プロローグ
「金髪の女の子が手招きする夢を見るんだ」
コンビニ弁当を食べながら、境容夏香は友達に相談した。
天気のいい日、昼休みのことだ。教室の中央付近で机を繋げ、雑談しながらお弁当を食べているグループからやや離れ、夏香は窓際で友達と二人だけで机を繋げていた。
身長は平均よりやや低め、常日頃から浮かべる人懐っこい笑みと童顔は、彼を実年齢より低く見せる。それが良く言えば、中性的な魅力を引き出していた。
「少女が名前を呼びながら手招きする夢? 七不思議のか?」
夏香の友達である朝方卍が、読み進めていた文庫本から視線を上げ、胡散臭げに確認した。
朝方卍は一見して男か女か判別できない顔立ちをしていた。腰まで届く後ろ髪をゴムでぞんざいに纏めており、まるでマネキンのような冷たい表情で感情が乏しい。
美の理想を追い求め過ぎた結果のような、理想過ぎる身体をした異形、一見すれば芸術品のようだ。ゆえに近づきがたく、敬遠したくなるような存在だ。
ただ、夏香にとっては大切な友達であり、避ける理由は無い。
「そうなんだよ、最近追加された『白光の美少女に誘われる悪夢』。最近その夢を見るんだ」
夏香が大仰に頷きながら繰り返すと、卍は疑うように眉を潜めた。
「妄想じゃないのか? それか七不思議の話を聞いて夢に見ているとも考えられるぞ」
当然の反応だ。ふざけていると無視されないだけ、まだマシな反応とも言える。
もちろん七不思議なんていう噂話を、簡単に信じてもらえるとは思っていない。
「違うよ!? 七不思議の噂通り、お城のお姫様のような純白で汚れの無いドレスを着た女の子が僕の名前を呼びながら手招きするんだ、それも眼が醒めるまで延々」
胡麻が乗った白飯を割り箸で口の中に運びながら、夏香は最近見る不思議な夢の話をする。
「しかも、その女の子の顔は見たことないんだ。あれだけ可愛い子なら現実で見れば忘れないと思うし、それに凄いリアルだった。なんか映画を見ているみたいに一部一部が繊細で……しかもここ一週間その夢しか見てない。ほら、七不思議の噂通りだ」
正当性を示すように理由を並べるが、
「ただの夢だ、忘れろ。考えれば考えるほど夢に囚われるぞ」
卍は文庫本を閉じて机の上に置き、諭すように忠告してきた。
やはり信じてもらえないかと、夏香はガックリ肩を落とす
「ただの夢って、卍……もう少し真剣に話を聞いてほしいなぁ」
「真剣に聞いている、そして考えた上での回答だ。早々に忘れた方が良い」
それは真剣に聞いているようで、全く相手にしていないと同じだ。夏香は判断する。
「いやさ、真面目に相談乗ってくれると嬉しい、本当に一週間同じ夢しか見てないんだ」
話をしたことで思い出し、気味が悪くなって夏香は身を震わせた。
同じ夢を毎晩見る、それが数日ならまだしも、一週間となれば笑い話にできない。
ようやく夏香の真剣さが伝わったか、卍が考え込むような仕草を見せ、真面目な顔で言う。
「そうだな。目には目を、七不思議には七不思議をぶつける手がある。前に一度だけ顔を合わせたことがあるだろう? あの魔女と」
「『白光の美少女に誘われる悪夢』VS『真周高校に潜む魔女』か……どっちも怖いなぁ」
二人が通う真周高校の生きた伝説と言われる人物を思い浮かべ、夏香は顔を青ざめさせる。
ここ真周高校には古くから伝わりながらも、毎月その内容が変わったり変わらなかったりする妙な七不思議がある。紐を解けば『スカートをめくる幽霊』のような、よくあるありきたりな内容が揃っている。
夏香が夢に見る『白光の美少女に誘われる悪夢』もその一つだ。いわく、夜な夜な美少女が手招きする夢を見る。それだけだ。最終的にどうなるかは夏香も知らない。いや、いくつか説は知っているが『最終的にその少女と付き合う』や『もうすぐ運命的な出会いがある』などなどロクでもない結果が多い。
なので、夏香も気味が悪いとは思うが、それほど強い危機感を持っているわけではなく、こうして友人に雑談混じりに相談しているというわけだ。
そんな学生間に楽しく蔓延する七不思議の一つに『真周高校に潜む魔女』というモノもあった。三年前から新規に追加された現在の七不思議の一つだ。いわく、黒衣を身に纏い、羽が生えた靴で空を飛び、手から怪光線を出して悪い化け物をやっつける魔女がいる……とかなんとか。聞くもアホらしい眉唾物の話である。
とはいえ、実際に魔女と呼ばれる生徒は存在しており、その噂を助長する要因が三つあった。
まず一つ目は魔女の両眼、黒真珠のような煌びやかな漆黒とサファイヤのように『本当に輝く』蒼のオッドアイであること、実際はカラーコンタクトを入れているとの噂もある。
二つ目は奇妙奇天烈意味不明を体現した性格、面白いという枠を超えて単純に怖かったと、卍繋がりで一度だけ話をしたことがある夏香はコメントする。
「むむ、私は七不思議と同列なのか? 心外だな」
「うわああああああああッ! 出たああああああああああああああッ!」
そして三つ目、ふっと現れる神出鬼没さだ。背後から突然声をかけられ、絶叫を上げながら夏香は直立する。同時にその手からコンビニ弁当が飛んだが、卍が見事にキャッチした。
「そこまで驚くなよ、傷つくだろ」
噂をすればなんとやら、今さっき話に出た真周高校の魔女こと桑井法の登場だ。法が直立して仰け反った夏香を一目見やり、悲しそうに言う。ただし、眼は笑っている。
彼女も卍に負けず劣らずの美形だ。黒を基調とした学生服を身に纏ったその背はスラリと長く、手足も無駄な筋肉がない。身体の方もどこに内臓が入っているかわからないぐらいに細く、まるでモデルのような身体つきだ。顔のパーツも一つ一つが懇切丁寧に造られたような、可愛いというよりは凛々しい顔立ちをしている。
背中を流れる黒い長髪が僅かな動作でふわりと揺らいでいる様は、男の視線を奪って離さないだろう。
何より眼を引くのが左眼、サファイヤのような蒼の瞳が強烈な印象を放っていた。ただ……やはり噂というべきか、眼は輝いていなかった。
彼女の場合、卍とは異なりまだ親しみを持てる容姿なのだが、それだけだ。
「どっから出てきた! 君は忍者か!」
「いやいや、あんな変態網タイツと一緒にするなよ。前にも言ったと思うが、私は魔法少女だ」
楽しそうに、悪く言えば怪しい笑みと意味不明な発言に、夏香はドン引きする。
前述通り、法はまともな性格をしていない。魔女という発言に怒りはするが、二言目には魔法少女と呼べと言ってくるあたり意味不明だ。それが周囲との垣根を生みだしているのだが、本人はわかっていてそう言い続ける。そんな理解に苦しむ女の子だ。
「三年が二年のクラスに何をしに来た?」
真周高校三年B組所属の魔女の登場に、驚く所か眉一つ動かさなかった卍が簡潔に問う。
「いや、私の噂が聞こえたような気がしたんだ。それも悪口の類がね」
ふっふっふっ。口だけ笑いながら有り得ないことを言うが、法の場合は冗談に聞こえない。
「地獄耳だな。だが、話をしに行く手間が省けた。夏香、あの話をするが良いな?」
卍が立ち尽くす夏香に弁当を返し、確認を取る。
「う、うん、ここまで来たら藁にも縋る勢いだ! どんと来て!」
「ほう、私を藁扱いか。良い度胸だな、気に入ったぞ」
「すみません、謝りますから気に入らないでください」
夏香は頭を下げて拒絶した。
それから二人は、手短に事情を話した。
「ふむふむ、美少女が出る悪夢か。君、思春期真っ盛りだな。ああ、膨らませるのは妄想だけにしておけよ。それ以外を膨らませると軽蔑するから」
ニヤニヤしているが、眼は完全に見下していた。そして、若干下ネタだった。
「そんなんじゃないよ! ねぇ卍、この人本当に大丈夫なの!?」
明らかに人選ミスをしている気がした夏香が叫ぶ。
「性格は歪んでいるが気にするな。おい、アホなことを言ってないでどうなんだ?」
「アホなことって……私は冷静に分析しているだけなんだがな。しかしそうだな、ハッグのような同業者ではないだろうし、エンプーサ辺りなら体調不良を起こすはずだがそれもない、スクブス辺りが関係している可能性が現段階では高いな」
「なにそのスクブスとかエムプーサって?」
なにやら不気味な単語の羅列に夏香は慄く。歳相応にアニメや漫画をよく見る彼でも、キリスト教の教えに出てくる悪魔や、イギリスの伝承に登場する魔女は知らなかった。
「スクブスは淫魔だよ、サッキュバスと言えばわかるかな」
「は? さっきゅばす?」
間の抜けた顔で聞き返す夏香に、法がドキリとするような柔らかい口調で尋ねた。
「最近、身体がだるくて寝ても体力が回復しないなど、もしくは夢○などをしていないか?」
「はい? 今なんと?」
なにやら美少女からとんでもない単語が飛び出てきて、夏香や魔女の登場に聞き耳を立てていたクラスメイト全員が凝固する。あまりに聞き慣れない単語だったので、よく聞こえなかったりもした。卍だけが呆れたような表情で首を左右に振っている。
「だから……夢」
「説明しなくていいから! ねぇ卍! この人本当に大丈夫なの!?」
人選を絶対に間違えていると再判断して、夏香がもう一度叫ぶ。
「だから、性格が歪んでいるだけだと言っているだろう」
「さっきは聞き流したけど、よくよく考えたら駄目だよねそれ! 大切だよ中身!?」
色々と残念なことに夏香は気付く。対して、法は口元に手を当て思案顔になる。
「それだけ元気ならスクブスではないか。まさかとは思うが、薬などはやってないだろうな」
その表情は凛々しさと相まって様になっていたが、出てくる言葉はロクでもない。
「幻覚じゃないよ、本当に見てるんだって。綺麗で可愛い女の子が手招きする夢を!」
「声を荒げて真実味を持たせるのは良いが、周りがドン引きしているぞ」
夏香と魔女の発言に、周囲のクラスメイト達が顔を見合わせてヒソヒソ話を始めていた。
「しまったッ! 聞いてくれみんな! 僕は無実だ!」
今まで築き上げた評価がどん底まで下がったのを感じ、周囲の理解を求めるように訴える。
周りの反応には眼もくれずに思考を続けていた法が、夏香と卍に背を向けた。
「すまないバン。この件は保留だ、今日はまだ行く所がある。そうだな、続きは放課後だ」
「わかった。できるだけ早く頼む」
そんな気まぐれな言動には慣れているのか、卍は静かに頷いた。
夏香は頼った人物を間違えたと後悔する。結局、解決するどころか無駄に疲れただけだった。
法が現れた時と同様に、音もなく去っていく。その後ろ姿をジト目で見送りながら、夏香はぼやく。
「本当に変な人だよね。あの人を許容できる人を、僕は心の底から尊敬できると思う」
「そうだな、性格が歪んでいる以外は比較的まともなんだが」
躊躇いなく頷きながらサポートする卍に、夏香は質問する。
「周りの人達からよく質問されるんだけど。卍とあの人は付き合ってるの?」
「ないな、あり得ない。それにお前ならわかるはずだ、俺がそういうのは作れないと」
卍が首を左右に何度も、重々しく振りながら断言した。
「そうだよね。卍、潔癖症だし……彼女なんてできるわけないか」
その言葉に改めて判断する夏香であった。ふと間違えれば悪口にしか聞こえかねないが、卍は気にした
様子もない。気心を知っているからこその発言だ。
「それに相手は法だぞ。お前はアレと付き合えるのか? 俺は嫌だぞ」
「確かに。綺麗な人とは思うけど……魔法少女って今時どうなんだろう?」
先程の法の発言を思い出し、夏香は肩をすくめる。魔法少女、つまりは魔法を使う少女のことだ。夏香にとってはアニメや漫画の中で飛び交う空想の産物である。そんな物の名前を連呼する美少女に対して生まれるのは、好意ではなく嫌悪にも似た不快な気持ちだけだ、
「本人いわく、魔女より可愛いから魔法少女と名乗っているそうだ」
「どっちもどっちだと思うけどなぁ~。けど、うん、紹介してくれてありがと卍。とりあえず悪夢の事はあんまり気にしないようにするよ」
「良い傾向だ。いつまでも夢に浸るのは良くない、いずれ引き摺られることになるからな」
夢の事ばかり考えるから、またその夢を見る悪循環、それが永続するとどうなるか?
「その心は?」
「現実に戻れなくなるから気を付けろ」
遊びの無い大真面目な顔で卍が警告する。それは脅しではなく、心からの忠告だろう。
「ですよねー」
しかし、常時無表情のため、いつも真剣な顔になるのを知っていた夏香は軽く聞き流した。