第二章 魔女と魔法少女の狭間で
「ここまでくれば」
人込みを掻き分け、商店街を抜けた所で少女は足を止めた。後ろを振り向いても、誰もついてきていない。夏香と法の姿はどこにもない。
「ああ、ここで終わりだ」
当然だ、夏香と法は先回りしていたのだから。法に声をかけられ、少女はビクリと身体を震わせた。正面に向き直って見れば、後ろを走っていたはずの夏香と法が立っている。
「! どうして!?」
「私達はこの街の生まれでな、近道の一つや二つ、知っていてもおかしくはないだろう?」
少女の問いに法が胸を張って答えるが、その頭には何枚か葉っぱが乗っている。
「大きくなってから通ると狭かったりして大変だったけどね」
そう言った夏香も顔が煤だらけだ。この街の人間ではない少女には土地カンが無い。そのことを利用した法の作戦だ。
(周辺の地図、覚えていてよかった……)
実は近道なんて知らなかった夏香は内心、安堵の息を吐いていた。
少女が歯噛みしながら、胸元に手を伸ばす。もしかして銃でも取り出すんじゃないかと、夏香が眉を潜めた瞬間、隣に立っていた法が消えた。
蝋燭の火を消すように、フッとだ。
そのことに驚いて夏香が眼を見開くのと、法が少女の眼の前に現れたのは同時だった。法は何故か勢いが乗っている肘鉄を、少女の胸に叩き込んだ。 少女がえづいたところで法は手首を掴み、捻り上げながら背後に回って身動きを封じた。
「おいおい、まだ人目があるんだ、こんな危ないオモチャをチラつかせないでくれ」
法の手には片手サイズの拳銃が握られていた。手首を捻り上げた際に奪ったようだ。
「くそっ! お前ら! フェイカーか!」
少女が痛みに顔を歪める。夏香はフェイカーではないが、敢えて黙っておくことにした。
しかし、いつの間に法は少女の眼の前に移動したのだろうか? 夏香が先程まで法が立っていた場所に視線を向けても、黒い粒子のようなモノが舞っているだけだった。
「正解だよ同類、偽物同士仲良くしようじゃないか」
少女の背中に奪った銃を押しつけ、法は歪に嗤う。
(詳しい説明がされてないだけに、先輩が悪者みたいだなぁ……)
そのまま周囲の人間には気付かれないように、背中に銃を押しつけながら少女を路地裏に誘導する法を視て、夏香は苦笑いを浮かべた。
三人は人目の無い商店街の裏路地へ移動する。その間、少女は抵抗する素振りを全く見せず、黙って従っていた。その様子に夏香は疑問を覚えた。
(抵抗しても無駄だと思っているのかな? それとも……)
路地裏の奥へ移動し、法は少女を突き飛ばした。尻もちをつくように倒れた少女に、法は銃を突き付ける。
「まずは自己紹介といこうか。お前はどこの所属だ? 終団か?」
「ノーコメ……ぐァッ!」
法が躊躇いなく少女の右足を銃で撃ち抜いた。血が飛び散り、少女は叫び声を上げながら穴の開いた足を抑える。突然響いた銃声と少女の叫び声に、耳を痛めて夏香は耳を両手で塞いだ。
「ああ、言うのが遅れたが、ふざけたことを言ったら撃つ」
冷めた笑みを浮かべながら、法は左足に銃を向ける。
「しゅ、終団だ! 終団所属のフェイカーだ!」
本気だと悟った少女が叫ぶ。それを聞いて、夏香は疑問に思う。
「アレ? 先輩、確か終団ってフェイカーも狩りますよね?」
「フェイカーはあまり群れをなさないなからな、命欲しさに終団や怪物に身売りする奴もいる。まぁ、大抵は使い捨てにされるがな。私のような拠点持ちなんてそうそういないさ」
成程と夏香が頷いていると、少女が話しかけてきた。
「お前も仲間なら、こんなことする奴を止めないのか!? 躊躇い無く銃を撃つような奴! 普通は止めるだろ!」
どうやら少女の眼には、夏香は良心のある慈悲深い人間に視えるようだ。
「なんで?」
不思議に思って夏香が聞くと、少女が茫然として固まった。
「だって君は先輩の敵なんだろう? なら、撃ち殺されても問題はないんじゃない? それに僕と君は助け合うような関係じゃないし、義理も無いから止めない。ああ、もう一つ勘違いがある。僕と先輩は信用し合うような関係じゃないから、僕が言ったってこの人は止まらないよ」
言い切る前に二度目の銃声が響いた。再び女が叫んだので、夏香はうるさそうに顔をしかめて法を睨む。
「ちょっと先輩、撃つなら言ってくださいよ。びっくりするじゃないですか」
「三号、今は君が話をする時じゃない。それと同類、余計な事を話すなら撃つぞ」
「もう撃ってんじゃねぇか! くそがッ!」
少女の罵声と表情が気に食わないのか、法は右腕に銃を向けた。
「話を続けよう。その顔はどうした? どうやって作り変えた?」
「お前の想像通りフェイカーの能力さ。私は一分間、誰かに触れていればそいつの顔と身体を完全にコピーできる」
そう言って少女は顔を変えた。特殊メイクやマスクのような類ではない。なにより顔だけじゃない、身体も顔に合わせて変わっていく。まるで映像を切り替えるかのように、瞬時に別人に変わる。それが少女のフェイカーとしての能力のようだ。
老人、大男、少年、少女、年端のいかない子供まで、性別どころか歳さえ問わず、終盤には夏香と同じ学生服を着た少年少女にも少女は変わった。知らない顔もあれば、知った顔もある。例えば、和樹や藍音にも少女は変わった。そして、最終的には先程までと同じ少女に戻った。
「成程、変身する時しか私の魔眼は反応しないのか。ところで、その顔は気にいっているのか?」
「自分の顔なんてとっくの昔に忘れたからさ」
口角を歪めた法の問いに、少女はつまらなさそうに答えた。
「まぁいい。次の質問だ、誰がお前をあの学校に手引きした? あそこは外から異常性を認知できないはずだ。誰かが中から外に呼びかけない限りな」
「アジトに使者が聖剣を持って来た。そして、あの学校の住所が記載された手紙を渡してきた」
「聖剣……『シュミット』か」
難敵と相対したかのように、法が表情を歪める。
「先輩、どういうわけですか?」
単語の意味がわからず、夏香は法に聞いた。
「シュミット、つまりは鍛冶屋だが。聖剣や魔剣を生みだす存在だ。同時に、自分で作った剣で私達人外を試し切りするようなやつらでな。私達の業界では勇者とも呼ばれている」
「自分自身が鍛冶屋であり、怪物を倒す勇者でもある存在ですか?」
「そういうことだ。そして、奴らは怪物やフェイカーでもない。特殊な能力を持った『人間』として、終団とある種の共存関係を結んでいる。まぁ、全員が全員というわけではないがな。だが、終団にとってその影響力は大きい」
「そうさ。それで『何かがあるかもしれない』ということで調査が必要となり、私が派遣された。それでこのざまだ、どうやら私達ははめられたようだ」
そう言って、少女は舌打ちした。
「成程、はっ、そいつはご愁傷様だ。今時珍しいはぐれ勇者に騙されるとはな」
「その口ぶりだとお前達とはつるんでないようだな。腹の中に爆弾抱えてんじゃ……ぐぁッ!」
ニヤついた少女の腹を、法が蹴った。
「私とお前は軽口を言い合うような関係ではない。そして、私は悪口には制裁で答える」
今度から言葉には気をつけようと、夏香は心の中で誓った。
少女は咳き込みながらも嗤う。嫌な嗤い方だ。
「何がオカシイ?」
「いや、聞きたいことはもう全部聞いたろ? 早く楽にしてこれ、どうせ私はここで終わりだ」
「使い捨ての駒はいらない。そういうわけか。戻れないならこっちに来るか? 同類のよしみで匿っても良いぞ。お前の能力には使い道がある」
勧誘ではなく脅迫だ。きっと、セシアと違ってボロ雑巾のようにコキ使われるんだろうなと、色々な意味で餌扱いを受けている夏香は少女に同情する。
だが、少女は冷めた視線を法に向けた。
「殺せ、ここで今直ぐに」
そうか。夏香は少女に感じていた嫌な気配の正体に気付いた。この少女は死を望んでいる。
「情報を喋った以上、終団に使われることもできなくなった。お前とつるんでも死ぬまでコキ使われるだけだ。それなら、ここで死んだ方が楽だ」
本気だった。安易だが、確実に苦痛から逃げられる方法を望んでいる。
「お前に選択肢なんてあると思うか? 足が棒になって折れても、お前を使わせてもらう」
だが、法はそ許さない。拒否権など与えない。
その言葉に、少女は服のポケットから小さなナイフを取り出し、自分の喉に向かって突き出した。自害する気だ。
法に右腕を撃たれて止められた。今度は低く呻くだけで終わった。
「二度言う、お前に選択肢は無い」
「っ……ああ、そうだ。お前、この顔に覚えがあるみたいだな。いや、知り合いだな。お前の根城があの学校なら、この顔の女とは面識があるはずだ」
「黙れ」
少女の言葉に、法はシラを切ることもせず即答していた。
そこで夏香は、遅れながらも法の事情を理解することができた。
「なら、あの女がどうなったかも知っているだろう? そう、死んだ。私が殺した」
言葉では止まらない。四発目の銃声が轟いた。残った左腕を撃たれ、少女が呻く。だが、表情は嗤ったままだ。対して、法の表情はより一層冷めていく。銃口が眉間に向けられた。
「去年、この学校の周囲に怪物が現れた。それを調査するために私は向かい、校舎の中で異音を聞いた。その正体を確かめるために侵入した時、この顔の女に遭遇したんだ」
法が少女の胸倉を掴み、眉間に銃を押し付ける。
「逃げないように両足を撃って、それから情報を聞きだそうとしたが、友達は売れないとか言って何も答えなくてな。腕を撃って脅しつけても何も言わなかった。そのまま押し問答を続けていたら廊下の奥から声が聞こえて、私の姿を見られていたから殺した。いや、違うな。死ぬ間際になっても泣きもしなければ、怒りもしなかったんだあの女、ただ私を憐れむように見ていた! それがムカついて撃った! それだけの理由だ!」
銃にかけられた法の指に、力が込められる。
「せんぱ……」
今の法は敵だから少女を撃つのではない。感情で引き金を引こうとしている。それはいけないと判断し、夏香は声を上げようとする。
だが、夏香が言葉を発するより早く、一陣の風が路地裏を駆け抜け、視界を閉ざした。
数秒後、起こっているであろう結果を予想して夏香が恐る恐る眼を開けてみると、法は銃で少女の頭を殴りつけ、昏倒させていた。
鳥の鳴き声が聞こえ、夏香は空を見上げる。
セシアの使い魔である鳥が上空を旋回していた。
「彼女はもういないんだ。もう死んだんだ。それはもう知っているだろう」
法が立ち上がり、鳥に向かって言葉を投げかける。
その言葉が届いたのか、鳥は法の肩に降り立ち、悲しそうに鳴いた。
「過去に縋っては駄目なんだ。過去を理由にして、何かをしてはいけないんだ」
過去に引き摺られてはいけない。何故なら、それはもう過ぎ去ったことだからだ。だが、過去という鎖から逃れることは、誰にでもできることではない。
「……先輩」
「この女は七不思議の解決のために必要だ。連れて帰るぞ」
夏香に背を向けたまま、法が言った。それが魔法少女としての彼女のやり方だ。
今、法がどんな顔をしているか、それを見る権利も無ければ、寂しげに揺れる肩に手を置いてやる資格も夏香には無い。
ただ、法が過去に引き摺られなかったことに、敬意を感じることしかできない。
その事を理解はできていても、夏香は悔しいと感じてしまった。
(ああ、そうか、これが僕……なのかもしれないなぁ)
顔を俯けた夏香の眼の前で、法が手にした銃を先程通ってきた通路に向けた。