第9話 無恵のカナタ②
突如出現した作務衣の男は周りの空気を気にせずなおも楽しそうに彼方を応援していると、後ろからゆっくり歩いてきた男が伏見と白兎に話しかけた。
「八雲の言うとおりだ。二人とも熱くなるのはやめよう。それ以上は訓練生同士の私闘として懲罰対象だ。」
「聡明ー。遅いよー、君のお気に入りがゴールしちゃうよぉ」
「八雲が早すぎるんだ。それと別にお気に入りじゃない」
まわりで見物していたクラスの生徒を含めて全体にぴりっとした緊張が走るのを栞は感じた。
男に向けて、中山が敬礼をする。
「藤特等陸佐」
「お疲れ様です。中山1曹。最後の彼もゴールしそうだし、ここはお開きにしてクラスのみなさんを教室に集めてもらえますか。別件で皆さんにお話したい事があります」
弾かれたように中山がその場のクラスの全員を教室に戻るように伝える。
皆、一様に足早と教室に戻っていく。
特等陸佐と呼ばれた男を栞は知っている。
いや、今や誰もが知る男だ。日本で最初の適応者にして、数々のホール発生時に外敵から多くの人々を救った英雄。
藤聡明だ。
聡明は栞に向かい合うと「初めまして、になりますかね。陸上自衛隊、外来天敵特別機動中隊を任されている藤です。この横須賀クラスの一期生でもあります」といって会釈をした。
腰に下げた日本刀が揺れる。英雄、藤聡明が刀を下げているというのはかつて市井で栞が耳にした噂どおりだった。
190センチ弱はありそうな身長と、引き締まったボクサーのような細さも相まってかなりの高身長のように見える。
銀縁の細身の眼鏡をかけ、さらさらとした髪型を含めてとても軍属の人間には見えない。
むしろ刀がなければ武のイメージからも遠く、ファッションモデルのように見える。そして丁寧な言葉遣い。
全てが彼の武勇伝とは真逆にアンバランスで、そしてそれが故に目の前の藤聡明の「際立つ強さ」を醸し出していた。
「今日から配属になった、医師の伊勢崎です」と栞も挨拶を返す。
「藤さん…」
いつの間にか彼方がゴールをしていた。身に纏った重りを脱いで、ふらふらになりながらも聡明のそばに立っていた。
次の瞬間、ゴールして緊張が解けたのか意識を失うように倒れ込みかけた。
「彼方。お疲れ様」聡明は変わらないテンションで声をかけながら倒れ込む彼方をすんでのところで抱き止めた。「八雲、悪いけど、彼方と一緒に教室にもどってくれるかな」と座り込んでいる作務衣の陽気な男に声をかけた。
作務衣の男は「もちろんだよー、やっぱり聡明、お気に入りじゃん。ほんなら先行くね。可愛い女医先生もまたね」と朗らかに言って、彼方の脇に立って肩に手をのせると、現れたと時と同様に瞬く間に姿を消した。
聡明は立ち上がると「後輩たちをよろしくお願いします」と改めて栞に頭を下げた。
「先ほどの赤い髪の伏見が言っていた事、実のところ僕らもまだよくわかってないんです。恩恵とはなんなのか。適応者とはなんなのか。なにをもってして恩恵なのか適応者なのかも実のところわかりません。僕らがこの能力についてわかっていることは少ないです。ただ超能力のようなものが使えればそれが恩恵なのか、他にも何かまだ判明してない側面があるのか。その意味で言うと、ほぼ意識がなくなるまで意志の力だけで走り切れる彼方のその努力の『強度』のようなものもある種の適応能力とも言えるかもですね。」と丁寧な口調でゆっくりとしゃべった。
差し込む夕日に目を細めると、「ぜひ、後輩たちをよろしくお願いいたします」と栞に改めて頭を下げて、聡明は教室にゆっくりとした足取りで向かっていった。
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