第一章 スカートの怪物
「卍、一言余計だよ……。というか、騙しちゃってるけどいいのかな?」
法は卍の代わりに、セシアをスカートめくりの被害に遭わせる気だ。
「気にするな。スカートをめくられる程度の話だ、実害を被るわけじゃあるまい」
「実害だし、心の傷は人間も怪物も一緒だと思うけどなー。けどまぁ、女装した友達のパンツ見せられるよりはいいか。言葉にするだけでちょっと気持ち悪いし」
女の子のパンツと、女の子の格好をした男のパンツ、どっちを見るかという選択肢である。さすがに優柔不断な夏香でも迷わず決めるレベルだった。
「お前の言葉も十分酷いがな。というか、下着まで代えさせる気だったのか」
命拾いしたと、卍は心の底から安堵の息を吐く。
「ところで、卍は終団ってなにか知ってる? さっきの話で何度か出たんだけど」
「少しだけ法に聞いている。あいつが言うには、異端狩りを行う人間だけで構成された宗教団体らしい。異端狩りに精通した人間を中核に、末端はお前が遭遇したような重火器で武装した、ただの人間を使っている。その目標は地表で活動している全異端の抹殺、法やあの怪物のような奴らにとっては天敵と言える存在だろう。しかも、異端を狩るためならばあらゆる手段を使う過激派らしい」
「ああ……そういえば、僕もセシアをおびき寄せる餌とかにされそうだったよ。うん、決めた、その人達は嫌な奴らなんだね。近づかないようにする」
「……。一応、その、お前と同じ人間だぞ?」
即決した夏香に驚き半分、呆れ半分の表情で卍は確認する。
「だってあいつら、いきなり銃向けるし言葉通じないし。それに比べて卍とは親友、セシアとは言葉が通じた、先輩は……まぁ置いておいて、ほら、良い事尽くしじゃん。だったらその三人と敵対しているその終団ってのを、僕は敵として見るべきだ」
「また極端といえば極端な判断だな。お前らしいといえばらしいが」
言葉は呆れているが、口元が嬉しそうに緩んでいることを、卍自身は気付いていない。
「よし、準備できたな。では、出発するぞ」
部屋の中から法の声が聞こえた。二人が振り向くのと同時に扉が開き、法とセシアが出てくる。退出するため、電気を消した真っ暗な部屋から、月明かりの下に現れた制服姿のセシアを見て「おお」と、男性陣が意味もなく感嘆の声をもらす。
「こ、この服……スカートの丈が短くないですか?」
スカートの裾を両手で抑え、顔を赤らめたセシアが抗議する。黒を基調とした学生服に、白く透き通るような細い手足がよく映えている。冷たいながらも美しさが際立つ法の着こなし方とはまた違う。どこか浮世離れした雰囲気が漂っている。
「よく似合ってるぞ。私としては、もうちょっとスカートの裾は際どくても良いんだが」
恥ずかしがるセシアをからかうように、法が口の端を緩める。
「絶対に嫌です!」
「ふざけていないで、準備ができたなら行くぞ」
冷めた口調で卍が言うと、どこか納得のいかない表情で、セシアは黙った。
「見惚れていたク「なにか言ったか?」……いや別に」
ニヤニヤしながら口走ろうとした法を、卍は睨んで止めた。肩をすくめた法は、件の階段に向かって歩きだす。その後ろを卍と夏香、事情を知らないセシアが黙ってついていった。
四人は問題の階段とは別の階段を使用して二階に移動、廊下を歩き、問題の階段がギリギリ視える位置で足を止めた。
何故足を止めたかわからないセシアは、視線で説明を請う。
視線を向けられた法は、怪しくほほ笑む。
「ここから二手に別れよう。この学校は広いからな、私と食料が下の階、君とバンで上の階を見てきてくれ。バン、くれぐれも手を出すな、あと覗くなよ」
もっともらしい説明をつけ、最後に小声で釘を差しながら、セシアを階段へ向かわせようとする。特に断る理由のないセシアは、コクリと頷いた。
「また僕を食料扱いしているし……えっと、気をつけてね」
「安心してください。昨晩はあんなことを言いましたが、私から何もするつもりはありません」
友達の心配をしていると思ったか、夏香に向かってセシアはほほ笑む。
「そういう意味じゃないんだけど、とにかく気をつけてね。夜だし、危ないし」
ここまで来たら真実を告げることもできず、夏香は罪悪感に苛まれながら精一杯の忠告をした。セシアは不思議そうな顔をしながらも頷き、卍の隣に並ぶ。
「では、行きますか。二度言いますが、私からは手を出さないです」
「当然、俺もだ。昨晩の再現なんて、するだけ無駄だからな」
「もしもやるなら、昨晩と同じ手で相対する気は無いです。油断しないことですね」
視線を合わせず、背中も見せてたまるかという勢いで、二人は並んで歩きだした。
★
卍は問題の階段を、周囲に気を配りながら一歩ずつ登っていく。
後ろにこっそり振り向いてみれば、法が小瓶を取り出して構えていた。
隣を歩いていたセシアが不意に立ち止まった。ついに来たかと、卍は身構える。すると、セシアが短く吐息をもらした。卍が訝しんでいると、セシアが見上げてくる。
「先程、あんなことを言いましたが、こうも気を張られると息がつまりますね」
どうやら卍が周囲に気を配っていたのを、ずっと警戒されていると感じたようだ。
誤解ではあるが、否定することは違うので、卍はセシアを見下ろしながら告げる。
「……。お前は法と取り決めを結ぶ時、終団を最優先で排除することを約束させようとした。その終団はこの街に潜む、お前が追っていると言う怪物達を討伐するために来たはずだ。だとすれば、お前が終団を先に始末しようとしているのは、俺達の戦力を利用して仲間が有利に動けるようにするためじゃないのか?」
返答次第では協力関係が即座に解消されると思い、情報や戦力が欲しかった法が『敢えて聞かなかった』ことを卍は聞いた。
その言葉にセシアが浮かべたのは、怒りの表情だった。
「あの者達のやり方は道を外れています。私はそれを止めるためにやってきました」
「本当に同族の恥とか、そういう理由で追っているのか?」
「それ以外の言葉を持ち合せていません。それに私を信用していないなら、どのような言葉を用いてもあなたを納得させることはできないと思いますが? ……逆に聞きますが、あなたは私がどのような理由で、あなた達と共闘していると思っていますか?」
「それは。……。実はスパイとか、両方の壊滅を望む第三勢力とか」
苦し紛れというか、みっともないというか、卍は言っていて馬鹿らしくなり、尻すぼみになっていく。
セシアは嘆息、卍の隣を通り、先に階段を登っていく。
(何をやっているんだ俺は)
卍は自分にしか聞こえないように呟き、自己嫌悪に陥る。
そのせいで僅かに反応が遅れた。気付いた時には、セシアは階段の二十段目を通り越し、スカートめくりが起きるとされている空間に足を踏み入れていた。
その事に気付き、卍は視線をセシアの背中に向ける。直後、風が空間を吹き抜ける音が、彼の耳に届いた。ドン、と……まるで強烈な掌底を叩き込んだような、鈍い音が続けて響く。
セシアのスカートが揺れた。
揺れるには揺れたが、めくれるとかそんな生易しい状態ではなく、背中から落ちてくる。しかもすぐ傍にある手摺りには手を伸ばさず、自分の胸を両腕で抱きしめるようにしながら、落下に身を任せるように落ちてくる。
セシアは怪物であり、落ちても再生するので大丈夫だとか、そういうことを考える前に、卍は手を伸ばして肩を掴み、腕をゆっくり曲げながら胸で受けとめていた。そして、怒鳴る。
「お前、なに普通に落ちてるんだ! 危ないだろうが!」
「この程度の高さでは、落ちても死にはしませんし、大丈夫です」
条件反射で卍が叫ぶと、セシアは冷静に答えた。そこで、ようやく思考が今に追い付き、受け止めて損したと卍は思った。ガックリと卍がうな垂れると、セシアはクスリと笑った。それから自分の足をしっかりと階段の段差に付け、振り向く。
「礼は言っておきます。怪我をしかけたのは事実ですし、ありがとうございます」
階段の段差一つ分離れた場所で咲く笑顔の華に、卍はうろたえた。
そんな風に意識をしてしまったのは、セシアを受け止めた時に思ったより肩幅が小さかったからだ。彼女が怪物であり、夏香を襲ったということを一瞬でも忘れてしまうぐらいに、その肩幅は細身の卍より更に一回り近く小さく、女の子なんだと意識してしまった。
一瞬の気の迷いだとしても、そんな感想を抱いた自分に驚き、本当にセシアを敵として見ているのかと、卍は自分に疑いをかけた。
卍が混乱状態に陥っている間に、セシアは『何か』を両腕で優しく抱きかかえ、視線を向けながら困ったような表情になっていた。
「まさか素手で捕まえるとは思わなかったな……。セシア、何を捕まえた?」
法が階段を登りながら、前半は小声で、後半は聞こえるように声を大にして二人の傍に来る。
夏香は待機を命じられたのか、階段の下で不安そうに三人を見上げている。法の問いに、セシアは身体を向けることで答えた。
「やはり……そうか」
法は片眼の魔眼を輝かせ、小さく呟いた。
「鳥……というよりは、鳥の形をした風の使い魔です。誰かの使い魔だったのでしょう、契約が切れて相当な日数が経っているのか、消えかけています。……可哀想に、もう満足に空も飛べないようです」
そう言ったセシアの表情は悲しみに満ち溢れ、いたわりの言葉には偽りのない優しさが込められている。
セシアの言動に卍は違和感を感じつつ、もう一つの違和感を口にした。その視線は二人が視ているモノと同じモノを視ているはずなのだが。
「二人共『何』が視えているんだ? 俺には薄っぺらい胸しか視えな」
最後まで言い切る前に、卍はセシアに蹴られてバランスを崩し、階段を転がり落ちていった。
「あぶなっ!」
下に居た夏香が、転がってきた卍を慌てて避けた。