第一章 スカートをめくる幽霊の正体
「まぁ、今のはあいつが悪いな。しかし、成程……事の真相はそういうわけか」
ガンドンガンと、鈍い音を響かせながら眼下に落ちていった卍に、憐れみと軽蔑の眼差しを向けた後、セシアが抱いているエメラルドに輝く鳥を視て、法は全てを理解した。
法の魔眼、そしてセシアの眼には、この世のモノとは思えない色で輝く鳥の姿が映っている。
鳥の見た目は小さくふっくらとしており、セシアの両腕の中に納まるサイズだ。
「はい、鳥であることと、受け止めた時に微弱ですが奇力を帯びた風を感じました。きっと、この子の属性は風です」
鳥は腕の中から顔を出し、キョロキョロと法とセシアの顔を交互に視ている。淡くエメラルド色に輝いていることを除けば、千鳥に視えなくもない。
しかし、その姿は希薄であり、若干透けて消えそうになっていた。
「使い魔は持ったことがないんだ、悪いがその子の今の容態を説明できるか?」
「所有者との契約が切れ、体を維持する奇力すらまかなえていないようです」
「ん? 契約が切れたなら、その時点でその子は消えるんじゃないのか?」
法が知る使い魔とは、術者が作った『自ら』もしくは『力』の分身のようなモノであり、契約を切る。つまり用済みになった段階で消滅するモノだ。
「一つだけ例外があります。契約を解除する前に、術者が死亡した場合です。そうなってしまうと契約解除後の削除術式が作動せずに消えてしまい、使い魔だけが残ってしまいます」
「それでこの子は残ってしまったというわけか。……君は、こんなところで何をしているんだい? まさかスカートめくりでもしていたのかな?」
答えは返ってこないと知りながら、法は身を屈めて鳥に聞いてみた。結果だけを見れば、風系統の使い魔であるこの鳥が羽ばたく度に、否応なく風が巻き起こってしまい、スカートがめくれていたというわけだ。法の問いに、鳥はキョロキョロと首を傾げるだけで終わった。
「フェイカー、さすがに使い魔とは言え……鳥はそんなことをしないです」
セシアにジト目で睨まれ、法はおどけるように肩をすくめる。
「わかっているさ、冗談だよ。けど、気にならないか? ここで何をしていたか?」
法は鳥が人語を話さない限り、正答がわからない問題を気にかけた。
それにしてもスカートめくりの犯人は鳥でしたという、七不思議の結末としては予想通りなんだか予想外なんだかわからないオチである。
所詮は七不思議だと。法は改めて、この学校にかけられた奇術の奇抜さに呆れた。
「この子は自分の主人をまだ探しているのかもしれません。消えかけているのに、アレだけ必死に飛んでいましたし。きっと……そうです」
その羽ばたきを眼にし、身体で受け止めたセシアは願う。
(ひとまずスカートめくりではないだろう。そうなるとセシアの言うような話も考えられる。動機も同じ人間の前では羽ばたかない、もう消えかけているのに同じことを繰り返していることが当て嵌まる、新たな契約者を探すことも考えられるが……女性ばかりを狙ったことが説明できない。いや、違うな……私もセシアのような話であってほしいと願っている)
自分の願いに気付き、法は夢の無い思考を止めた。
「フェイカー、この子……どうしますか? 放っておけば昼間、何か起きるかもしれませんし、このままにはできないです」
もうスカートめくりとかが発生しているとは言えない。法は視線を泳がせながら考える。
「処分が妥当だろう。理解はしていないだろうが、ここを知っている以上、何かの偶然で外の者と再契約されて、情報を引き出されたら厄介なことになる。……もし君が情に狩られて処分できないなら、私が手を下そう。縄張り主として、その義務がある」
最悪の展開を考え、法は決定を下した。法達は少数だ、今現在この街に潜伏している勢力の中では、規模は最少と言っていい。ちょっとの油断が、少しのミスが壊滅に繋がる。そうならないために、不安の種は全て取り除かなければならない。
「そう……ですね。ただ、処分する前に、この子に聞いてみていいですか?」
法の返答は予測できていただろう。ただ、頭では理解できていても、心が納得していない。そんな辛い表情でセシアは頷き、鳥に話しかけた。
「まだ、飛んでいたいですか? 誰かと一緒に、空を舞っていたいですか?」
両手の上に小鳥を乗せ、前に向かって手を伸ばした。その言葉を理解できたかはわからない。ただ、掌に乗った鳥は消えかけた翼を広げ、力強く飛んだ。消えかけていることなんて構わない。むしろ消えるその時まで飛び続けるような、全力の羽ばたきだ。
鳥は法とセシアの頭上を数度、円を描くように旋回し、セシアの左肩に降り立った。そして、同意するようにチチと鳴いた。
鳥の行動に、セシアは安堵の表情を浮かべた。
「なら、私の所にいらっしゃい。そういうことで良いですか? フェイカー」
「ああ、君が再契約することに関しては何の問題も無い」
法が頷いた直後、セシアの影に変化が生じた。月の光を受けて生じている彼女の影が、暗闇の中で一層その色を濃くした。底を感じさせない漆黒の闇、覗き込めば引き摺り込まれそうな穴を思わせるモノに、影が形を変える。
(アレが彼女の力、といよりは彼女自身か? バンは穴と言っていたが、アレはどちらかと言えば底無し沼の類だな。そして、アレの先には何がある?)
魔眼を光らせ、法はその現象を考察する。
「……セシア、確認するが再契約するんだな? だが、その子の形が崩れかかっている以上、体を構成する奇術も綻びが生じている可能性が高い。何らかの形で補填しないと、穴の開いた風船にずっと空気を送り込むことになる。すまないが、私は使い魔を持ったことがないというか、使い魔関連の分野はほとんどわかっていない。だから、再契約はできないし、術式の再調整なんて芸当もできないぞ」
法は現状の問題点を上げながら、セシアに確認を取る。
「ちゃんと考えてあります、大丈夫です。さぁ、おいで……怖くないですよ」
その穴がなんであるか、理解はできずとも肌で感じたか、怯えて体を縮こまらせる鳥に優しく言葉をかけ、セシアは待った。
数秒も経たぬ間に、鳥はセシアの肩から飛び立ち、彼女の影の中に飛び込んだ。波紋が広がるように、影が波を打つ。
「まさか、食って自分の身体の一部にしたとか、そういうオチじゃないだろうな?」
「それでは詐欺師です、そんなことはしませ……ん」
ふざける法を睨み、セシアが文句を言うが、最後まで言い切る前にその身体がふらついた。
額に手を当てながらふら付くセシアを支え、法は彼女が何をしたか理解した。
「直接あの鳥に身体を繋げたな……なんてアホなことを」
ただ契約をするだけでは、存在を維持するための奇力を送るだけの繋がりになってしまう。それでは崩れかかった鳥の寿命を、僅かに延長するだけで終わる。そこでセシアが行ったのは、融合に近い、血肉を分け与えて術式に開いた穴を埋め合わせる方法だ。
それは生きたまま、他人に臓器提供することに等しい。
「君が冷蔵庫の中で倒れていたのは、バンとの戦いで消耗していたからだろう? それなのに自分の身を削って何をしているんだ? 力尽きるぞ」
「……死なない程度に調整はできます。それに、こうしないとこの子……満足に飛べないじゃないですか。それでは、こうして契約した意味がないです」
先程より弱弱しい声だった。消えかけていた使い魔を受け止めることさえできないほどに消耗していたセシアにとって、今の行いは自殺行為だ。
「ああ、そうなのか……君はそういうことができてしまう子なんだね」
自分の身を削って誰かを助けることができる。それは立派だと思うが、寿命を縮める生き方だ。もう自分の力だけでは立つことさえ難しいセシアを支え、法は彼女の影に呼びかける。
「ほら、君も体と力を別けて貰ったんだ……その分は働いたほうがいいぞ」
法の呼びかけに応えるように、漆黒の影から鳥が飛び立った。
淡いエメラルドの輝きは、より明確な輝きに変わり、翼の色がセシアの影と同じ黒に変わっていた。セシアと繋がったことで影響が現れたようだ。
先程より力強く、空を駆けるように上昇して、セシアの肩に止まった。
鳥は新たに得た翼の様子を確認するように、嘴で掻いたり動かした後、チチと鳴く。
次の瞬間、セシアの周囲に奇力が込められた風が吹く。法の魔眼には、エメラルド色の風がセシアを下から持ち上げているように視えた。
支えていたセシアの体重が軽くなった。先程までも十分に軽かったが、今はまるで羽のようだ。
「ありがとう、楽になりました」
本当に楽になったのか、先程より幾分柔らかい笑顔で、セシアが鳥に礼を述べた。
「風で身体を持ち上げているのか……」
「ええ、繋がったので確認しましたが、対象物を飛翔させる力を持っているようです。……今はまだお互いに本調子ではないですが、いずれ一緒に飛びましょうね」
約束するように小指を鳥の前に持っていく。すると、鳥は嬉しそうに頭を擦りつけた。
「ちゃんと回復してからだぞ、連れ回した私が言うのは筋違いだが、今日はもう休んだ方が良い。このままでは戦力どころか、ただのお荷物になってしまう」
「それは契約違反になりますね。……ただ、休む前にお腹が空きました」
セシアのお腹が小さく鳴った。気を失う時にマヨネーズを掴んでいたのは、やはりお腹が空いていたからのようだ。法は笑いを堪えながら、セシアを支えてゆっくりと階段を降りる。
階段の下では卍と夏香が二人を待っていた。だが、二人共微妙に顔を反らしていた。
「セシア大丈夫? ぐったりしてるけど、というか肩に鳥が止まってるけど」
微妙に顔を反らしながら夏香が言う。表情には何故か罪悪感が浮かんでいた。
法は魔眼を閉じ、右眼だけでセシアの肩を視る。
「視えている……セシアの肉体が混ざったことで半物質化したか? ああ、この鳥が真犯人というわけだ。これからはセシアのペットになるから仲良くしてやってくれ。ところで、なんで顔を反らしているんだ?」
法の問いに、二人はビクリと肩を震わせ、顔を見合せて固まった。
訝しんだ法は自分の身体を見下ろす。法とセシアのスカートがひらひらしていた。際どいラインで浮かんだり沈んだりを繰り返している。
セシアは風で身体を持ち上げることで、身体が感じる重さを軽減している。よって、常に風を纏っていることになる。自然、本人やその周囲には、風が発生しているわけだ。
「最後の被害者は私達か……おいエロガッパ共、どっちでもいいから私と代われ」
いらぬオチがついたことに、羞恥心を上回る疲れを感じながら、法は二人のどちらかにセシアを預けようと動く。
「卍、ちょっと先輩と二人で話がしたいからお願いできる? 先に部室行ってて」
「む? わかった、くれぐれも気を付けろよ」
「それは、こんな真っ暗闇の場所に男と二人きりにされる私の心配か?」
茶化した法を卍は無視し、セシアを支えながら廊下を歩いて行った。その姿が視えなくなったのを確認した後、夏香が法に向き直った。




