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第68話 命の配分


「ーー蔡鳳鳴秘書長!!!」

 扉のところで待機していた黄が慌てて飛び出してくる。


「そんな・・・まさか、本当に・・・」驚きのあまりいつもの冷静さがなくなっている。

 黄はハッとしたように反対側のストレッチャーを見て「楊常務は!?」と木葉に聞いた。


 木葉は静かに首を横に振る。黄はぴくりとも動かない楊常務の遺体を見て状況を把握した。


 一瞬の間の後、黄は弾かれたようにドアの外に出ると別室に待機させていた医師や看護師を大声で呼んだ。

 自身で秘書長のストレッチャーを手術室の外に押し出すと、急いで集まってきた医師たちに秘書長を預ける。

 奥の部屋から秘書長と常務の家族も騒ぎを聞きつけて出てくる。医師たちがストレッチャーを囲んで秘書長を移送させようとするのを見た秘書長の妻と子供達が、息を吹き返している夫や父の姿を見て大声で涙を流している。

 秘書長の妻が蘇生した夫に抱きつこうとして、慌てて駆け寄ってきた看護師に止められた。今はまだ重症なので治療が終わるまで待つように諭された妻は興奮が冷めやらぬと言った様子で、今度は黄に頭を下げて感謝の言葉を伝えている。

 あまりの秘書長妻の感情の高まりに黄は思わず木葉の方を見る。


 木葉は外の喧騒を手術室の扉のところで茫然と通路の喧騒を見つめていた。

 木葉を見た秘書長の妻は、場違いに手術室に一人立ち尽くす少女の姿に全てを察したのか、木葉の足元に縋りついて感涙の涙を流しながら何度も感謝の言葉に喉を震わせた。


「あぁ、感謝いたします。あなた様は私たち家族の恩人です。本当にありがとうございます。感謝いたします。」

 木葉は足元で小さくなって縋り付く50代の女性を前に固まった。

 オープンイヤーのデバイスを通して繰り返し耳に届く彼女の感謝の言葉を前に茫然とした。


 ー私じゃない。あの人が助かったのは亡くなってしまったこの人が運命を分けたから。


 木葉はストレッチャーに乗ったままもう動かない、もう一人の犠牲者であり本当の恩人の存在を足元の女性に伝えたかったがなんと言っていいのか分からなかった。



 丈二郎は黄に近づくと、そっと横から耳打ちをした。

「この子の能力にはいくつか条件がある。文字通り同じ命運を共にした二人の死者に、臨死状態ないし、死亡直後のタイミングのみどちらか片方にその死の運命を押し付けることができる。どちらが蘇生するかは彼女にもコントロールできない。もう片方の常務さんの方は悪く思わないでくれ」

 黄は丈二郎を見て「もちろんだ。元々助からなかったんだ。これは奇跡だ」と小さく呟いた。

「我々、人類は奇跡をうまく扱えたためしがないんだ。どうかこのことはあなたの胸にしまってほしい。そして関係者にもこのことを口外しないようにお願いしたい」


 黄はしっかりと丈二郎を見て頷いて、「私にできることはなんでもする」と力強く言った。

 すると突然大きな声が手術室に響き渡った。



「なんで・・・!なんで私の息子は生き返らないの!!なんで!!なんで!!なんで!あんた、なんとかしなさいよ!!」」


 楊安可常務の両親と妻、そして3、4歳くらいの女の子がいつの間に騒動に乗じて手術室に入って常務の遺体を囲んでいた。

 声の主は常務の母親と見られる年配の女性だった。

 年配女性は絶叫しながら涙を流して木葉にすごい剣幕でまくしたてていた。

 足元に女性が縋り付くだけでなく、突然絶叫する女性に叱責をされた木葉はあまりの事態に狼狽している。

 常務の母親は木葉の肩を掴んで大きくゆする。

「どうして?どうして私の息子はかえってこないの?返して、私の息子をかえして!」

 慌てて黄が常務の母親と木葉の間に割ってはいる。


「やめてください。楊常務は彼らが見つけてくれた時にはすでに亡くなっていました。この子に責任はありません」

 するとそれまでストレッチャーに横たわる息子にうなだれるようにしていた父親が黄を睨みつけた。


「なら、なぜだ。なぜ息子を助けなかった。秘書長は生きかえっていたぞ。彼も一緒に死んでいたはずだ」

 どこまで答えていいのかわからない黄が答えられないでいると、台湾最大企業の創業者会長である常務の父は目を真っ赤にして黄に詰め寄る。

「なんで息子を生き返らせなかった。金か?私がこれまで政府にいったいいくら渡してきたかお前にわかるか?それなのにお前ら軍部は結局政治家の命の方が大事なのか!?」

 世界最大のシャアをもつ半導体製造の台湾電子集積はその重要度から地政学的な観点でも台湾最重要の企業でもある。

 その創業者の楊会長が我を忘れて黄にくってかかる。

 見かねた丈二郎が流暢な中国語で間に割って入った。

「会長、これは恩恵能力の結果です。二人のうち一人しか助からない。そしてどちらを助けるかも選べない。そんな能力なんです。どちらも助からないより、どちらかだけでも私たちは助けたかった」

 大富豪の初老の男性は目を真っ赤に腫らしたまま、丈二郎の言葉を聞いて言葉にならない感情を押し殺した表情をした。頭ではわかるが、心ではわからない、という表情だった。


 丈二郎が「あなたの息子を殺したのは台湾政府でも軍部でもない。外敵だ。悪は奴らだ」と諭す様に告げると、会長は力なく側の椅子に座り込んだ。

 座り込んだまま、掌で顔を覆い声にならない唸り声をあげている。

 富と名声、成功を掴み全てを手に入れ、そして息子を失った男の後ろ姿にその場にいた丈二郎たちや黄は声をなくした。

 誰もがやり場のない悲しみと、誰も引き取り手がいない怒りに憔悴した。


 丈二郎は木葉を見る。

 木葉はいつにもまして顔面を蒼白にして、細かく唇を震わせている。

 立っているのもやっとという様子だった。

 ーーマズいな。と丈二郎が思った瞬間だった。


 思いもよらず、手術室が静まり返った瞬間だった。

 場違いなほど明るい声が響く。

 楊常務の妻の手に抱かれていた小さな女の子が静寂を破った。

「ママー、パパなんで寝んねしているのー?」

 幼女は繰り返し「ママ、ねぇ、ママなんでー?」と母親に問いた。

 無機質な手術室は残酷なほど幼女の声を響かせる。

 憔悴しきった美しき未亡人が幼女を抱きしめて、涙に震える声で、誰でもない誰かに懇願をした。


「……誰か、誰か夫をこの子に返してください…」


 灰色の手術室の空気に冷たく言葉が反響した。

 次の瞬間、木葉が倒れ込む様にかけ出して手術室を飛び出した。

【お願い】

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