僕らはワンウェイジェネレーション
真っ直ぐ東京へ向かえばよいものを浜松で2カ月程過ごす事になる、気分は次郎長放浪記なのである。駅で少し時間いいですか、と手をかざされ、ああですね、こうですねと言う奴がいる。無料で配ってますと大川隆法さんの本を渡してくる奴がいる、かといえばオウム真理教の前身なのか白い身なりの集団が何か喚いている。時代はカルト詐欺なのである、残念ですな、ワクチン接種済みの僕には怪しさしか感じない。渡された本を読んでもさっぱりの僕なのであった。
僕が若いという事もあろうが、いい時代だったんだろうな。住み込める派遣会社の面接で、応募理由を聞かれ「季節もはや秋も深まりまして、野宿には身も凍る寒さとなってまいりました、よろしければ暫しお世話を」。と次郎長の世界の台詞に、「はっはっはっ、心置き無く凍死してくれ、まあ暫くいなよ」と採用になる。辞める際には、労働はいいから俺の手配の仕事手伝ってくれと言われる。プレハブ村の時だって、なんでお前こんな処で働いてる、俺のとこ来いと言ってくれる大将もいた。なんだかんだ人の情けを受ける、許しておくれやす、あっしは行かねばならぬのです。
東京都新宿区に立つ、これがコマ劇場かいと思うのである。東京には中学の旅行で一度来た事がある。国会議事堂を見学して、当時若手の石川県のホープ森喜朗さんの案内を受けた。東京タワー、NHK見学、カンカン踊りも見た、どうぞと見せてくれた。これからは自分で見るのだ、早速近くのパチンコ店に入る、当時はプロもいたし僕はセミプロと自覚していた。お金は減っていくが一度に大きく負けたりはしなかった。夜になって初めて今後の事を考える、スポーツ紙を手に求人欄を順に見るのはカプセルホテル。東京で働くっていってもどんな選択があるだろう、ヤクザに就職する訳にはいかない。まあ焦らなくていいか、とりあえず寝よう、食事は牛丼で済ませてある。待った無しの状況である事は知っているが、その事が自分を苦しめるのも良く知っているのであった。
さて昼間物珍しそうに街を見物して歩いていると、1人の男性に呼び止められる。のぞきを開催するのに人数が足らないので困ってます、5千円で結構です、参加してくれませんか、と言う。何のぞきとなもし、連れて行かれた一室には確かに穴があって、片目でのぞいて見るがまだ開催されないでいる。するとランジェリー姿の年増が氷と水を手に入って来て水割りを勧めるのだ、これはやられたなと感じ急いで帰らせてもらうのだが、1万円の請求を受ける。そうか小芝居つきの騙しなんだな、ああクワバラクワバラ。新聞配達の募集に電話する事にした、面接してかなりの時間を喫茶店で待たされる。店主が迎えに来てくれて東中野にある読売新聞販売店の2階建て職場兼寮に案内される。店主は学生の頃から働き、そのまま仕事を続けているという。なんだかカリメロに似てるなあ、職場の横にコタツのある自室を持っていて、電話を受けたり皆の作業を見守ったりするのだ。同じ一階には家庭的な食堂があり、数人が交代で食事する様になっていた。まさかあのプレハブ村の様な過酷さは無いよなと思いつつ生活が始まるのである。
行き当たりばったりでは無かった、面接時新聞紙面上の尋ね人を使い母さんを捜そうと言って貰っていた。通勤してる主任という方が25歳位で、あと僕と同じ20歳前後の6名程だった。賄いをしてる女性も同年代で、働きながらダンススクールに通いアイドルの横で踊るのが夢だという。時間こそ不規則だがふらふらになって倒れる心配はない、配達は経験あるし、仕事を覚えればゆとりがでる程だ。テレビ付きの個室部屋だしな、プレハブ村とは雲泥の差なのであった。
仕事が慣れた頃大会場で決起大会があると連れて行かれる。あれがジャニーズの寮だぞと聞かされながら到着する。たくさん心配契約取った人の表彰、副賞の授与、盛大な拍手。そして偉い人のスピーチなのだが、これが朝日の悪口ばかりで強烈な程拍手が起こる、いい大人なのになあと思うのである。なにせ部数が右肩上がりに伸びていた時代なのである。複数店での旅行もあった確か伊東温泉だったと思うが、自由時間にショーがあるという事で、一室に僕と主任、そして他店の最年少19歳の木崎君で参加した。30代とおぼしき女性がセクシー衣装で登場し3名の前で寝そべり、絡みが無いとねと言い、うーんではあなた。えっなんで指名されたんだいと思うが、2名は何が見れるのか期待してるので、しょうがねえなあ、お嬢様に向かい、いつの間にか多少経験を積んでいた僕は、なんなら脚のその先1メートル前から電気マッサージを始める。決してがっつかす、あくまでもソフトにタッチする。いきなり股間の方に手を伸ばすなど愚の骨頂だ、もう出してある乳房を右手にて刷毛の様にタッチし片方は舌で愛撫する。左手は太腿のほうに伸ばし股間の付け根を這わせるのだ、「アアンもう、何処で覚えたの」。とお嬢は言う。ここで主任の「あっ」、と言う大声で動きを止め目をやると、19歳の木崎君が正座をして見ており、浴衣の左側から一物が飛び出しているのであった。木崎君もなのか、主任はいいなあテクニシャンだなあと言う。
家庭環境が良くない中で育つと人は早く結婚して家庭を持ち努力で幸福になれるという。だけど僕は違うと思う、パートナーと子供と協力して築き上げるのは順風満帆の時代であって何があるか保証は無く、いざとなったら僕は簡単に子供を養護施設に預けるだろう。まずそれが怖い、何故か2度も親に離縁され大変つらい思いをしたろう母親が戸籍上僕を縁切り出来る様に続いてゆくだろう負の連鎖は断ち切りたい。片親であろうが養子であろうが、愛情はやはり受けるべきなのだ、まして結婚となれば相手方の親から何処の馬のの骨かわからん奴に娘はやれんと言われる時代なのである。運命の出逢いがあれば考えは変わるかもしれないが、結婚という制度に全く興味が無かったのである。
東中野での生活は新鮮に映った。ほぼ仕事をしてた記憶しかないが、集金業務を覚えて1件ずつ廻る。とある一室でどうもラッシャーさんだなとおぼしき方が「あっ、はい、ちょっと待って下さい」と走る音がして、あっ痛っとずっこける音が響く。常に日々鍛練してるのだなと感心する、確か痔がひどくて皆と行動を共にする事が出来なかったと記事で見たが、週刊誌だからなあ。中野サンプラザが見下ろせるマンションの一室では、どうも加藤茶さんだなという方が新聞代を貰う時に、うんうん頑張ってねと高い声で言ってくれるのである。商店通りでは本田美奈子さんのワンウェイジェネレーションが流れる、僕はカラオケは大の苦手だけど仕方なく歌う時にはこの曲にさせて貰っているのである。
新聞の部数を増やすのに拡張員なる人達が来て案内する事がある。僕は1人でとあるおじさんと担当区域を歩いていると、まあ、焦らず、ごちそうするからと喫茶店に連れられる。君は若いけどプロレスは好きかい、全日新日あるけどどっちが好きかい。「はい新日本です」、ジュニアってあるけど誰か知ってる、「はい、タイガーマスクです」。特に全日本プロレスのジュニアを推すおじさんはどうもリサーチをしてるらしい。行くか、学生なんかが住んでる処案内してと頼まれ、おじさんもとい、どうも大仁田厚さんらしき人と向かうのであった。
大仁田厚さんらしき人は休職中であろう事が解る片足を引きずって歩いているのだ。2人で泥棒、新聞屋お断りと貼り紙されたアパートへ入って行く。そこで彼は片っ端から契約を取ってゆく、大声で脅しにも聞こえるけど、親の仕送りでこれから社会に出ようというのに新聞くらい読め、まず1年は読んでみろと説教し読者を増やすのであった。
自分達で読者を増やそうと連日活動する期間がありコンクールと呼ばれる行事で原宿に連れて行かれる。アンさんお帰り「皆んなただいま」、とどうもアンルイスさんらしき方が歩いてゆく。とあるマンションの一室を訪問すると、どうも柳葉敏郎さんらしき方がニコニコの笑顔で結構です、と返してくる、これはさすがに原宿だなあと思うのであった。
そんな僕は多少成績を出していてカリメロから、失礼店主から近くに部屋を借りてやるから本格的にやってみないか、と言われる。うーんどうも展開が違うなと感じつつ学生ではないので必然である事に気付く。こうなると一切悩まない、まだやりたい事はある。退職の為ささやかな会を開いてくれた。客のいないカラオケスナックで食事を作ってくれた女子のポンポンを持って踊りそうな奇妙なダンスに見送られ、一旦カプセル暮らしに戻るのである。当然の様に僕の母さんを捜す為の尋ね人広告はついぞ見ないのであった。




