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志乃森町野乃  作者: 停滞
2/2

終わり

 あれからシノは約束通りノノには会わなかった。

 というより、ノノ自体に会えなかった。

 まるで今までのことは夢だったかのように。

 しかしある日のこと、一通の手紙がシノのもとに届いた。

 それはノノからのものだった。しかしシノは読まずにそれを捨てようとし、しかしできずバッグの奥深くにしまった。

 それからしばらくして、工芸品ができ受け取ったシノは旅経つ支度をしていた。

 そんなシノの耳に届いた話はノノが消えたというものだった。

 少し出かけて来ると言ったきり帰ってこなかったというのだ。

 村行く人は皆噂をしていた。

 ノノは化け物に食われたのではないかと。

 宿に向かったシノはそこでノノの父親に会った。

 少し前に会った時とは打って変わってすっかりとやつれた顔をしていた。

 話しかけた時、シノはいきなり胸倉をつかまれた。

 娘をどこにやった。お前がどこかにやったのだろう、と。

 シノは違いますと首を振った。

 すると父親はぼろぼろと涙をこぼした。

 お前だ、お前に違いない。お前だ。お前じゃなきゃ、娘はどこにいるんだ。外で最近出る化け物に食われたと? お前までそういうのか。そうじゃないだろ。お前だ、お前に違いない。頼む、そうであってくれ……。

 胸倉から手を離した父親は泣き崩れて地面に伏せた。

 シノはどうしていいか分からずそれをただ見ていた。

 しばらく沈痛な空気が流れた。

 その時シノはふと台所から水の流れる音と食器を洗う音が聞こえているのに気付いた。

 そこへ見に行くとそこにはノノの母親がエプロンを着て洗い物をしていた。

 ノノの母親はシノに気付くと笑顔で「あら、久々ね」と言った。

 シノは最初、この女は狂ったのかと思った。だがその笑顔には何の狂気もなかった。

 母親は普段とまるで変っていない。父親の反応がおかしいかのようだった。

「娘さんがいなくなったそうですよ」

「そうね」

 何でもないかのように母親は言う。

「ノノが心配じゃないんですか?」

「そうね、大丈夫でしょ」

 話がいまいちかみ合わない。

「ご主人の方はもう限界みたいですよ」

「しょうがない人でしょ? 生きて帰るように祈りましょって言ってあげても全然しないで絶望してばっかり。村の人も元気出してってうちに訪ねてきたり、困ったものねえ」

「それが普通でしょう」

「そうとも言えるわねえ」

 困ったように笑うノノの母。

「でも私にはできないなあ。そういう心配する資格、私にはないもの」

「どういうことですか?」

「私、若いころに故郷を捨てたの」

「故郷を?」

「ええ。私家族が大っ嫌いだった。いつも私を束縛して危険なことや危ないことを私から遠ざけようとばかりしていた、そんな両親が大嫌いだった」

 かちゃりと食器を置いて彼女は蛇口をひねった。水の流れる音が止まり、濡れた手をエプロンで拭い始めた。言葉は続く。

「だから15歳くらいのころに家を飛び出した。何の変わり映えのない安全な日々に飽き飽きして。とても刺激的で素晴らしい日々だった」

「でも結婚したんですね」

「ええ、ある日急に一人が寂しくなって。旦那に出会ったのはそんな頃ね。獣に襲われてるの助けたのよ。感謝されて、家に招かれて、何となく一緒にいて、結婚した。そんな感じだったわ。結婚して何年かたってあの子が生まれた。可愛かったわ。愛したわ。とても充実してた。家族の幸せっていいなって」

 そしてまたノノの母は困ったように笑った。

「それで気づいちゃったのよ。私の両親が何であんなに私から危険を遠ざけようとしてたかって。でも気づいた時にはもう遅い。私の故郷、流行病で廃れちゃってなくなってたの。それを知ったのが2年くらい前。それから間もなくしてノノが外を見たいって言い出した」

「……」

「私にノノを止める資格はないわ。好き勝手生きて両親を切り捨てた私の罰。ノノがそうしたいって言うなら、笑顔で送り出すわ」

「しかし、もしその理屈で行くなら、ノノもまたいずれ貴方が気づいたように自分の過ちに苦悩することになるのでは?」

「そうかもね」

「なら繰り返しになるのでは?」

「ダメよ。あの子私の娘だもん。聞かないわ。……いえ、違うわね」

「?」

「私にはできないわ。あの子が外を見たいって気持ち、痛いほどわかるから」

「……」

「世間知らずでいるのが怖いのよ。護られてばかりの人生。とても幸せなことだわ。でも護る人がいなくなったら、護ってくれる人がいなくなったら、自分はどう生きていいのか。そうなったら、どうなるのか。シノさん、貴方には分かるんじゃないの?」

「……なぜですか?」

「戦と病ばかりがはびこるこのご時世でわざわざ旅人を選ぶ人間なんて、ただの死にたがりか自分の価値を高めて今を変えたいと思う人間しかいないわ」

「……」

「私の見立てでは、貴方は後者」

「違います」

「じゃあ前者?」

「もっと違います」

「じゃあ?」

「……」

「……まあ、いいわ。長々お話しして悪かったわね。そう言えば、見たところこの街出るみたいな格好だけど」

「今日立つ予定でした。でも」

「ノノがいなくなったって話を聞いたから来てくれたの?」

「……」

 シノは無言でうなずいた。

 それを見たノノの母はなぜか微笑みを見せた。

「そう。ありがと。そうだ、ちょっと待ってて」

 そういってノノの母は台所を出ていった。

 少しして戻ってきた彼女の手には大ぶりなサバイバルナイフと猟銃が握られていた。

「これは?」

「私のお古よ。今は使い物にならないけどね」

「それをどうして?」

「私はこの2つの形状結構気に入っているの。それで似たようなナイフと銃を買った。使ってたのはもっぱら旦那だったけどね」

「?」

「あの子はその2つを持って消えたわ」

「え?」

「ちょっと出かけてくるって言って出て行ってしばらくして旦那が狩りに出ようとして、その2つが無くなっているのに気付いて、そこで娘が出ていったことに気付いたの。あの時の旦那の慌てぶり、見せたかったわ。ある意味ね、ふふ。ああ、あとこの形状の2つはもう販売されてないの」

「……」

「話に脈略がないって顔してるわね」

「そういうわけでは」

「もし、よかったらあの子と旅してあげてくれない?」

「……は?」

「結構目印になると思うわ。割と珍しいからマニア間では高値で取引されてるかもしれないし。ま、生きていたらだけど」

「……」

「一人は寂しい。あなたはそれに気づいてるから、あの子を邪険にしなかったんじゃないの?」

「そういうつもりでは」

「話好きってのは裏返せばそういうもんだと私は思ってるわ」

「……」

「じゃあよろしくねシノさん。もしあの子に会ったら疲れたら帰ってきなさいとだけ言っておいて」

「それだけで?」

「ええ。好きに生きろと言いたいけど、旦那の顔も立てないとね」

 未だ隣の部屋で泣き崩れるノノの父親をやれやれというような目で見るノノの母。

 気圧されてばかりいたシノは結局流れのままうなずくだけだった。

 そのときふと、思い出した。

「そういえば、俺手紙を預かりました」

「あの子の?」

「ええ」

「誰宛?」

「俺、でした」

 それを聞くと母親は意味深な笑みを浮かべた。

「じゃあ、いいわ」

「え?」

「あなた宛てなら私たちが貰うものじゃないわ。内容を読むべきでもない」

「そういう問題ですか?」

「いいの。じゃ、よろしくね」

 追い出されるようにノノの家族と別れたシノは、釈然としなかったがそのまま村を出た。

 森に入り、数日歩いた。

 ノノの母は言った。

 このご時世で旅人をする人間のこと。

 シノがさまようようになったのは故郷が滅んだからだった。

 晴れの日は外でみな働き、雨の日は家屋の中でみなで催しをし楽しむ、自然豊かな平和な町だった。

 シノの町は他の町々の戦に巻き込まれる形で崩壊していった。

 そこで数少なく生き残ったのがシノだった。

 本当にただ偶然、たまたま生き残った。生き残ってしまった。

 雨の日に皆で楽しむための講堂。そこにたまたま行かなかっただけ。

 誤爆された場所がたまたま講堂だった。

 それだけで、町の人のほとんどが死んだ。

 生き残ったのは12人。少しの大人と少しの子供と少しの老人。

 そのほとんどは少しして、死ぬかいなくなった。

 街に残ったのはシノと数人の子供、そして一人の大人だけだった。

 それが14歳のころの話だ。

 シノは残った人とともに生きた。

 父親の手伝いでしていた見様見真似の狩りは、初めはうまくいかなかったが16歳になるころには飢えを満たせる程度には成長していた。

 旅をするようになったのは18歳になってからだった。

 シノたちは皆の墓となった講堂に年に一度花を添えていた。

 そんな時シノはふと漠然と思った。

「動けないみんなに色んなものを見せてあげたい」

 その考えに生き残っていたその大人は賛成した。

 お金はただの空き家となった家々から貰った。狩りと自然の作物だけで生計を立てていたシノたちと物言わぬ廃屋には無用の長物だった。

 初めて行った知らない街で、まだ自分の街の所在証明が仕えた時は笑い出したい気持ちだった。

 狂ってしまおうかとさえ思った。

 世界は未だシノの街を街と認めていた。

 6人にも満たない人口の街なのに、だ。

「……」

 シノは歩いた。

 もうあと二日歩けばあの村の領土を出る。

 出てから四日歩けば自分の故郷に帰る。そこまで行けばあの可愛そうな父親との約束も関係なくなる。そこで手紙を読もう。そう考えていた。

「……」

 ごそごそとバッグを前に持ってきて中から手紙を出した。

 世の中いつ死ぬか分からないんだから気になったら読めばいい、そう言い訳した。

 内容を読めばそこに書いてあったのは大したことではなかった。

 父の言葉に対する謝罪。

 シノに迷惑をかけたことに対する謝罪。

 家を出ていくことにした決意。

 いつかでどこかで会えたらいいねという希望。

 それで終わっていた。

 ふふ、とシノは笑い手紙をまたバッグに入れた。

 もし会えたらまた笛を吹いてほしいなと考えていた。

 その時、ふとシノは眉をひそめ立ち止まった。

 銃声が聞こえたのだ。

 それも割と近く、本当にすぐ近くで。

 何かと考えた時にはすでに駆け出していた。

 銃声がした場所にはすぐ着いた。

 そこには巨大な体躯のあちこちから血を流す夜叉熊と、あちこちに擦り傷を負ったノノがいた。

 夜叉熊を見た瞬間に、シノは奇妙な既視感を覚えた。陰で顔の見えない夜叉熊になぜかそう思えた。だがそれは一瞬だった。ノノを見た瞬間にそれは消えていた。

 大木の足元でカチカチと弾の出ない猟銃を両手にしてノノは追いつめられていた。

 その体のあちこちには痛々しい切り傷と血があった。

 シノがカノンを抜いて夜叉熊に飛び掛かったのはそれを見た瞬間だった。

「シノさん!?」

 驚いた声を上げるノノにシノは返事ができなかった。

 夜叉熊が気配に気づいたのか瞬時に標的をノノからシノに変えた。

 勝負はすれ違う一瞬で着いた。夜叉熊の鋭利で太い爪がシノを引き裂き、一方のシノは夜叉熊の眉間に3発銃弾を撃ち込んでいた。

 切り裂かれ弾き飛ばされたシノは地面に叩き落され、夜叉熊は何かに手を伸ばすようにして倒れた。その動作を見てシノは、夜叉熊を見て覚えた既視感の正体に気付いた。

「シノさん!!」

気づけば目の前にノノの顔があった。泥だらけで傷だらけの顔に涙を零して。

「シノさん、血! 血が!」

「……ああ……」

「シノさん!シノさん!? 聞こえてる!? 私の声聞こえてる!?」

 ぼんやりとした視界の中で、シノは大丈夫と言おうとした。しかし口から出たのは言葉ではなく大量の血だった。

 ふと視線はノノから地に倒れる夜叉熊に移った。

 見たことあると思ったのは当然だった。

 以前、サーカスで団員たちと仲良く催しをやっていた夜叉熊だった。額に撃ち込んだ時にしたあの動作、そして間近まで迫った時に陰で見えなかった部分にあった潰れた左目にあるスペードのペイント。間違いなかった。

「あ……れ……」

「シノさん、しっかりして! ねえ!」

「め……」

「め? なに?」

「あれの……め……うった?」

「え、ううん。アタシが最初に見た時にはもう……」

「……ああ……」

 物騒なこのご時世、何が起きてもおかしくない。

 きっとサーカスの人たちは死んだのだろう。

 直感的にそう思っていた。

「のの……ちゃん」

「待って、すぐ誰か呼んでくるから。だから、だから!」

 無理を言う。ぼんやりした意識でシノは笑った。ここから近くの集落まで2日はかかるのだ。

 助からないなあ、と他人事のように思った。じゃあ、伝えることは伝えようと、シノは生きれるだけの余力をかけた。

「つかれたら……かえって……きてってさ」

「え!?」

 ごほ、とシノはむせた。その口からは血があふれた。視界がかすむ。よく見えない。

「のの、ちゃん、きこえる……?」

「きこえるよ、アタシわかるよ!」

「たびってさ、なにが、あるか……いきるも……しぬも、わからないから」

「うん、うん!」

「いつどうなってもいいって、おもえば……らくだから」

 声が遠く聞こえてきた。感覚も遠い。シノはそれでも声を絞り出した。

「おね、がいがある」

「なに、なに!?」

「にもつ、こきょうに、とどけて。みんなに、みせたい。しょざいしょうめいは、はいってるから」

「分かった届ける! 届けるからしっかりして! シノさん! シノさん! シノ――」

 声が聞こえなくなった。静かな空間に投げ出された。でも身体はふわふわしていた。何かに似ているなとシノは思った。そして、ああと気付いた。

 寝る時に似てるんだと。

 なあんだ、とシノは笑う。

 ならまたきっと、起きるのだろう。

 それなら何も問題ない。

 目が覚めたら、また故郷のみんなにお土産を持って帰ろう。

 そして土産話をしてまた旅に出る。

 なあんだ、何も変わらないじゃないか。

 最期の息を吐いて、シノは笑った。


 世界は回る。

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