5話 限られた時間
彼女が起きている時間は短い上に、あっという間に消えていく。
そのことに気がついたけど、俺は何と言えばいいかわからなかった。
すると女の子は、小さな声で独り言のようにぽつりぽつりとつぶやき始めた。
「あんまり人と話さないからさ、正都くんを見た時につい声が出ちゃったんだよね」
「……よく俺のこと覚えてたね。顔はもうだいぶ変わったと思うけど」
「正都くんはあんまり変わってないからすぐわかったよ。それでね、私がこうなったのは7歳の誕生日なんだ」
「えっと……」
「1年生の最後までは通えなかった」
「……うん」
「私16歳になる年なんだ」
「そんなの同い年だし、俺はもう16だから知ってるけど」
「7歳から16歳って……、9年あるでしょ?」
「うん」
「そのうち私が起きて過ごすのって、1年ちょっとらしいよ」
「……え?」
「私にとって小学1年生って、そんなに昔のことじゃないの」
「じゃあお前の中身はまだ……小学生ってこと?」
「んー、それはちょっと違うかな。確かに背はちょっと低いけど」
椅子の上でゆらゆらとゆれる彼女は、腕を組んで目をつぶったり天井を見たり。
一生懸命考えてくれているのがよくわかる。
「日付が変わったってことはわかってる。パジャマも季節によって変わるし、時間が経ったんだなって感じてる」
「じゃあ年相応なのか?」
「んー、発達の検査をすると、言語面の遅れはそんなにひどくないみたい」
「俺と普通に話してるしな」
「話すのは、ね。でも読み書きは全然ダメ!コツコツやってるけど、漢字は漫画でほとんど覚えた感じ」
「漫画読むんだ」
「1人でできる遊びってそんなにないからね。1日で1巻は読めるし」
「そっか……」
「でも算数は指使わないとできないし、足し算も引き算も数字が大きくなるとわかんない。だからお金も計算できなくて、お父さんにプリペイドカードもらってる」
彼女はニコニコしながら話している。
でも、楽しくて笑ってるわけじゃない。
俺にさも普通のことのように振る舞ってくれているのだ。
「お医者さんは検査?的な話ばっかりだし、看護師さんも忙しいし。楽しいのは漫画とアニメ、あとお散歩中に聞く音楽ぐらい。だから正都くんと話すの、すっごく楽しかったんだよね」
「親、来るんだよね?」
「私の病気って希少難病でもないからさ、入院費が結構かかるみたい」
「え……?」
「意外な問題だよね。面会時間は特別に自由にさせてもらってるけど、お父さんもお母さんもすごく忙しい」
「それは……」
「別にいいんだ」
「え?」
「気にしないで。私にとってはこれが普通だし、多分ずっとこうだから」
「あのさ……」
「話、たくさん聞いてくれてありがとね」
「いやそれは俺が」
「びっくりしたでしょ?」
「……まあ、ちょっとだけね」
「私は人に時間を合わせられないし、合わせてもらうのも大変なのはよくわかってる」
「いやそんなの」
「私が声掛けたせいなんだけど、ほんとに……大丈夫だから」
俺はもう知っている。
病院の中で1人漫画を読むことも、静かな廊下を歩くことも、どんな気持ちになるのかを俺は知ってしまった。
――すごく退屈だった。
彼女は大丈夫だと言った。
でも、俺が大丈夫じゃない。
「あのさ」
「正都くん」
「1人でいると退屈な時もあるじゃん」
「正都くん、聞いて……」
「少なくとも伊達が来なかった昨日1日、俺は退屈だったよ。お前、暇な俺に会いに来てくれるって言ってなかったっけ?」
「それは……」
「10分ならどう?5分だけでも話せない?」
「ムリじゃ……ないけど」
「暗い廊下を1人で歩くの、やっぱり危ないよ。お前、女の子じゃん」
「でも……」
俺は意地悪だ。
揚げ足取りをとって、言いくるめようとしている。
でも先に俺を平凡な男から変な奴に変えたのは、彼女が俺に時間を使ってくれたせいでもある……と言い訳することにした。
「俺と会うの、嫌?来たら迷惑?」
「そういうわけじゃないけど」
「お前さ、俺のこと変なやつって言ったよな?」
「あ、まあ……うん」
「お前も変なやつだよ」
「ずっと寝てるしね」
「いや病気は関係ない。お前変わってるし面白いよ。少なくとも俺の普通をどんどん壊してる」
「えっと、ごめん」
「暇な入院生活とか俺、嫌なんだけど」
「……」
「もう1回言うけどさ、俺を友達にしてくれない?」
「これは……私の負けかな?」
「それは俺と友達になってくれるって意味だと受け取るけど?」
「でも、じゃあ正都くんが入院してるだけ!期間限定、ね?」
「んー、まあとりあえずはそれでいいや」
彼女はため息をつくように笑いながら、椅子の背もたれに崩れかけた。
「あのさ、親が来たりするだろ?いつなら会える?」
「お父さんとお母さんが来るのは日曜日で、火曜日と金曜日はお風呂だから会えないな」
「他の曜日の予定は?」
「ないから、えーっと……月、水、木、土は会える!」
「えっと、その中でいつなら会える?」
「あ、ごめん。全部は無理だよね」
「いや、俺は暇だからいいけど。お前はやることあったりしないの?」
「それがねー、何もないの」
笑いをこぼしながら、彼女は立ち上がった。
そしてベッドサイドのホワイトボードを持ってきて、ゆっくりと説明を始めた。
目覚める時間と眠る時間が、ホワイトボードに書かれていること。
起きてからトイレ行ったりなんだかんだするから、会えるのは起きてから15分後ぐらいだということ。
「正都くんさ、お散歩に付き合ってもらえたりもする?」
「ん?それは全然大丈夫だけど」
「そしたら結構時間あるよ!」
「いいのか?やりたいこととかあればそっち優先してもらって」
「友達と話してみたい……って言ったらダメ」
「……いいよ。とりあえずホワイトボードの写真撮るわ」
上目遣いや首をかしげて質問する姿を見て、俺は改めて目の前にいるのが女の子だと認識した。
よって子どものような動き仕草に、いちいち反応してしまう。
仕方ない。
なぜなら女の子の友達が1人もいないうえに、俺は彼女以外の女の子とは喋り方もわからないような男だからだ。
「そろそろ時間だよね」
「うん。明日は金曜日だから会えないね……」
寂しそうな彼女に、俺の気持ちもちょっと引っ張られてしまった。
と同時に、画期的な懐かしいある物が頭に浮かんだ。
「あのさ、交換日記って覚えてる?」
小学生の時、女の子の間でとても流行っていた。
「やったことはないけど、プロフィール帳の後にやるやつだよね」
「プ、プロフィール帳ね。そんなのもあったね」
「それが何?」
「俺と交換日記しない?」
「へ?」
「話せない時間もさ、紙の上で待ち合わせしようよ」
「待ち合わせ?」
「会って話せない分、紙の上で話すんだよ」
「紙の上でってどういうこと?」
「お前が寝てて俺が起きてる時、俺の声は届かないから紙の上でお前に話す。俺が寝ててお前が起きてる時、お前は俺に会えないから紙の上で俺に話す」
「日記の中でお話をするってこと?」
「うん。日記の中で時間は関係ないふぁろ?だから、お前の現実世界の10分を俺にくれない?」
「10分?」
「日記を読んで書いて、多分10分はかかる。つまりお前の3時間のうち10分が必要だ」
「……いいよ」
「ほんとに?」
「実はね、特に朝はびっくりするぐらい暇なんだ」
こうしてごく普通の男子高校生が、八の字眉の笑顔がトレードマークの女の子と奇妙な関係を始めることになった。
手を振る彼女を背に歩き出すと、体が揺れるたびに心臓の音が響き渡る。
彼女は友達がいないと言っていたけど、俺だって大して変わらない。
俺は元々先のことを楽しみにするような性格じゃない。
最低限の予定を把握してるだけ。
それが今、打って変わって正反対。
日記に何を書こうか。
彼女にあったら何を話そうか。
会える日は限られているし、会える時間もとても短い。
そう思ったらちょっと先のことを考えてしまう。
かといって、不思議と寂しさは感じない。
この日の夜、部屋に戻ってから母親に『明日ノートも持ってきて』とだけ連絡して寝た。




