「好きな天気は?」
「皆さんの好きな天気は何ですか?」
自分の好きな天気のことを考えていた時に思い付いたことを書きました。エッセイです。
楽しんで頂けたら幸いです。
皆さんの好きな天気は何だろうか。
おそらく、多くの人は「晴れ」と答えるだろう。
「曇りは薄暗くて気分が憂鬱」「雨は服に濡れて嫌だ…」
そんな声が聞こえてくるような気がする。
しかしそんな世間の意見とは真逆に、私は曇りや雨の日が好きである。
理由はいくつか挙げられる。
まず曇りは、薄暗さそのものが好きなのである。低い位置にモクモクと広がる灰色の雲によって、いつもの街の景色が違うように見えてワクワク感が止まらないのだ。まるで空が降りてきて、自分を包んでくれている気分になる。
また雨音を聴いていると不思議と落ち着いてくる。自然のメロディーが聴こえて心地良い。雨の匂いも好きだ。雨も、晴れている時の景色とはまるで違って見えて新鮮な気持ちになれる。
ちなみに私は小学生の頃から、曇りや雨が好きだった。特に台風が来れば大変だ大変だと騒ぎつつ、荒れた天気に何故か興奮した。友人たちと話をしている時の、ザワザワと声のする教室が好きだった。
特に雨というのは身近に触れることが出来る自然の一つだと思う。花はさほど興味がない。虫は怖くて触れない。コンクリートで舗装された場所に住んでいては、土に触れる機会もなかなか無い。海だって、住んでいる場所によっては気軽に行けないと言う人もいるだろう。しかし、雨は怖くて触れないなんてことはないし、コンクリートの上だろうがどこだろうが雨は降る。(砂漠など滅多に降らない地域もあるが…)
地球が誕生してからこれまで雨はずっと降っていた。歴史上の人物も雨を見て、そして雨に降られていた。そう思うとまるで過去の人間と自分が繋がったような気がする。
逆に、よく『太陽のように明るい人』などという表現を耳にすることがある。これは100%褒め言葉だろう。
しかし私にとって『明るさ』が必ずしも『救い』とはならなかった。
太陽は眩しく直接見られない。それと同じ原理で、私は活発な人を見ると思わず目を背けてしまう。あまりにも眩しすぎると直視できない。どうしても自分と比べてしまうからだ。
「あの人はあんなに活発で明るいのに、自分は……」
そんな感情が湧いてしまう。
光は明るく強くなるほど、影も濃くなる。
眩しさは時に残酷になるのだ。
だから『太陽曰く燃えよカオス』の歌詞「太陽なんか眩しくって闇の方が無限です」「太陽ばっか眩しくって闇の方がすてき」という言葉にひどく共感した。
明るさは距離が遠くなればいつか消えていくだろう。しかし、闇はどこまでも続くのだ。
闇は刺激の少ない柔らかな色を出す。曇りや雨も同じなのだ。
またイタリアでは『どん底に落ちたら掘れ』ということわざがあるらしい。これも似たような考えだと私は思う。
自分が人生の底に落ちた時、どうするべきか。必死になって登るのか、いや違う。
さらに底を掘って沈むのだ。そしてじっくりと考え、悩み抜く。結論を早く出すのが目的ではない。
人生の暗く、深い場所に落ちた時は無理に明るさを求めたりせず、ただ沈み込むこと。自分はそうしたいのだ。
そしてもう一つ、天気には色や音のほかに、「人の思い通りにならない」という魅力がある。
これからの空模様がある程度予測できても、コントロールすることは到底不可能だ。そこがいいのだ。天気には善も悪もなく、ただ中立に存在している。
「良い天気」「悪い天気」と言うのは、あくまで人間の都合にすぎない。自然は癒しにもなれば脅威にもなるし、人の役に立つかどうかも状況次第だ。つまり意味などない。
だからこそ安心できる。
どれほど技術が発展しても、天気を意のままにすることはできない。私はそんな、人間を顧みない自然を眺めていると、なぜか気分が高揚してしまう。
生活の多くが「人の役に立つこと」に縛られ、人もまた「役に立つ人間」になるよう教育されている。そんな世界は息苦しい。私は便利な現代社会で恩恵を受けているが、時にひどく窮屈になる。しかし、自然はそんな考えをものともしない。
結局雨や曇りの空を見ることで、そんな世界に私は反発したいだけかもしれない。
明日は雨降らないかな。
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