第一章 魔女と怪物の話し合い
純白のドレスを着た金髪の少女が冷蔵庫に上半身を突っ込みマヨネーズを掴んでいる。
「気絶しているみたいだけど、どうしてこうなったのかな?」
あんまりな光景に思考回路が停止した卍と法の代わりに、夏香はポケットに入っていたボールペンで怪物の頬を突く。
「そうか、サーモグラフィーでよく見えなかったのは冷蔵庫の冷気のせいか」
「そっちよりマヨネーズの方が私は気になってきたぞ」
「もっと気にする点が有ると思うんだー、僕」
冷静にどうでもいいことを思考する二人に、夏香は振り向きながら突っ込んだ。
「ああ、すまない、あんまりな光景に取り乱した。ところで、この子は知り合いか?」
「知り合いと言えばいいのか、敵と言えばいいのか、昼間に話した怪物だ」
確認を取る法に、卍が嫌そうに表情を歪めながら答えた。
「それは興味深い。……三号、とりあえず冷蔵庫から出してやれ、見ていると気が抜ける」
夏香は冷蔵庫から怪物を引き摺り出す。マヨネーズはそっと冷蔵庫に戻した。
「どうする気だ? まさかとは思うが、保護する気じゃないだろうな」
畳の上で座布団を枕に寝かされた怪物を見降ろし、卍が訊く。
「そのまさかさ。この怪物ちゃんは、今回の七不思議を解決するにあたって必要な存在となるだろう。なにより、斬殺殺人鬼である可能性もあるんだ。身柄は確保しておいて問題はあるまい。……さて、できれば鉄の鎖などで動けないように縛っておきたいんだが」
色々と物騒なことを真顔で言いながら、法はしゃがみ込んで怪物の額に手を伸ばす。
「魔法使いの名を語る紛い物が……気安く触れるな『フェイカー』」
法が額に触れる前に、怪物が眼を開け、手を叩いて弾いた。
「怪物のクセに狸寝入りするなよ。はっ、さすが『アンティーク』古臭い手段を使う」
赤くなった手の甲を擦りながら、法が嗤う。その言葉に、上半身を起こした怪物の眉がキッと潜められる。どうやらお互いに、触れてはいけない一線をたった一言で踏み抜いたようだ。
二人の間に一瞬即発の空気が漂う。
「ちょっと、なに喧嘩してるんだよ。駄目だよ、お互いを知りもしないで喧嘩したら」
恐れ知らずの一般人が魔女と怪物の間に割り込み、二人を交互に見ながら仲裁を行う。
「お互いのことを知った上なら喧嘩してもいいと言う辺り、本当に君はアレだな」
その行動に気が逸れたか、法が呆れたように両手を掲げ、ため息を吐く。
「いや、すまない。悪評を聞いてついカッとなった、非礼は詫びよう。お姫様」
法が頭を下げ、皮肉は交じっているが謝罪の言葉を口にする。対して怪物は、素直に謝れたことでばつが悪い表情になるが、法に対して謝れないのか、あーとかうーとか唸った。
「非礼を許してくれたのなら、話し合いの場を設けたい。受けてもらえるか?」
「それは……捕縛されている身としては、願ってもない申し出です。けど……」
敵を見やり、怪物が疑いの眼差しを向ける。怪しむのも無理はない。
「勘違いされる前に言っておくが、私と君の立場は同等だよ。そう、君はゲストだ」
「ゲスト? フェイカー、あなたは自分に有利な現状を自ら捨てるんですか?」
縛るなどの捕縛行為はされていないが、現状は敵の手中に落ちているのも同然だ。そのアドバンテージを捨てると法は公言している。罠と疑うなというのが難しい。
「まず前提がオカシイのだよ怪物ちゃん。私は君を断罪する義務もないし、処刑するほどの怨恨も持ってない。ほら、争う理由なんて微塵もないだろ?」
さも当然のように法は言った。その言論を信じるならば、確かに争う理由は無い。
「……あなた、変わり者ですね。少なくとも私が視てきたフェイカー達とは全然違います」
「ああ、なにせ私は魔法少女だからな。……そう、私は魔法少女、桑井法だ」
大切なのか、二度も魔法少女と名乗る少女に、怪物が訝しげな視線を向ける。
「誤解が解けたところで、話し合いを受けるかどうかを改めて確認しよう」
「受けます。条件が対等ならば、私にとって悪い話はしないでしょうし」
「ああ、『現状』はあくまで対等だよ。ただ、そうだな……結果として、私は君にとって味方になるかもしれないし、敵になるかもしれない。まぁ、そこは最後のお楽しみだがな」
怪しげな笑みを最後に、対談の場が設けられた。部屋の中央に設置されたちゃぶ台を挟み、両者は仁王立ちで向かい合う。話に置いて行かれた部員二人は、部屋の隅に腰を下ろした。
★
魔女と怪物の対談、口火を切ったのは法だ。
「端的に言ってしまえば、君と協力関係を結びたい。期限は無期限、協力内容は戦力と情報の提供だ。見返りはこちらも戦力と情報を提供しよう。もちろん戦力提供時には、お互いに拒否権を有し、解約のタイミングはお互いに了承を得ずとも即解約可能だ。ああ、住処と食事も提供しよう。さすがに人間は無理だが、血液程度なら譲渡できるぞ。そこのを好きなだけ飲んでもいい。だが、殺すと隣にいるアンドロイドが襲いかかるから気を付けろ」
まるでずっと前から考えていたようにペラペラと話して、法は人差し指で夏香を差す。
「僕食料ですか! つうか本人に確認もしてないし! というかそれ人身売買一歩手前!」
一通り叫んだ夏香を無視して、法は回答を待つ。怪物は眉を潜め、静かに答える。
「無期限の協力、戦力提供、住処、食事、全て必要ないです。今後一切の接触を禁じることを条件に、この場のみの情報交換にします。それがお互いに都合が良いはずです」
その程度では話し合いにならないとでも言うように、怪物は全ての条件を蹴った。
「戦力提供の理由について述べよう。この街には終団が潜んでいる。規模は不明だが、どこかの由緒正しき一族と一戦やらかすほどの戦力が確認できた。単独だと処刑されるぞ?」
新たな情報の開示に、怪物の眉がピクリとわかりやすく反応する。勧誘す
るための脅しだと思わないのは、昨晩の段階で既に終団と接触しているからだ。
「……『終団に対して』限定の協力および戦力提供ですか? 詳しく言ってください」
「それ以上は話し合いの結果次第だ。ただ、これだけは言おう。私の敵は加害者だけだ」
「私は場の流れによっては、加害者になります。いえ、既になっているとしたらどうします?」
寝首をかかれないための確認を含めた挑戦的な問いだが、法は表情を乱さず即答した。
「もちろん殺すが、確認が取れてからだ。君は色々と不明な点が多い、今はまだ殺せない」
「終団に対する休戦協定のみにします。情報を交換した後、敵が増えるなら意味がないです」
その正直な答えに、怪物が話を白紙に戻す。
(うーん、欲張ってるなぁ)
夏香は怪物の思考を読む。怪物が情報と戦力を欲しているのは会話から見ても明らかであり、多少の危険はあるかもしれないが、一時でも手を組める法と仲違いするのは悪手だ。
それなのに今の段階でハッタリをかましたのは、もう少し自分に有利な条件を取り付けるためだろう。例えば、敵対する証拠が発見されても、全てのカタがついてから敵と見るなどだ。
法が怪物の身柄を確保しておきたいことを察しているからこそできるハッタリだ。
この話合いの結果は、協力関係を結ぶ形で終わる。それは確定であり、重要なのはその内容だ。どちらがどれだけ自分に有利な条件を付けられるか、それがこの話し合いの勝負所だ。
「こちらの手中には、現状で起きている出来事について素早く情報を入手できる方法がある。それと君がここに迷い込んだのは偶然ではない、必然だ。これ以上は言わなくてもわかるな?」
「……この学校にかけられた大掛かりな奇術の正体はそれですか?」
学校にかけられた『生徒が怪奇に接触すると七不思議化する奇術』。これに勝る情報網はないだろう。その術の詳細を知らずとも、一歩間違えれば話し合いが破綻するこの場面で、ハッタリをハッタリで返すとは怪物も思わないはず。
なによりその言葉が事実なら、喉から手が出るほど美味い話である。そうやって強い誘惑で相手をかどわかす、悪い魔女の誘惑だ。
「っ……。協力時の敵に優先順位をつけます。まず終団を叩きます」
取り繕うのと同時に、取り付けたい条件を口にするがもう遅い。
「拒否する。君、私、そこのアンドロイドの計三人で倒せる数ではない。焼け石に水だ」
「あなたの戦力要請には必ず答えます。情報もそちら側の問いには全て答えます。代わりに可能な限り終団の戦力を削ぐための協力関係を希望します」
わかりやすい反応だ。夏香から見てもわかるように、法が呆れた表情をする。だが、何を焦っているのか、怪物はその表情に全く気付けていない。それぐらいに必死だった。
どうやら顔芸はできないようだ。
「拒否する。繰り返すが無理だ、戦いにすらならない。ここは隠れることしかできないぞ」
「……わかりました。私からは、もう何もないです。終団については、要望だけにします」
「話を纏める。私からは戦力、情報、住処、食事、いつでも切断可能な協力関係。あとは要望として終団を叩く。こちらが得るのは戦力と情報。違いないな?」
結局、最初話した条件通りに話し合いは終わった。それもそのはず、怪物についてある程度の情報を夏香や卍から聞いていた法が、有利に話し合いを進められて当前なのだ。
「違いないです。それが今の私に差し出せる全てです。……交渉内容がイーブンになってない以上、こちらの条件からある程度削るか、そちら側を付け足していってください」
言って口惜しいとばかりに、怪物が口の端を噛む。法は頷き、
「話し合いは以上だ。寝床は私の根城になるが構わないな? ああ、風呂とかどうしよう」
両者の同意のもと、話し合いを終了させた。怪物がポカンと口を開いた。
「ちょ、え? フェイカー、どう見てもそちら側が圧倒的不利な条件です」
「勘違いしているようだが、これは交渉でも商談でもない。ただの話し合いだぞ。どっちが不利とか有利とか、そもそもないだろう? というか、そこを指摘する君は律儀だな」
呆れたように言い、法はほほ笑んだ。怪物は虚を突かれた様子で数秒固まっていたが、気を取り直すように深呼吸をした後、右手を法に向かって差し出し、握手を求めた。
「礼を言います。私の名前はセシア、その時が来るまでは良きパートナーでいましょう」
法が最初から有利に終わる話し合いだとわかっていたにも関わらず、敢えて対等以下の状態から話し合いを始めたのは、今の歯が浮くような言葉で信頼を得るためだったようだ。ただ握手まで求められたのは予想外らしく、マジマジと、差し出された白く細い手を見下ろしている。
「……君は私を変わり者と言ったが、そっちも相当な変わり者だよ。少なくとも今まで私が出会ってきた君側の者達は、こんな風に握手なんて求めてこなかった。桑井法だ」
二人は握手を交わした。乱闘などが起きずに話し合いが終わったので、夏香は心底安堵した。