秋空の色
マニキュアの刷毛でなぞったような白い雲が高く澄んだ空に浮いているのを左雨はぼんやりと見上げた。手には不動産屋のチラシが何枚も入ったクラッチバッグを持っている。
「そういえばこんな青だったな……」
「ねえ、透明感がある青いネイルポリッシュやジェルネイルある?」
Lyftのコスメフロアを訪れた左雨は久しぶりに見かけた睦月に声をかけた。
「お久しぶりです。秋の空の色みたいなネイルですね。秋だからくすんだ色や赤系とかが増えてきてて青はあんまり種類がなくて」
眉毛を下げて眼鏡越しに見上げてくる睦月が申し訳なさそうだ。でも、どちらかと言えば悪いのは左雨だ。
「あれ? 眉毛整えた?」
「あ、はい。この前美容院で髪と一緒にお願いしました」
左雨のなかの睦月観がアマミノクロウサギからイエウサギくらいにランクアップした。
左雨は七階のカフェのカウンター席で新しいインクを試している睦月を見かけた。席をひとつ挟んだ隣に座ってエスプレッソを注文する。気温が下がってくるとコーヒーもどっしりしたものが欲しくなる。
「どうして秋の空みたいなマニキュアが欲しかったんですか?」
睦月がこちらを向いて尋ねてきた。
「初めて僕が塗ってもらった子供用の水性ネイルがそんな色だったんだ」
「塗ってもらった?」
「そう。実家の近所にあった美容院のお姉さんがネイルもやってたんだ。彼女が僕に好きで彩るのは楽しいことだって教えてくれた」
友達と遊ぶ約束をした日に母にねだって買ってもらった子供用の青いマニキュアを塗った。爪から青がはみ出したのも構わず弾む足取りで向かった公園。
「男なのに変なのー!」
今から考えればきっと友達に悪気はなかった。時代もジェンダー観もまだ左雨とは遠かった。それでも小さな左雨は悲しくて家まで逃げるように走った。
ちょうど母が美容院に行く日だった。泣きながら事情を話した左雨を母は美容院へと連れ出した。
「麗はどこも変じゃないよ」
美容師がくしゃりと左雨のやわらかな髪を撫でた。
「好きな色を塗って楽しかったんでしょ? みんな好きな色の服や靴で遊びに行くじゃない。それと一緒。好きな色で出かけるのは楽しいことだよ」
「ほら、泣いて目をこすっちゃったんでしょ。マニキュア剥げちゃってるからお姉さんが塗ってあげる。お母さんも一緒に」
もう顔も声も思い出せない。左雨にとって美容院のお姉さんは大切なひとだった。
「左雨さんとそっくりですね」
ふわりと笑う睦月に左雨は目を瞠った。
こぽこぽとコーヒーを淹れる音がキッチン部分から聞こえる。
カップがあればさりげなく下を向けるのに。
エスプレッソはまだ来ない。




