第4話 横須賀クラス
栞がクラス指導教官である自衛官、中山 剛志の後について教室に入ると、一様に生徒たちは栞を見つめた。
教室の中には、横須賀クラスの十五人の生徒全員がすでにいた。30個の瞳が栞のことを値踏みするように見つめている。彼らの視線から、少年少女特有の好奇心と高揚感、そして同時に、特殊な環境下に集められたもの特有の猜疑心を感じた。
15、16歳で親元や地元の友人たちから強制的に離別してこの機関に集められているのだ、身を守るための猜疑心は当然の反応だろうと栞は思った。ただ、なにかそれだけの感情ではないものも感じる。
「伊勢崎栞です。東京の病院で以前勤めていて、本日このセンターに赴任となりました。皆さんの健康や体の調子、そして何か悩みなどがあればぜひ相談してください。みんなにも馴染みがあるかな、学校の保健室の先生だと思ってください。よろしくお願いたします。」
栞が担任の中山に促されて挨拶をすると、少し寂しげなまばらな拍手が起きた。満面の愛想の良すぎる笑顔で拍手をする女の子。ゆっくりとした動作で拍手する大柄の男子。拍手をせず口角をシニカルに上げて椅子に崩れるように脚を組んで座る派手な赤髪の青年。臆病そうな目で探るように見つめて音のない拍手を打つ男の子。
(ーー特別感、か。)
栞は先ほどの心象に合点がいった。その他多勢と圧倒的に異なることが証明されたものたち特有の隔絶した距離感。きっと彼らは私のことを自分たちと同じ存在だと思っていない。
あたかも異なる生物の種のように、一つ下の存在として見ている。そう直感した。
これは、大変なところに来たものだ。だが、弱音は言ってられない。私には必ず成し遂げなくては行けない目的がある。栞は心を奮い立たせると「みんな、よろしくね!」とわざと明るく朗らかに言った。
クラスはその後、グラウンドでの運動能力測定に中山の指示のもと進行した。横須賀クラスは高校生年代なのでいわゆる授業の座学も行われているが性質上、自衛隊としての訓練や測定も多く組み込まれていてこの日は丸一日訓練や測定の予定となっていた。
栞は初日の見学として中山に帯同をすることとなった。
中山につられてグラウンドに出た栞は目を見張った。
人が、宙を舞っていたのだ。
グラウンドには競技用の棒高跳びのバーが設置されていた。生徒が助走をつけて飛び越えていた。ただ、通常の棒高跳びと異なるのは誰も高跳びを飛ぶためのポールを持っていない。
数メートル離れたところから助走をつけると野生動物のような素早さで駆け抜けて跳躍を切ると、体が宙に浮いた。重力が無視されたような奇妙な感覚を覚えるほどの跳躍で、五、六メートル垂直に飛び上がると悠々と棒高跳びのバーを超えてそのまま地面に着地している。
さながら月面の宇宙飛行士のようだ。もしくはカンフー映画のワイヤーアクションを思い起こす跳躍だった。
栞が驚きのあまり声を失っていると、一際目立つ赤髪の青年が弾かれたように走り出し、そして跳躍した。棒高跳びのバーをはるかに超え、その上空で宙返りをしながら体を捻って飛んだ。ムーンサルトだ。
建物の3階に届きそうな高さだ。
ーー人間の動きじゃない。
栞は心の中でつぶやいた。これは明確に、人類とは違う何か他の生物の動きだ。
まるで異なる惑星での映像や、演算されたゲームの中の映像のようだ。「私と違う物理法則で動いている生き物である」と栞は細胞レベルで感じた。
栞が呆然と立ち尽くしていると教官の中山が横に立っていた。
「有名な話ですが、高跳びで8フィートを超えた選手は人類史上ただ一人だけなんです」
「8フィートですか?」
「はい。メートルでいうと2.4mちょっとです。彼らが飛んでいるあそこのバーは4m50cmにセットしてある」
「・・・2倍近いのですか」
「そうです。今とんだ赤い髪のやつ。伏見と言いますが、彼は先週6.2mを突破していて、これは棒高跳びの世界記録です。世間じゃ、あいつらのことを色々言ったり、この横須賀クラスのことを隔離施設だとか批難もありますが、適応者とはよく言ったものです。彼らは確実に人類を超えている」
目の前の変哲のないグラウンドを月面のように跳躍する彼らを見て、栞は彼らが通常の高校にいる姿を想像した。
見た目は何も変わらない、高校生のようだ。順番を待つ女子生徒二人はおしゃべりに興じて、男子三人がふざけ合っている姿を見ていると普通の高校の1シーンのようだ。
本当に何も変わらない。だが、軽々と世界記録を超えて跳躍をする。跳躍だけではなく、腕力や脚力、瞬発力、あらゆるものが超人的なのである。おそらく何かの問題やトラブルが大なり小なり起こる。
教育関係の専門家でなくても、ひとりの常識のある社会人として感覚で理解できる。体育や部活動といった細やかな事ももちろん、一般学生をふくめた学内のコミュニティへの影響、秩序もコントロール外になるかもしれない、単なるじゃれあいから非行・暴力を含めた傷害事件的な事、なによりも適応者である彼らが一般学生に囲まれることで孤独を逆に感じる。
実に多様なイメージがついた。おそらく、数で勝る一般の生徒がやがて彼ら適応者の生徒たちを排除するように思う。それほどまでに彼らは人間を超越して、隔絶している。適応者の彼らから見て、我々がチンパンジーに見えていてもおかしくない。
そして、そういった感覚は他者へ伝わってしまうものであろう。猿の群れに人類は紛れ込めないし、猿たちは人を追いやるであろう。
一人、目を引く男子生徒がいた。先ほどの赤髪の伏見という青年とは別の意味で目立っていた。
一般的な感覚では十分超人的な跳躍なのだが、他とくらべて明らかに「低い」跳躍で、一人だけ棒高跳びのバーにひっかかるような状態だった。
馬力が足りず、明らかにパフォーマンスが違うようで、レーシングカーの中に軽自動車がいるような出力としての最大値がそもそも違うようだった。かなり無理をしているのか跳躍した後も、一人だけ肩で息をしているような有様だ。
「彼だけ、ちょっと厳しいみたいですけど」栞は中山に尋ねた。
「適応者にも当然能力的な差異はあるみたいで、それはジャンル的な得意不得意みたいなのもあります。ただ、彼だけちょっと違って、全体的に能力が伸び切らないというか、他と比べるとどうしても全体的に劣るんです。」
中山は顎鬚を触りながら、如何ともし難いという表情でつぶやいた。中山もあの少年を気にかけているようだった。
「戸隠、というんですが、彼はちょっと経緯が特殊でして…」と中山は一人だけ能力に劣る少年について解説を続けた。