でたらめな本の正しい読み方
「ふぅ……」
僕は、思わず大きなため息をついた。
今や、どんな本でもネットで検索すれば必ず出てくる時代だ。
そんな時代に出された今回の国語の課題は、正直、嫌がらせにしか思えなかった。
――検索しても絶対に出てこない書籍を読んで、感想を書くこと。
たぶん、先生の狙いは分かる。
AIに検索させて、AIに感想を書かせる――そんなズルを封じるためだ。
確かに、それじゃ「自分の言葉」じゃない。
先生も、よく考えたよな……。
そう思いながら、僕は図書室の椅子に座っていた。
僕が知っている物語は、試しにAIに聞いてみたら、全部あっさり出てきた。
だからこそ、図書室を選んだ。
……なのに。
誰も、来ていない。
(みんな、この課題どうやってクリアするつもりなんだ?)
そんなことを考えていると、図書室のドアが静かに開いた。
入ってきたのは、女子生徒が四人。
やっぱり、考えることは同じらしい。
「やっぱ無理だよね」 「新人作家でもネットに出したら検索されちゃうし」 「この中から探すとか、大変すぎ」 「もうさ、諦めようよ」
そんな声が聞こえてきた。
そのうちの一人が、こちらを見た。
「小宮くん。何やってんの?」
同じクラスの小西ゆきだった。
「君たちと同じだよ。検索できない本探し」
そう答えると、女子たちは口々にうなずいた。
「やっぱ無理だよね」 「ネット小説に出したら、それもアウトだし」 「詰んでない?」
無名でも、ネットに出した瞬間に“検索できる本”になる。
……そうか。そういうことか。
そのときだった。
「あっ!」
思わず、声が出た。
「なによ小宮くん、びっくりするじゃない」 「ごめん。でも、思いついちゃったんだ」 「何を?」
僕は、少しだけ間を置いて言った。
「絶対に検索されない本」
「え? その本の探し方?」 「違う違う」
女子四人は、ぽかんとした顔をしている。
「自分たちで書くんだよ。本を」
「……はっ?」
一瞬の沈黙のあと、即座に返ってきた。
「無理無理、絶対無理!」 「やるなら一人でやって!」 「行こ!」
「いいよ」
僕は、慌てずに続けた。
「でもさ、僕の作品を公開しなかったら、検索されることは絶対にない。
君たちも、それを読まないと感想書けないでしょ?」
「え……でも、小宮くん。本、書けるの?」 「まあ……書けない」
がっかりした空気が流れる。
でも、僕はそこで止まらなかった。
「あ、でもさ。みんなで少しずつ書けばよくない?」 「どうやって?」 「例えば、最初を小西が書く。次を君。順番に続けるんだよ」
「でたらめな本になるじゃん」 「感想も書けないよ」 「タイトルはどうするの?」
「書いた人が、読んでつければいい」
僕は肩をすくめた。
「感想も、でたらめでいい。
先生も知らない本なんだから、検証しようがない」
「……それを逆手に取るってこと?」 「そう」
最初は、小西と僕だけだった。
でも、構想を話しているうちに、気がつけば五人全員が輪に残っていた。
そして、くじ引き。
最初の一枚を引いたのは――
服部早苗だった。
「服部さんって、何か好きな本とかある?」
僕がそう聞くと、服部早苗は少し考え込むように天井を見上げた。
「うーん……本っていうか、スパイアニメだけど」 「うん」 「シークレットファミリー、かな」
その瞬間、僕は思わず机を叩いていた。
「それ、いいじゃん!」 「え、なに、急に」 「いや、めちゃくちゃいい。じゃあ、それで行こう」
きょとんとする早苗をよそに、僕の頭の中では勝手に話が走り始めていた。
「え、ちょっと待って。何が“それで行こう”なの?」 「物語の方向性。シークレットファミリー風で」 「風って、どのへんが?」 「雰囲気。家族がいて、秘密があって、ちょっと危険で、でも日常」
自分で言いながら、だんだん楽しくなってくる。
「それ、でたらめにならない?」 「最初から、でたらめな本なんだから問題ない」
そう言うと、早苗は一瞬だけ考えて、ふっと笑った。
「……まあ、確かに」
その流れで、僕はスマホを取り出した。
「じゃあ、LINE交換しよう」 「え?」 「書いてて行き詰まったら、次の人に送る用。グループ作るから」
画面を操作しながら続ける。
「グループ名は……『シークレットファミリー』でいいよな」 「そのまんまじゃん」 「分かりやすいほうがいい」
数分後、画面に通知が表示された。
〈グループ「シークレットファミリー」が作成されました〉
「はい、決まり」
そう言ってスマホをしまうと、早苗は少しだけ照れくさそうに笑った。
「なんかさ……」 「ん?」 「本当に本、書くことになるんだね」
その言葉に、僕は少しだけ胸が熱くなった。
「うん。でたらめだけど」 「でたらめでも、いいんだ」 「いいんだよ。どうせ、検索もできないし」
僕たちは、まだ知らなかった。
この軽いノリで始めた“でたらめな本”が、
それぞれの中に、思ってもみなかった物語を引き出すことになるなんて。
早苗は家に帰ると、靴も脱ぎきらないまま机に向かった。
バッグを放り出し、スマートフォンを机の端に置き、ノートパソコンを開く。
――よし。
深呼吸をひとつして、指をキーボードに乗せた。
スザンヌはスパイだった。
早苗は一行目を書き、思わず自分でうなずいた。
うん、悪くない。
いや、かなりいい。
当たり前だが、スパイはスパイだとバレてはいけない。
もちろん、両親にも内緒だ。
スザンヌの両親は、この国の公務員だった。
しかも二人そろって財務省勤めの官僚である。
私の任務は――
財務省の「お金が足りない」という理論を崩すこと。
……と、ここまで書いて、早苗は一度キーボードから指を離した。
(よく分からないけど)
両親はいつも言っている。
国の財政は逼迫している、予算がない、我慢が必要だ、と。
それを改心させろ、というのが兄二人からの命令だった。
うーん。
これをスパイと呼んでいいのだろうか。
兄たちは、私と違ってとても優秀だ。
長男は地方の会計係として働く公務員で、毎日「予算が足りない」と頭を抱えている。
次男は会社を経営しているが、「税金が高すぎる」が口癖だ。
両親は口をそろえて言う。
この国には金がない、と。
けれど兄たちは知っている。
本当は、この国には潤沢に金があることを。
それでも「ない、ない」と言い続け、
予算を削り、税金を上げ、国民に我慢を強いる。
わがイワン民主主義国は、あの大国にも引けを取らないはずなのに。
そうした意見の違いから、
兄二人と両親は、いつの間にか決定的に仲たがいしていた。
だから――
この私、スザンヌが送り込まれた。
両親に、自分たちの考えが間違っていることを分からせるための、スパイとして。
……やっぱり、何か違う気もする。
でもまあ。
「任務」がある、という点では、スパイっぽいか。
早苗は最後の一文を書き終えると、満足そうに画面を見つめた。
よし。
これで、あらかた分かっただろう。
早苗は、原稿をコピーし、グループLINEに貼り付ける。
送信。
《続き、よろしく》
すぐに、ピコピン、と軽い音が鳴った。
一斉に既読がつく。
しばらくして、恵里香から返信が来た。
《よく分からんけど、了解》
早苗は、思わず吹き出した。
(だよね。でも、それでいい)
何が正しくて、何がでたらめなのか。
もう、誰にも分からない。
物語は、今ここから、勝手に転がり始めるのだから。
早苗からメールを受け取った恵里香はすぐに気付いた。
両親の名前がないじゃない。
えーっと……父はリチャード、母はキャサリン。
うん、かっこいい。我ながらセンスがいい。はははっ。
父と母は、最近スザンヌの様子がおかしいことに気づいていた。
部屋の本棚には、財務省批判の本がずらりと並んでいる。
およそ、スザンヌが読むような本ではない。
「……兄たちだな」
父はすぐに察した。
どうせ、兄ふたりが何かしら吹き込んだのだろう。
賄賂か、洗脳か、あるいはその両方か。
――はははっ。スパイ活動、開始早々に終了である。
だが、スザンヌの抵抗は、意外にも多岐にわたっていた。
母に向かっては、 「税金が上がってるんだから、無駄な買い物は控えたほうがいいと思う」 などと言い出す。
父が飲んで帰ってくれば、 「国民を苦しめておいて、自分は飲み歩くんだ」 と、論点のよく分からない説教を始める。
理屈はめちゃくちゃだが、やっていることは間違っていなかった。
家の中で、財務省の役割をスザンヌが一手に引き受けていたのだ。
(そのうち、根を上げるはず)
スザンヌはそう踏んでいた。
「おもしろい」
グループLINEに、みんなの感想が届く。
「うちのパパも、物価も税金も高くてやっていけないってよく言ってる」 「そのせいで、バッグも買ってもらえなかったし」
心の声が、妙に現実的だった。
次は舞――白石舞の番だ。
原稿を送信する。
既読がつく。
「了解」
国家保安警察です。
スザンヌさん、スパイ容疑で逮捕です。
「逮捕してやった、ざまあみろ」
舞の心の声が、勝ち誇ったように叫ぶ。
「悪い人間は成敗されなければならないのよ。はははっ」
スザンヌが逮捕されたという知らせに、両親は大慌てだった。
すぐに警察へ向かい、事情を説明し、あっさり釈放。
「……すみません」
父と母は肩を落としながら言った。
「これからは、国にはお金があるって認めます」 「だから、買い物も……」 「飲みにも行かせてください……」
そして、なぜか裁判が開かれた。
舞の心の声が、またしても響く。
「将来、刑事を目指すためにもね」 「ここでひとつ、有罪判決を取っておかないと。はははっ」
だが、判決は意外にも穏健だった。
――両親は、二度と「国にはお金がない」と言わないこと。
――それを条件に、スザンヌと和解。
これにて一件落着。
舞は満足げに送信した。
「事件解決。めでたしめでたし」
……が、すぐにグループLINEが荒れた。
「え? 早くない?」 「まだ小西と小宮、残ってるんだけど……」
舞からの返信。
「良いじゃん。事件解決したし」
小西からのメッセージ。
「私が何とかする」
……こわい。
グループLINEは、笑いに包まれた。
小西ゆきは、スマホを握りしめたまま考え込んでいた。
(……強気なこと言っちゃったけど)
正直に言えば、何のアイデアも浮かんでいない。
早苗が世界観を作り、恵里香が辻褄を合わせ、
舞が警察を出動させて事件を終わらせてしまった。
――さて、私の番だ。
「……あっ」
頭の中で、電球が灯った。
(スザンヌはきっと、兄たちに褒められるよね)
スパイの任務が成功したなら、ご褒美があってもいい。
いや、あるべきだ。
(ご褒美、ご褒美……うふふ)
指が勝手に動き始めた。
「あーっ、気持ちいい〜……」
湯気の向こうで、スザンヌは目を細めた。
「日本、最高……!」
信じられない。
まさか本当に日本の温泉に入る日が来るなんて。
湯船の縁に頭を預けながら、スザンヌは兄たちとの約束を思い出していた。
『ねえねえ、スパイの成功報酬は?』
『お前、日本の温泉に行きたいって言ってたよな』
『えっ? まさか、連れて行ってくれるの?』
『プレゼントだ。安いものだよ。国民みんなが喜ぶことをしたんだから』
『やったー!』
――そうして私は、はるか遠い国、日本にやってきた。
湯に浸かりながら、スザンヌは空を見上げる。
(日本の冬は寒いって聞いてたけど……)
まだ秋らしい。でも、思った以上に冷える。
だからこそ、この温泉がたまらない。
「はぁ……」
明日は大阪。
その次は京都、横浜、東京。
(両親も連れてくればよかったかな)
でも今は、仲良しのマリアと一緒だし、日本は治安がいいらしい。
それに、さっき食べた博多ラーメンが驚くほどおいしかった。
「明日、大阪……楽しみだなぁ」
スザンヌは、湯気の中で小さく笑った。
――送信。
小西ゆきは、満足そうにスマホを伏せた。
数秒後。
《お前の願望か?(笑)》
小宮からの即ツッコミだった。
「悪かったわね」
すぐに打ち返す。
《それが小説でしょ。舞なんて警察の権力振りかざして逮捕してたじゃん》
ピコピン。
《侮辱罪で逮捕》
舞から、間髪入れずに返信が来る。
「むちゃくちゃすぎでしょ……」
グループLINEには、笑いのスタンプが次々と流れた。
その流れの中で、小西は最後に一言だけ送った。
《さて、小宮くん。どう締めるの?》
既読がつく。
……しかし、返事はない。
代わりに送られてきたのは、意味の分からないスタンプと――
どこか不気味な笑い声を思わせる一文だった。
《ヘヘヘ》
小西は、画面を見つめたまま肩をすくめる。
「……嫌な予感しかしないんだけど」
物語は、まだ終わらない。
…
「小宮くん。ねえ、小宮くん。」
誰かが肩を揺すった。
僕はゆっくりと目を開ける。
目の前にいたのは、小西ゆきだった。
「あっ……寝てしまった。」
僕は慌てて体を起こし、両手を合わせる。
「ごめん。すぐに最後を書くから。今日中には送るから、ちょっと待って。」
「……なにを?」
ゆきはきょとんとした顔をしている。
「なにをって、物語の最後だよ。」
「物語?」
ゆきは首をかしげた。
「なに寝ぼけてんの?ここ、図書室よ。」
僕は一瞬、言葉を失った。
「え……?じゃあ、早苗たちは?おまえの友達……」
「なに言ってるの?もう、意味わかんない。」
ゆきはそう言うと、肩をすくめて立ち上がった。
「じゃ、行くね。」
ゆきが去ったあと、僕はしばらく呆然と座っていた。
――あれ、
夢……だったのか?
いつの間にか眠ってしまっていたらしい。
あまりにもリアルで、内容もはっきり覚えていた。
現実との境目が分からなかったほど。
「……はっ!」
僕は思い出したようにスマホを取り出す。
――グループLINE。
急いで画面を確認するが、
そこに「シークレットファミリー」というグループは存在しなかった。
「ああ……やっぱり、夢か。」
僕は深く息を吐き、机に突っ伏した。
でも、僕は顔を上げニヤリと笑った。
数日後。
感想文の提出日がやってきた。
「みんな、検索しても出てこない本、見つかったかな?」
先生は、いつものようにニヤニヤしながら教室を見回した。
当然、誰も手を挙げない――
はずだった。
ひとり、まっすぐに手を挙げている生徒がいた。
僕、小宮かずきだった。
「冗談だろ?」
教室がざわつく。
「そんな本、見つかるわけないよな?」
「先生。」
僕は立ち上がり、少し得意げに言った。
「ちゃんと感想文、書いてきました。」
小西ゆきは、不思議そうに首をかしげている。
僕は原稿用紙を手に、先生のところへ向かった。
そこには、びっしりと文字が埋め尽くされていた。
表紙には、こう書かれている。
『でたらめな本の正しい読み方』
先生は眉をひそめる。
「こんな本、あるわけないだろう?
でたらめな感想文じゃないのか?」
僕は落ち着いた声で答えた。
「じゃあ、先生。パソコンで検索してください。」
教室が静まり返る。
「出てこないはずですよ。
先生の言う通り、“検索しても出てこない本”の感想文を書いてきましたから。」
僕は胸を張り、席に戻った。
不思議そうにこちらを見るゆきに、
僕は小さくピースサインを送る。
そして、心の中でつぶやいた。
――これが、「でたらめな本の正しい読み方」さ。
完




