第六章「鬼の名」
『璃子や、さぁ…こちらにいらっしゃいな。』
『はい、おかあさま。』
『このお方が貴女が生涯お世話致す伊國のお世継ぎですよ。申し遅れました、若様。こちらが娘の璃子でございます。年端もいかぬ故、暫くは十分なお世話を致しかねます事、お詫び申し上げます。』
『構わぬ。もとより承知だ。公三郎とも良い遊び相手になろう。』
『有難きお言葉にございます。璃子、貴女もご挨拶申し上げなさい。このお方が伊國家の…この村の次期ご当主、御名は………』
璃子は再び見ていた幼き日の夢から瞳を開けた。数日前に見た夢よりも、更に遡る瑠璃姫の嫡男に会った日の記憶。なんとも鮮明な夢であった。当時数えでやっと三つになるかならないかの齢…普段思い起こせることでさえ不明瞭な部分が多いにもかかわらず。
璃子は庭の雀がやっと鳴きだした早朝に布団から静かに起き上がった。傍らの母はまだ眠っている。やや卯の山際が紅くなり始めているのが障子越しに見て取れる…日の出は随分遅くなった。
瑠璃姫様…有難うございます。
その僅かな来光に、璃子は手を合わせて呟いた。幼き日の記憶…呼び覚ましてくださったのは貴女様に間違いないのでしょう。そう確信して璃子は柔和に微笑むと、随分珍しく母よりも早く起床し着替え始めた。
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「若様には十分に感謝申し上げねばなりませんよ。」
璃子の外出制限を解いて、母は念入りに璃子に言い聞かせた。母はもっと長く門限を制限しているつもりでいたが、公三郎の懇願にその決意を改めねばならなかったのだ。
「承知いたしております、母様。またその節は大変申し訳なかったと、重々反省いたしております。」
「あぁ…それならば危ない真似を致すのはこれきりにして頂戴な。ただでさえ鬼の噂絶えぬ山際にいるのですから。」
「はい…母様。」
璃子は母の言うところの〟鬼〝を弁解したくてたまらない気持ちを何とか抑え込んで返事をした。その鬼の真のところは悪鬼などではなく、災いを祓う清浄なお方なのですよと、そう言葉にする寸前で、改めて〟時期ではないのだ〝と留まった。
セイにはあれから幾日も会っていない…会って確かめたい事がある。セイ自身の体の具合と、そして…
「あぁ…ここにいたのかい、璃子。」
突然顔を出した公三郎に母子は慌ててお辞儀をした。いつものように穏やかな公三郎は、その手に持っていた書状を璃子に差し出した。表に〟奉納〝と書かれた少し重みのあるそれを璃子は歩み寄って受け取った。
「これは…?」
「その書状を子の祠に届けよとの父上からのお達しだ。じき催される秋祭りへの奉納金だよ。今年は奉納するのが少し遅れてしまったが、いつものように決して開封せずに届けて欲しい。」
「はい、必ず仰せの通りに、若様。」
璃子はそう返事をして心底嬉しそうに微笑んだ。来年の種籾を同封した金一封を預けられるという公三郎からの信頼と、違和感なくセイに会いにいける喜びに。
「ふふ…いつになく嬉しそうだね、璃子。さぁ、行ってきなさい。門限が解かれたとはいえ、遅くなっては母君が心配なさる。」
「お心遣い、痛み入ります。」
「では確かに承りました。行ってまいります。」
璃子は軽やかな足取りで伊國の敷地から外へ出た。門限のために家にずっと留まるのも苦痛だったが、何よりもセイの元へ行けなかったことに心を痛めていた。璃子の中の彼の記憶は、卯の山でひどく辛そうな姿で止まっている。
血の跡を残して消した姿…どうしただろうかと思わない日はなかった。それがやっと解放され会いにいける…あの夢を確かめる事ができる。璃子はいつになくはしゃいでいた。軽やかな足取りで山へと向かう。
もしこの時、以前のように山を恐れ警戒していたならば、璃子も僅かに感じられる重々しい雰囲気に気がついただろうか。喜びは時に人を盲目へと陥れる。今この時にあって、それは璃子の目を閉ざしてしまう事になっていた。山へと向かうその背後にねっとりとした不快なものが、敷地を出た直後から璃子の後をつけて来ていた事に気付かないほどに。
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璃子は今は廃れた酉の山の山道を、子の山に向かって歩いていた。村の中の道ではなくわざわざ山の中の道を選び、いつもの歩く速度よりも幾分早く歩を進めていく。揺れる木漏れ日が心地よく、何もかもが背を押しているとすら感じられる。璃子は少し息を切らせながら辺りを見渡していた。
このままあの方を探しに行けたらどんなに良いか…せめて行く道すがらでお会いできないものか。今はただお会いしたい…一刻も早く、お会いしなければ。
「セイ殿?」
璃子は不意に背後に独特の気配を感じ取って立ち止まり、振り返った。僅かに人外ともおぼゆる気配…セイのものもそうであったのだ。人でありながら、決して人の纏うことの出来ない雰囲気を併せ持つ。以前はそれを恐怖が探知していた。しかし今となっては、あの懐かしい親しみがセイの気配を知らせていた。
あの方が既に近くにお出でなのだとしたら…あぁ、これ以上のことはない。璃子は進行方向を変更した足を、僅かに動かそうとした。だが…
「…違う…」
璃子は眉間にしわを寄せ、そう口にしながら〟しまった〝と心で呟いた。脈が途端に激しく打ち始める。同じく人外なこの気配…これはセイとは違う禍々しいもの。もう二度と遭遇したくなかった不快な膜。いつものように突如として現れるのではなく、いやらしいほどに静かに近寄ってくる。今は一定の距離…しかし璃子が一歩退くと、ズズッと重みのあるものの地を這いずる音が聞こえてくる。
一体いつから自分の後に潜んでいたのか…セイに会えるかもしれないことにうかれ、周りが見えていなかった。せっかくあの方が〟命を狙われている〝とご忠告くださったのに…。
「…けれど…まだ幸いなるかな…」
今までは猛烈な速さで近づいてきては否応なしに飲み込まれていたけれど、今度ばかりはじりじりと少しずつ迫ってくる。激しい鼓動に体まで震えてきそうな璃子の頬を、冷や汗が一筋伝う。以前とは異なり、体はまだ十分動く…しかし姿が見えない上に、その距離は少しずつ縮まってきている事を恐怖に感じる事に変わりはない。この張り詰めた空気をいかにして看破するべきか…少しでも隙を見せれば飲み込まれそうな予感は耐えることがない。
璃子はぐっと覚悟を決めると、素早く踵を返して脱兎の如く走り出した。同時にザザザザッと、まるで大蛇が這いずるような音が背後で響く。璃子は木の間を不規則にすり抜け、追ってくるモノを撹乱しようと試みた。しかしモノは璃子よりも器用に木の間をすり抜けて、どんどんと距離を縮めていく。その距離はもはや拳いくつ分とない。絶えず地を蹴り上げて走る璃子の足を、どの機で掴もうかとしているのかが感じられる。目に見えぬ大蛇が牙を剥いて、今にも噛み付こうとしているかのように。
もう…もう駄目だわ…
璃子はもはや捕まる覚悟で走っていた。心中でセイが来てくれることを望みながら、一方で〟そうそうは来ない〝といった言葉が繰り返される。全ては私のせい…命の危険を軽んじた事も、わざわざ酉の山道を選んだことも。
あぁ…ごめんなさい、母様…!!
不意にドスッと鋭く地を貫く音が耳に入る。
「あ…!」
璃子はその音に一瞬気を取られ、足がもつれて倒れこんだ。呼吸困難に陥りそうなほどに息を切らせて。
「あれほど用心しろと言っただろう。」
肩越しにくぐもった声が聞こえてくる。装飾刀を容赦なく地面に突き立てて、こちらに背を向ける影。
「セイ殿…!」
璃子は不謹慎だと思いながらも、心底嬉しそうにその名を呼んだ。変わらぬ姿…体に僅かに傷跡が残っているが、あの夜の傷は完全に癒えているようだ。
「これで決定的だな。」
セイは璃子のそんな思いを聞き流すように、すっと立ち上がって装飾刀の突き刺さる先を見た。そこにはどす黒くドロドロとした不定形な塊が、いかにも醜く溶け出していた。
「そ…それは…?」
「邪気の塊だ。ご丁寧にもそなたの後をつけ、人気の無い場所で憑り殺そうとしていた。」
「まさか…」
「…璃子、そなた何を持っている?」
セイは黒い面をつけたまま振り返った。穏やかな声色とは裏腹に、変わらず厳しい面持ちの鬼の面。再びあの端正な素顔は閉ざされてしまった…けれどそれでも良かった。尋ねたセイの言葉がとても優しかったから。
「何をと仰いましても…」
璃子は不可解ながらも袂や懐を探った。出てきたのは重みのある包み紙。厚手の和紙に〟奉納〝の文字が記されている。
「…貸しなさい。」
セイはそれを鋭く見咎めて、璃子からその包みを受け取った。そして璃子が決して開けてはならないと言われていたそれを、有無を言わさず開封した。璃子にはセイのその行動を止める事ができなかった。
「手を。」
「あ、はい。」
セイに言われ璃子は咄嗟に両手を椀状に添えて差し出した。セイはその手に包みの中身…奉納金と種籾を乗せる。
「それを暫し預かっていなさい。」
セイはそう言って残った和紙をピンッと広げ、それを静かに地面へとおいた。そして今やすっかり邪気の消えた場所から装飾刀を引き抜き、おもむろにその切っ先を握って自らの手を切った。途端にセイの鮮血が溢れて滴り落ちる。セイは何も言わないまま、その血で数滴和紙を染めた。更に血に濡れた指先で刀の腹に一本線を引いて片膝をつくと、真っ直ぐ和紙に刀を突き刺す体勢をとった。
「息災退散!」
その掛け声と共に鋭く装飾刀を突き立てる。先程邪気を貫いた時と同じ音、同じ振動が辺りを震わせる。装飾刀の刺さった先では、和紙の上に滴った血と刀の腹の赤い線が和紙に吸い込まれるように消えていった。それと同時に誰のものともつかないおぞましい呻き声が上がる。複数のくぐもったような断末魔にも等しい声。璃子の体に一気に鳥肌が立つ。その声の主は和紙…セイが刀を突き立てた瞬間、何らかの黒い文字が無地だったはずの和紙に浮かび上がったのが璃子にも見えた。見覚えのある黒い墨…瑠璃姫の家系図の嫡男の名を消していた色と全く同じ。
璃子は瞬きもしないで和紙の変化を捉えていた。浮かび上がった文字は、邪気と同じようにドロドロとに醜く溶け出していくと和紙を真っ黒に染め、そして自然発火して塵一つ残さず消えていった。
「い…今のは…?」
「邪気を呼び寄せ憑り殺すようにという意味合いの呪歌だ。これを書いたのが誰か、分かるか?」
「…いえ、私は伊國の若様…公三郎様からのお達しで預かったもので…。公三郎様も大旦那様からお申し付け頂いたようです。」
「…毎年同じように奉納されていたのか?」
「はい。私がお持ちするのはこれが初めてでしたが…」
「なるほど…そういう訳か。」
セイは苦々しい声で何かに納得すると、懐から手ぬぐいを取り出し二つに裂いた。その片方を血にまみれた左手に巻き、もう一方で璃子の手に乗せていた奉納金と種籾を包んだ。
「璃子、そなたは適当に時間を見て帰りなさい。子の祠へは私が行く。」
「いえ…!貴方がいらっしゃるなら私も参ります。」
「ならぬ。あの場所はもはやそなたにいい影響を及ぼす場所ではない。」
「しかし貴方はそこへいらっしゃるのでしょう?」
「私の場合は話が別だ。だがそなたが行く事は私が許さぬ。私の言うことを聞いて帰りなさい。」
セイはそれだけ言うと素早く踵を返し、璃子がついて来れぬくらいの速さでその場を後にしようとした。璃子が来ることを拒む背中…逃せばまたいつ会えるかも分からない。
「お願いです…!今しばらくお待ちを……清十郎様!!」
璃子は咄嗟に鬼の名を呼んだ。それは夢で囁かれた嫡男の名。その言葉にセイの足が途端に止まる。
「…何故…その名を…?」
セイはゆっくりと振り返った。鬼の面は未だつけたまま…
「貴方のお顔を拝見してから、貴方の御名の心当たりを探しておりました。貴方は瑠璃姫のご嫡男、清十郎様でございましょう?」
セイは言葉を返さず、璃子の言葉を聞いていた。森の中に佇む単身痩躯…その心に何を感じているのかはまったく掴めない。
「…名を思い出すとは…」
ややあってセイは呟き、そして面を留めていた紐を解いた。今再び璃子の前にはセイの素顔が現れていた。相変わらず短い白髪、緑の瞳に浮かぶ三日月、その端正な顔付きに間違いなく懐かしさを感じる。小さい頃に目にしていた姿とは随分かけ離れてはいるけれども、その声や立ち居振る舞いは何ら変わっていなかった。
「何故…私の名を見抜いた?」
「瑠璃姫様が夢をお与えくださいました。貴方に初めてお会いした日の夢…やはり清十郎様に間違いないのですね?」
「……あぁ」
その返事と同時に風が辺りを駆け抜ける。木々の擦れあう音が二人の間に響いた。
「私…貴方がお亡くなりになったものだとばかり思っておりました。お恥ずかしい話、貴方のお名前すら思い出せませんでした。」
「…どちらも真なる鬼の仕業だ。」
「一体何がどうなっているのでしょう?真なる鬼とは一体何者で、何が目的なのでしょう?貴方や村の名を封じ、災いをもたらす…何処で糸を引いているのやら…」
「それは分からぬ。しかしそなたが私の名を思い出したことは、確実に大きな一歩になる。感謝するよ。」
そう言って清十郎は柔らかな表情を見せた。璃子は名を思い出したことをさほど大きなことではないと感じていたが、清十郎にとってはこの均衡をとうとう崩すにふさわしいものだったのだ。
「これまで貴方に何がったのか、お聞きしても…?」
「…いや、心苦しいが今はまだ全てを話すわけにはいかぬ。あの紙の出所が何処であれ、今の伊國家は大変に危険だ。そなたはまだあの家で過ごさねばならぬ。真実を知りすぎることは決してそなたの身を守るものにはならない、むしろ危険だ。今はただ私の名を知ったことだけを隠し、後のことは知らないままでいなさい。鬼は小さな疑心から心に入り込む。隙は最初から作らないほうがいい。」
清十郎は落ち着いた口調で璃子を諭した。幼き日に遊んでいた折にもそうであったように。
「…どうした?璃子。」
璃子の目が見る間に潤んでいく事に気がつき、清十郎は穏やかに尋ねた。
「なんでも…何でもないのです…。ただ貴方がこうして生きていらして、またお目にかかれたことが嬉しいのです。お亡くなりになったものと教え込まれておりましたが、それでもお会いしたいと常々思っておりました。」
そう話す璃子の目からポロポロと涙が零れる。細い絹糸のようだった繋がりは、今や幾重にも重なる注連縄のように揺るぎないものとなっていた。
「…だが私ももうこのような姿だ。そなたがおぼゆる〟清十郎〝とは似ても似つかぬ。」
「いいえ…どのような御姿でも清十郎様である事に変わりはありませんわ。お小さい頃より私を諭してくださったり、助けてくださったり…何より村をお思いになるお心は、伊國のご嫡男そのもの…」
「それももはや過ぎたこと。今や鬼と称され、伊國とは縁の切れた身。〟清十郎〝は死んだ。」
「しかし…貴方はこうして生きておいでです。何故ご自分の名を仰いませんでしたの?」
不要の誤解など、その名一つで一蹴できようものを。よもや自分の名を忘れたわけではあるまいに、何故〟セイ〝などと仮の名を名乗ったのか。
「…伊國とこの村を守るために亡きものとなった我が名、それを口にして均衡を崩すわけにはいかなかった。」
清十郎はその言葉を言い終えてから、璃子に目線を合わせる。
「知れば混乱を招き、ますます真なる鬼の力を強めるだけ。互いに鬼の正体を知らずに探り合うのが、一番手っ取り早かった。」
「真なる鬼は…貴方の正体を知りたいのでは?」
「いや…名の言霊はあやつにとっても脅威なのだ。私の名を正しく思い出されれば、邪気を脅かすものに他ならない。それ故に知ること、知られることをひどく恐れた。だから璃子、そなたが私の姿に恐怖を抱かずに、自ら私の名を思い出してくれたのは大きな力になるのだよ。」
清十郎はその言葉を言い終えるまで、決して璃子に合わせた目を逸らさなかった。それが璃子に信頼をもたらす。
「璃子、そなたはもう行きなさい。私も急ぎ子の祠へ行かなくては。」
清十郎は再び黒い鬼の面を顔へあてがう。
「子の祠へ?」
「昨今子の山神の力が弱まっていると感じていた。おそらく今まで奉納されてきた全てに呪歌が記されているのだろう。それを浄化せねばならぬ。」
「…さもあらばこれを…」
璃子は懐から自分の手ぬぐいを出すと、未だ血の止まらぬ清十郎の左手に巻き始めた。清十郎が自らで巻いた手ぬぐいは、その止まらぬ血にもはや赤い布のようになっていた。
「待ちなさい、璃子。」
清十郎は璃子の手を止めさせ、血に染まった真紅の手ぬぐいを取ってそれを代わりに璃子に差し出した。
「あまり気持ちの良いものではないが、これを持って行くといい。私の血には邪気を浄化する力がある。必ずやそなたの身を守ろう。」
「あぁ…忝のうございます。」
璃子は血に染まった手ぬぐいを恭しく受け取った。清十郎の血に何故そのような力があるのかは分からなかったが、その力の実証を今正に目の当たりにしたからだった。
「それを必要以上に毛嫌う者がいたら注意なさい。その者が糸を引いている可能性が高い。」
「はい、清十郎様。何か私にできる事はございませんでしょうか?」
「…では一つ…」
璃子の言葉に清十郎は辺りに響かないような声で囁いた。
「私の名を思い出したように、この村の名を思い出して欲しい。おそらくは真なる鬼の仕業で巧妙に隠されているかもしれないが…」
「分かりましたわ、必ず。」
「ただし他の者…とりわけ伊國に関わる者に尋ねまわってはならないよ。村の名を探していることを決して覚られぬように。」
「仰せの通りに、清十郎様。」
璃子は面の下の清十郎の瞳を見るように力強く頷いた。村の名を取り戻す事が清十郎の言う〟均衡を崩す〝ことになるのだ。真なる鬼の正体が割れ、この村から往ぬれば災いも無くなり、清十郎も戻れるやもしれぬ。
「さあ、行きなさい。さも何も無かったかのように振舞うのだよ。」
「はい、清十郎様。貴方もお気をつけて。」
「案ずるな。」
そう言って清十郎は再び人外な速さで山道を子の方向へ向かっていった。璃子はその姿が見えなくなるまでその場にいたが、やがて赤い手ぬぐいを大切に懐にしまい、ゆっくりと伊國の敷地へ帰っていった。