現状だよん」
セシアの説明に、藍音、いや、朱音は快活に笑う。
「怪物? じゃあ、そのツヴァイト家が今回の黒幕?」
「……そうです。今回悪夢を魅せているのは、彼女を雇っているツヴァイト家です」
セシアが認めると、朱音が冷たく笑った。
「やだな~、そんな他人行儀な言い方、身内でしょ? ねぇ、セシア・零・ツヴァイトちゃん」
「朱音!」
咎めるようにセシアが叫ぶが、朱音は笑い続ける。
「アレ? 法ちゃん達に言ってないの? 悪夢を魅せている元凶が自分の父親だって、恥ずかしいから言えなかったのかなぁ~。でも、そうだよね~、自分の親が元凶って言ったりしたら信じてもらえなくなるもんね。ねぇ、ロボ友達くん」
「本当なのか?」
話を振られた卍は、信じられないといった面持ちでセシアに聞いた。
「……本当です。ツヴァイト家の頭領、クルト・零・ツヴァイトは私の父親です」
苦しそうに、苛立ちや悲しみを押し殺した声でセシアは認めた。父親が全ての元凶だと。
「そうか、親を止めに来たんだな。だから、アレだけ必死だったのか」
卍は重く頷いた。そして、納得した。
「それだけ? 疑ったリしないの? アタシ的には潰し合ってくれてもいいんだけど」
朱音も、そしてセシアも卍の薄い反応に驚いていた。
「子が親を止めることの何がおかしい? それに俺は疑り深い、今出会ったばかりの殺人鬼より、目的のためなら自分の身体の事さえ管理できない馬鹿な怪物の方が信用できる」
怪物か殺人鬼というロクでもない選択肢だが、迷わず卍は選んでいた。




