1.2026年、午年。株式投資はじめます。
「わたし、金勘定って大嫌いなのよね」
母からこの言葉を幾度となく聞かされながら、私は学生時代を過ごした。その体験がすべての元凶とは言わないが、私は昔からお金のやりくりが苦手だった。
最初にくだんのセリフを聞いたのは、高校受験を控えた中学三年生の頃だったように思う。多くの人がそうかどうかはわからないが、私の高校受験は高校を選択するにあたり、志望大学への進学率について調べることが求められた。要するに母や当時の担任の先生は、高校はただの通過点に過ぎず、より上位の大学への進学をゴールと定めて高校受験を考えるようにと私を指導したのだ。
当時、私には夢があった。学校の先生になることだ。
だから私は地元の教育大学に進学したいと母に話した。しかし、猛反対された。「教師は子どもになめられる仕事だ」というとんでもない偏見を母は持っていて、私がそのような職に就くことが我慢ならなかったらしい。ちなみに父親は私の自由にすればいいというスタンスだったが、母という厚い壁を突破することはできなかった。高校生にもならないうちに、私は教育大学への進学をあきらめた。
母は私が文系脳だということをわかった上で、教育大学の代わりに法学部や社会学部への進学を勧めた。文系学部には他にも商学部や経済学部などがあったが、ここでもまたくだんのセリフが登場する。
「わたし、経済って嫌いなのよ」
そう、母は金勘定が大嫌いなのだ。経済動向や会社経営、金融関係の学問などには当然興味がなく、私を経済学部方面へ進学させることも気に入らなかったものと推察された。
ここまでくると、いよいよ私も思考がおかしくなってくる。母がそこまで金勘定を毛嫌いするのにはきっと理由があるのだろう、母も私と同じで数学が苦手と言っていたし、経済って数学ができたり数字に強かったりしないと理解するのが難しいんだ。気づけば私は、一ミリも勉強しないうちから経済やお金のことに対し苦手意識を持つようになっていた。
親元から巣立つ前の子どもにとって、親の言葉から受ける影響は絶大だ。すべてを母のせいにするつもりはないけれど、私が金融リテラシーを学ばないまま干支を三周させてしまったのは間違いなく母のくだんのセリフが元凶だろう。金勘定が嫌い。経済なんて興味ない。母からこの言葉をくり返し聞かされていなければ、私のお金との向き合い方はもう少しまともだったのではないかと思う。
話は逸れるが、私はこの経験から、自らが母親となった今は息子にかける言葉に気をつけるようにしている。嫌いなものがあることを伝える時は、それを全否定するのではなく、いいところもあるけれど私は嫌い、といった言い方になるよう心がけたり、息子が興味を持ったことに対し私の興味が向かなかったとしても、息子が好きなものをうっかり否定してしまわないよう配慮したり。特に息子には父親がいないので、私の言葉がすべて、私の言葉が絶対になってしまいがちだ。気をつけなければ、息子には私と同じ轍を踏ませることになる。それだけは避けなければならない。息子には自由な学びの選択をしてほしい。
話を戻すと、その後私は第一志望高校への進学を経て四大の法学部へ進学することになり、世界や日本の経済事情、金融に関する知識などをまるで身につけないまま大人になった。法律を知ることも大切だが、経済やお金の話はより普段の生活に直結する知識であるにもかかわらず、だ。
さらに悪いことに、母の敷いたレールを歩かされているという現実から目を背けるため、私はアルバイトで稼いだお金を湯水のように使いまくる大学生活を送った。消費者金融こそ使わなかったが、弟からお金を借りてまで遊ぶこともあったほどだ。おかげで体型も今より十キロ以上重く、当時の私はまさに「金遣いの荒いデブ」だった。もっと雑に言うなら、「ヤベェ女」だ。絶対に結婚してはいけないタイプの。
そうした浪費生活が大学時代で終わればよかったものの、社会人になり、アルバイトよりもさらに稼げるようになると、私の浪費癖はさらにひどくなった。有り金はすべて飲み会や推し活など楽しい時間のために溶けていき、手もとにはなにも残らなかった。当然、貯金はゼロ。職場の都合で一人暮らしを始めたこともあって、学生時代には味わえなかったさらなる自由を謳歌しまくっていたのだ。
社会人になったら、将来のことを考えて貯金をしよう。誰もが当たり前のように持つそうした感覚をまるで持たないまま時が過ぎ、気づけば結婚して子どもが生まれた。言うまでもなく、お金はなかった。離婚した元夫も経済力のない人で(しかしとても優しい人だった。それと顔もカッコよかった)、とにかく貧乏のまま子育て生活が始まった。
にもかかわらず、私の浪費癖は治らなかった。子どものためにお金が必要とわかっていても、少しでもお金が余れば外食をしたり新しい服を買ったりなど、驚くほどしょーもないことに使ってしまっていた。離婚をした時の取り決めで養育費は一切もらわないこととした(相手に支払い能力がなかったため)のに、だ。
唯一の救いは、最初から子どものためにともらったお金には手をつけることがなかったことだ。たとえば、お年玉。たとえば、児童手当。それらはすべて子ども名義の口座にストックしている。なんなら学資保険にも入っている。
しかし悲しいかな、そこが守れているおかげで自分で稼いだ給料くらい好きに使わせてくれという思考回路になってしまっているのが現実だった。なんとかなるだろう。教育費だけはちゃんと避けてあるし、自分の将来は退職金と年金があるし。つい先日まで、そんな風に楽観的に考えては好き放題お金を使う生活を続けてしまっていたのである。最近やらかしたザ・浪費は、子育てとはまるで無縁なショートブーツを高校の同窓会に行くためだけに衝動的に買ってしまったこと。同窓会が終わった今、次はいつ履くのだろうと靴箱を開けるたびに思う。もともと持っていたパンプスで十分だったじゃないかと、いつも買ってから気づくのだ。
そんな稀代の(?)浪費家である私が株式投資に出会ったのは、職場でのとある会話がきっかけだった。その会話のおかげで、私がいかにお金に関する知識を持ち合わせておらず、かつ、お金に無頓着だったかということを痛いほど思い知らされたのだ。
くり返しになるが、すべてを母のせいにするつもりはない。しかし、せめて母がもう少しお金のことを私に教えてくれていたら、この歳になってようやく投資に出会うなんてことにはならなかっただろうと思っている。せめて母または父が投資信託という選択肢を怖れずに持ってくれていれば。あるいは、確定拠出年金などを利用して老後資金を貯める生活をしていてくれたら。お金はただ持っているだけでは絶対に増えないし、なんなら減る一方だということをもっと強く私に教育してくれていれば、あるいは私の浪費生活は、今よりもずっと早く終焉を迎えていたかもしれないのに。そんな風に思うことをどうしてもあきらめきれないのだった。
だが、それはまた別のお話。
大切なのは、私が干支を三周した頃になってようやく資産形成について学び始めたことだ。
金勘定が嫌いだと事あるごとに口にした母のもとで育った無知の塊である私は、二〇二五年十二月に一念発起するのである。
投資を学ぼう。資産形成をしよう。
誰のためでもない。自分自身のために、と。
できることなら、お金持ちになりたい。それが叶わなかったとしてもせめて、一人で過ごすことになるであろう老後を安心して暮らせるように、と。
自分で言うのもアレなのだが、私は思い立ったら即行動タイプの人間である(だから感情にまかせて浪費をくり返していたわけなのだが)。十二月だったこともあり、年明けから始めるなら急がなければと考えた私は、なんの知識も持たないままとりあえず証券口座とNISA口座を開設する手続きを取った。幸いにして年内に手続きが完了し、一月から積み立てが始まるように申し込みするところまで済ませることができた。二〇二五年十二月二十五日、クリスマスの日のことだった。
完全に順序を誤っているが、それからの毎日はほとんどすべての時間を投資の勉強に充てた。図書館で本を借り、YouTubeで投資に関する動画を見漁り、証券会社のコラムを読みまくり、今に至る。息子が冬休みの宿題をする隣で、私はひたすら株式投資や資産運用について学んだ。そして、投資とはこれほどまでに奥が深く、だからこそおもしろいのだということを知った。
投資について学びを深めていくたびに、その楽しさから「もっと早く出会えていたら」という思いがどんどん強くなるのである。学びの足を止めてしまえば失敗するというある種のリスクを背負った活動ではあるものの、これまでのようにいるのかいらないのかわからないものを買うのと、将来の自分のために株式という商品を買って資産形成するのは同じ「お金を使う」という行為であり、しかし手もとに残る結果は雲泥の差だ。特別欲しいものがあるわけではなく、「お金を使う」という行為に対し快楽を覚えるタイプの人間だった私にとって、余剰資金での株式投資はまさに最高の買い物と言えるのではないだろうか。ちゃんと勉強し、吟味し、タイミングを計れば、大好きな買い物をしながらお金を増やすことができるのだから。
「新しいことを始めたいと思ったら、何歳からでも始めていい」
私がもっとも尊敬するアーティスト、西川貴教氏が授けてくださった金言である。今から十年ほど前、それまで書こうとも思わなかった小説を書き始めたのも、彼のこの言葉に背中を押されたからだ。
そして今回もまた、私は彼の言葉に背中を押してもらい、新たな一歩を踏み出すことができた。願わくは彼が年齢を重ねてから始めたボディビルのように、私も投資の世界でなんらかの結果を残せたらと思っている。今の資産が○倍になったら、なんて淡くも甘い夢を見つつ、これからも勉強に励むつもりだ。
そんなわけで、二〇二六年、私は株式投資生活をスタートさせた。
お金持ちになれるかどうかはわからない。けれど、余剰資金を株式投資に充てることによって、意味もなくお金を使うことは絶対になくなる。そう確信を持てるだけで今はとても満足だ。結果が出れば、もちろんもっと嬉しい。
このエッセイでは、こうしてお金との向き合い方を大きく変えた私の体験談を綴っていきたいと思っている。投資に詳しい読者諸兄姉がいらっしゃったらぜひアドバイスをいただきたいし、投資は未知の領域だという方とはこれから一緒に学びを深められることを嬉しく思う。ぜひブックマークをして、お暇つぶしに活用していただきたい。
最初に断っておきたいと思うが、具体的な投資先についてはここではお話ししないこととさせていただく。投資した金額や運用結果については、公開できる範囲においてご報告できれば幸甚である。
くだらない昔話が続くこともしばしばあろうが、そこもどうかご容赦いただきたい。更新は週一回ペースを目標とし、私が投資を始めるきっかけとなった職場での会話の件や、シングルマザーとしての子育て体験談など、前説的な部分も併せてお話しできればと考えている。
今が投資の始め時かどうかは定かではないが、やると決めた以上、最低十年はコツコツ続けていきたいところだ。心が折れそうになることもあるだろう。しかし、この場所で継続を宣言することによって、いつでも初心に立ち返ることができると信じている。
時は金なり。継続は力なり。
薄給事務員シングルマザーがどこまで資産を増やせるか、私自身、とても楽しみである。




