第5話 横須賀クラス②
クラスはその後、ランニングトレーニングに移行した。栞はそこでもそのトレーニング内容に驚愕した。
武山基地内部の敷地の道、1周約3.7kmのコースを20周するらしい。
合計74km。
それも体に重たい鉛の装備をつけて。栞はその重りをもたせてもらったが、わずかでも持ち上げることができなかった。
生徒たちは次々と重りの入ったジャケットやリュックを背負うと、次々に走り出していく。自転車のロードレーサーのようなスピードだ。
あっという間に基地の奥に消えていって、5、6分もすると先頭の生徒が1周して戻ってきて、変わらぬスピードでまた駆け抜けていく。
栞は疾走する彼らを信じられない気持ちで眺めた。そして、当然のことに思い当たる。
(そうか。こんな身体能力をしているから、だからこそ、彼ら適応者だけがまともに外敵と戦えるんだーー)
生徒たちのランニングを終えるまでの間、他の基地内の自衛隊員も利用する食堂で中山と栞は早めの昼食をとった。時間が早いこともあって食堂内はまばらだったが、昼食の定食の配膳を受けると中山は周りに人がすわっていない奥の方の席まで栞を連れていって座った。
中山はB定食のチキン南蛮を頬張りながら栞に尋ねた。
「綱島管理監に誓約書ってかかされました?」
「あ、はい。自衛隊の、防衛機密事項だからと、今朝説明を受けて守秘義務誓約を書きました」
栞はふと気になった。
「管理監ですか?彼はご自身の事、事務長と言ってましたが」
中山は周りを少し見渡してそばに人がいないことを確認すると顔を近づけて声を小さくした。
「彼は自衛官じゃなくて、もともとは内閣情報調査室の警察官僚なんですよ。元、内調の管理監です。なんで裏ではそう呼ばれています」
聞いた頃あるでしょ、内調。といって中山は大きな口で白飯を掻きこんだ。
栞はこくりと頷いた。もちろん知っている。
内閣情報調査室、通称内調。政府官邸直轄の情報機関。
日本版CIAとも言われる組織だ。つまり、横須賀クラスは日本の情報機関の管轄で、自衛隊に組み込まれていることになる。
「横須賀クラスはそういう存在なんです。国家機密。でも、適応者にまつわる事柄はどこの国でも軍事機密として今や扱われています。適応者自体は世の中の公然の事実だけど、その存在の内情については機密事項。一般に知られることもあまりありません。今、各国は横で連携をして適応者に関することを表面的には協力しあっていますが、実際のところは機密事項として全ては開示しあわない。伊勢崎先生、これがどういうことかわかりますか?」
栞は少し考えた後「ーー敵は、外来天敵だけではないということ…」と呟いた。
「そうです。我々人類は今、外敵という強大な敵に直面しています。その敵を前に各国一致団結して戦わなくてはいけない。だから今、諸外国同士で戦争や内戦をしているわけにもいかない。現に東欧も中東も一旦は停戦状態です。でも、水面下ではそうではない。外敵がいなくなった世界の、次のパワーバランスを狙った新しい秩序への駆け引きや小競り合いがおこっていても不思議ではない。だから彼ら、横須賀クラスは機密情報なんです」
栞はふと疑問を感じる。
「あの、適応者が外敵との戦闘を行っているのはここにくる前から聞いたことがあります。割と周知の事実というか、広く知られていることだと思います。確かにさっき見た彼らは信じがたい身体能力です。でもそれが、世界のパワーバランスを変えるような軍事戦力であるようにおもえないのですが」
「5メートル飛んだり、70km走っても戦車や戦闘機、ミサイルの方が強いよねって事ですよね」と中山が栞の気持ちを代弁する。
栞は頷く。
「どうして彼らが各国のパワーバランスに関わるのか、午後の訓練を見てもらうとわかると思います。そこで目撃する事こそが、『誓約書』がある本当の意味です。」
中山はお皿に残ったチキン南蛮の最後の一切れを頬張ると「それ食べたらいきましょうか」と栞の刺身定食の最後のマグロの刺身を促した。
栞は急いで定食を食べ終わると、立ち上がりながら「誓約書」を思い出していた。
ーー国家機密。自分がこれから巻き込まれるかもしれない事に恐れをいただいたが、それでもやり遂げねばならないと覚悟を決めた。
すべては「あの人」のために。