リトルジョンからの始まり
国民総背番号が叫ばれる随分以前だ、背番号を持たない母さんはだから行方が知れない。何処に向かえば良いかは知っている、東京の前に名古屋だ、鋭いアンテナで知っていた。母さんを探す事は可能だろうか、座して待つよりやってみる。具体案など無い僕はそれでも何かで会える期待はあった。だがしかしこの身ひとつである、運任せ風任せ、死ぬだろう事は覚悟なのであった。20歳になっていた僕が向かうのは名古屋市東新町という場所にある面接場所だ。求人誌がほとんど無い時代に頼るは中京スポーツにある三文記事、求人も兼ねるその新聞にホスト募集面接随時とある。何度も電話を繰り返し指定場所へと誘導されるのだ。不安等無い、なんせ面接だからな、しけた面してどうすんだい。いかにもお坊ちゃん風の僕はとあるマンションの一室で面接を受け、結果的には採用となる。所持金も聞かれたなあ、面接官は隣の部屋に向け、「なあ、いいだろう長老」といい、入ってきた長老は「もちろん、今日から一緒に暮らそう」と言ってくれるのである。家族の事を聞かれても、今では返答に詰まらない。面接官は涙ぐむのであった。何も心配はいらんぞ、一緒にやろうというその方はメガネの精悍な顔立ちをし、30歳代に見える。2部屋あるその空間で時間を一緒にするメンバーは3人。リーダーのチーフに呼ばれた長老、彼は40歳代に見える。そしてもう1人マンション迄案内してくれた船長だ。名前は皆知らない、僕も呼び名を頂く、リトルジョンである。
食事はチーフがやってくれるし、出前注文で済ませる。一度インスタントでいいからラーメンやってみろと言われ不合格になる。沸騰する前に麺を投入していた為だ。グレープフルーツを食べたいから、半分に切って砂糖と持ってこいと言われ、縦に切って失敗してしまう。知らない事が多い。怒り役はチーフで、まあまあと長老がなだめる、そんな僕は気に入られていたのである。船長とは微妙だった、ロシアとのハーフである彼は20代後半か。小さな喫茶店で好きなもの食えと言うので焼きうどんを注文すると、「何だ垢抜けねえな、もっと別のもん考えろよ」と正論なのかとんちんかんなのか、そんな事を言ういちいち意見が多い性格で、小料理屋ではカラオケが苦手な事に説教までされた。とりあえず僕が入ったので船長の仕事を受け継いで応募者の案内を黒のスラックス、白いシャツにネクタイでやる事になる。失敗は無かったと思う、ごく稀に誰もいない時は電話で知らせる。夜に仕事を終えると社長がやって来る。僕の日当は5千円に食事代として別に3千円現金支給となる。「おう、お前か、フィリピン好きかフィリピン」、何を言ってるんだこの人は、チーフと同年代に見える社長は売り上げを持って去って行くのだった。
仕事をしていると内容も解ってくる。ホスト募集で登録させ、その為の登録料が生活源だ。4万円位で追加に更になんて無い、社会勉強の為あきらめられる金額であると思うし、勝手に80万のローンをはめられた僕には抵抗がもて無かった。船長はいつしか鳶職をすると出て行った、多分相手を説得させる会話が苦手で、面接の仕事が合わなかったのだと推測する。地位が上がる。くるは、くるは、どんどん来る。こっちの都合で打ち切る事も出来る。女性と出会えて金が貰える、電話番の僕は鳴り止まない電話に往生した。




