第42話 廃墟の渋谷
「聡明」
丈二郎の声で藤聡明は振り返った。
座っていた腰高の瓦礫の山から聡明が表情を崩して立ち上がる。立ち上がった拍子にコンクリート特有の乾いた音を立てて、高層オフィスビルの最上階からコンクリート片が転がり落ちる。
かつてはビル一面を覆っていたガラス窓は割れ果て、フロア全体が半屋外のように吹きさらされ荒廃していた。ビル壁には細かい銃弾の跡が刻まれ、強い火力で焼かれた跡もある。
文字通りここはかつて戦場だった。米軍と自衛隊による渋谷松濤ホール鎮圧を目指し敗北した戦い、渋谷合同作戦の最前線だったビルだ。
地上100メートル近い高層ビルの頂上から落ちた野球ボールほどのコンクリート片はビルに生えるツタやシダにからまりながら路面に落下した。野鳥がビルを侵食するように育った樹木から飛び立ち、対面の割れたビル窓に飛び込んでいく。
渋谷が特別忌避区域に指定されてから丸5年が立っていた。世界的にも類を見ない甚大な人的被害を出した渋谷松濤ホールの発生以後、東京はこの忌むべき土地を放棄した。
現在は中目黒、原宿、恵比寿、南青山にそれぞれ特別駐屯隊を配備して24時間体制でホールの拡大に備えている。4箇所には全て外特機動隊の隊員が常駐もしている。
人類の警戒をよそに、5年前の惨劇からホール拡大の兆候を見せず、沈黙を守り続ける渋谷特忌区域は日本における外敵被害の象徴の地でもあった。
東京は渋谷一帯を放棄しながら何事もなかったかのようにその経済活動を続け、今なおをいつホール拡大という暴発を迎えるかも知れない事実に目を背けて都市として繁栄を続けた。
鎮魂と黙殺、警戒と麻痺。相反するベクトルを東京はあの日以来抱え続けている。
「6月なのに暑いな」
聡明は襟元をはためせながら廃ビルからの風景を眺める。高層階特有のビル風が吹き込むがすでに夏の到来を感じる湿り気を帯びた風だった。
このビルそのものは渋谷の高層ビルの中では低い方だったが、坂の上にある立地のおかげで目の前が抜けていて東京都心西部を見渡せる抜群の視界だった。遠くに新宿の高層ビル群が見える。
渋谷から押し出された人類は周囲の都心エリアに集積され、東京都心の過密さはこの5年でさらに増したと言われていた。聡明の足元に広がる渋谷の街が比喩でなくコンクリートのジャングルのように緑と一体化していて、その姿と新宿の高層ビル群を見比べて、それでもなおこの東京の地にしがみつこうとする人間生命力というか、変えられない繁栄への性の物悲しさを感じた。
丈二郎も聡明の横に立ちしばらく風に吹かれながら変わり果てた渋谷の街並みを眺め、ゆっくりと口を開いた。
「ついに遭遇したよ。北九州のホールにいた」
「あの時と同じやつか」
「わからない。印象は全く違う。ただ、あの時のやつと無関係だと思えないね」
丈二郎は言葉を区切ると、外を眺める聡明の目をまっすぐみた。
「今度のは饒舌だったよ。それも、不自然なくらい。聡明、デウカリオンって分かるかい?」
聡明は丈二郎の目を見ると首を振る。初めて聞く言葉だった。
「奴に言われたんだ。シミュレーションより早く『デウカリオン』が現れたと。どうやら彼方のことらしい。彼方を産んで『デウカリオン』にするとは人間は『罪深い』と言ったんだ」
丈二郎は聡明に正体不明のXとの会話を正確になぞって伝えた。
聡明は眉間に皺を寄せて黙って聞き続けた。丈二郎から盗聴防止に人が立ち入れない場所で、という指定でこの場所での密会を提案された理由が分かった。
大きく何かが動き始めている、と聡明は感じた。
いち早くそれを突き止めないと何か重大な事態に対処できなくなるのではという危機感を感じた。
「彼方はまだ目を覚ましてないが、身体に異常はない。じきに目を覚ますそうだ。熊野たちに彼方のことを見てもらっていて、彼方が起きてもこの話は外部に漏らさないよう箝口令を敷いたよ」
「なるほど…彼方の父親は確か神岡ホールで死亡認定されているはずだ。当時はまだ4番目のホールだったから対応も後手で山間部の研究施設のホールという特異な状況も含めて、ほぼ全員が行方不明からの死亡認定に近かったはずだ。ただ、あの状況下で父親までも生きていたとは思えない」
「うん。それに僕の感覚でも『あれ』は彼方の父親ではないと思う。なんていうか素直にいうなら彼方を見て単純に驚いていた」
「驚いた?」
「生き別れた息子と遭遇した、という極めて感傷的な反応としての驚きというよりは、ある子供にあったらその子供が兄妹、親戚とか友人とか近い間柄の人物の子供だった、人の世は狭いな妙な巡り合わせだな、みたいな驚きだった気がする。双子の兄妹の子供とかにばったり会ったとか」
「双子なら確かに理屈に合うな」聡明は頷く。
「問題は『あれは人間でない』ということだよ。もちろん見た目も会話もあらゆる全てが人間だった。ただ、対峙すると分かるんだ。五感を超えた何かで人ではない、と感じてしまった」
聡明は丈二郎の言わんとすることがよく分かった。まさにこの渋谷の地で二人が初めて邂逅した「奴」も人ではない何かだと直感した。そこから聡明と丈二郎の人生は交わり、今に至る。
あの時の言葉に表せない感覚は忘れられない。
「ホールの奥にいる、人ではない人のような何か、か」聡明は独り言のように呟く。
「天使なのか、悪魔なのか」丈二郎は聡明の言葉を受けて悪戯そう言うと、眼下の廃墟の街並みを見て言葉を続けた。
「ま、こんだけの悪さしているだ。天使って線はないね」
「人を模す悪魔。さながら、魔人だな」
自分で言った言葉が妙にしっくりとした。自分の故郷に空いた巨大なホール。そこにもし意思を持ち、感情を持ち、予測を立てて、計画をしている何者かがいればそれは確実に自分の家族を殺し、故郷を還れぬ場所に変えた元凶であろう。
魔人。聡明と絢が憎むべき本丸だ。怒りが静かに沸る。
自身も気がつかないうちに気持ちが表情に出ていたの、丈二郎が静かに聡明を見ていた。
「聡明。この話で僕が思ういちばんの大事なところは、奴が『役割』という言葉を発していたことだと思う」
「あぁ、そうだろうな。つまり、計画があり、それが複数に分割されて実行されている」
「そして、おそらくその計画に我々適応者や彼方が組み込まれているんだ」
「急いだほうがいいかもしれないな」と聡明は怒りを静かに燃やした瞳で決意するように言った。
「うん。これは新事実の発見というレベルの話ではなくて、新たなフェーズに入ったと見るべきだよ。奴らに計画があるなら、僕たちだけが最初のコンタクトである保証もない。バラバラではダメだ。各国の主力によるホール内侵攻を進めるべきだ。奴らの計画なんか潰してしまわないといけない」
「倒すべきは、ホールの中の魔人だな」
2人は静かに頷きあうと、渋谷の廃墟ビルを後にした。
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更新、だいぶ間が空いてしまいましたが、連載再開になります。
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