第34話 脱出
なるべく音がしないように低速で車を走らせる。
聡明はもちろん無免許だったが、最初だけオートマのシフトレバーに手こずるものの、意外とうまく運転ができているようだった。しかし、順調なのも束の間、住宅街の細い通りを抜け高速に向かう幹線道路に出たところで緑のモンスターに見つかった。
少し遠くの民家から突如飛び出してきて素早く走ってきたと思ったら跳躍してボンネットに飛びついてとりついてきた。
「絢、つかまって」聡明は短くいうと急ブレーキをかけた。
取り憑いた緑のモンスターは油が張られたボンネットでうまく体勢を維持できず、急ブレーキを受けて前方に放り出されて転落した。
そのまま間髪入れず、聡明はアクセルを目一杯踏んで車を急発進させた。
ーッッダン!
大きな音と衝撃と共にモンスターをタイヤで踏みつけて乗り上げ、そのまま走り去った。急いで絢は後方を振り返ったがモンスターはぴくりとも動かなそうだ。
「どう?」前方を見て運転する聡明が聞く。
「すごい、やっつけたかも」
「意外とうまくいったな。たくさん油あってよかった」
「車、燃えないかな」
「大丈夫だとおもう。食用の油の発火点すごい高いはずだから」
「やば。またくるよ」
絢が今度は反対側の民家から飛び出してきたモンスターを指差す。
「もう一回やるよ。掴まって」聡明はブレーキに足をかける。
なんとか幹線道路まだたどり着いた二人は、衝突したりして乗り捨てられた車両を避けながら蛇行をして進んでいく。
その途中でたまに緑のモンスターが思い出しかのように通りから走ってとりついてくる。同じように緩急をつけて振り落として轢いたり、一気に加速して車で跳ね飛ばしていく。
車のバンパーがガタガタと外れかけている音がする。
やがてしばらく走っていくと奥手に高速の入り口に続く一本道が見えた。
聡明が車をゆっくりと停止させる。
月明かりに照らされた道の奥で数匹のモンスターが蠢いているのが見える。
どうやら高速に入ろうとした車を襲撃した所のようだ。路面にはその車に乗っていた人だろうか、倒れた人影が見える。
状況を見るに乗っていた人はもう亡くなっているようで、モンスターたちは車そのものをおもちゃのようにしてガラスを割ったり、ボンネットを叩いたりして遊んでいみたいに見える。
「ーー通れないな」
1車線のランプになっていて道を襲撃された車両が塞いでいて、横の斜面を含めて素早く通り抜け難しくなっていた。
幸いヘッドライトをつけず徐行してきたおかげもあり、モンスターたちはこちらに気がついてなさそうだった。
「ハンドルかわって。何かあったら一気に駆け抜けて」
聡明は静かにシートベルトを外す。
「だめ、だめだよ。聡ちゃん、死んじゃう」
「絢、大丈夫。僕らは必ず生きてここを出る」
聡明は後部座席から、オイルを入れた小瓶二つと日本刀を抱えると静かに車から降りた。
月明かりのなかゆっくりと聡明が前方の車両に近づく。
まだ向こうは気づいていてない。
聡明はしゃがみ込むと日本刀を路面に置いて、素早く絢の父のライターで手製火炎瓶に火を着ける。
薄暗い闇の中に小さな松明のような火が二つ灯った。
次の瞬間、聡明は前方の襲撃された車両に向けて続け様に二つの火炎瓶を投げつけた。
一つはまともにモンスターの頭部で破裂して、当たったモンスターを火だるまにした。もう一つは割れた窓から車内に入り車内を炎上させた。
全部で3体のモンスターがいた。
1体は聡明が投げた炎瓶が直撃して車両の横で火だるまになりのたうち回っていて、別の1体は車両の中にいたようで、車の中で火だるまになり天井にぶつかったりシートに跳ね返ったりしっちゃかめっちゃかになっている。
そして、もう1体は車の天井に取りついていて、火炎瓶が投げ込まれると跳躍して無傷で地面に降りた。
仲間のモンスターたちが苦しむのを横目にまっすぐに聡明を満月に光る黄色い大きな目で睨む。
一気に聡明に向けてモンスターが駆け出す。
聡明は地面から拾い上げていた日本刀を握り一気に鞘から抜くと、そのまま向かってきたモンスターに上段の構えで振り下ろした。
憎しみをこめてありったけの力を込めて振り下ろす。
月あかりを浴びた刀身の残像が一閃する。
モンスターが聡明のすぐ脇にどさっと音を立てて倒れた。
見事に肩から胴にかけて切り伏せられていた。
肩で息をする聡明は絢の方を振り返る。
右手に下げた日本刀からモンスターの血が滴り落ちる。
火炎瓶を投げつけた前方の車両でガソリンに火がついたのか、「ドンッ」という音と共に大きな炎が上がる。
メラメラと巨大の炎が聡明の後方であがる。
日本刀をゆっくりとした動作で鞘に収める聡明が火炎の中で浮かび上がる。
絢は聡明がこの世の地獄に降り立った鬼のように見えた。
私たちはもう、元の世界に戻れないのだ、と絢は悟った。私たちは今日からこの世界の続きを生き抜くのだ。
不思議とすっと心に覚悟がきまるような、ストンと理解がいった心情になった。
聡明は車に戻ると慎重に車両を斜面を這うように運転して、炎上する車両を迂回した。そしてそのまま高速に入りスピードを上げた。
車内は無言だった。二人はひたすら前を見つめて車を走らせる。
モンスターは高速に入ってからは現れず、危険な場所を抜けたように感じた。しばらく走ると高速が高台にあがっていき、森の切れ間から遠くに千歳の街が見える場所に差し掛かった。
「聡ちゃん、停めて」
聡明が路肩に車をゆっくりと止める。二人は車からおりた。
千歳の街の至る所で火災が起きて火の手や煙が上がっている。
特に空港周辺は大火災になっているようで、巨大な黒煙が登り続けている。自分たちが生まれ育った街は見る影もなく変わってしまっていた。二人はしばらくその光景を言葉もなく眺めた。
「聡ちゃん、私決めたよ」絢が燃える街を真っ直ぐに見て言った。
「私は、もう2度と、誰にも私の家族を傷つけさせない。必ず、その前に私がそいつを殺す。どうやってでも、何をしてでも私がそいつを殺す。聡ちゃんのことを傷付ける奴が現れたら、今度は私が必ず殺す。もう2度と家族を失わない。私が必ず守る」
「うん」
聡明も燃える街を見て短く応える。遠くの空が少しだけ白んできている。夜が明けようとしているのだ。
「絢」
聡明が静かに呼びかける。
火災のせいか強い風が吹いていて絢の髪を強くなびかせている。
燃える千歳は随分と遠いはずだが、心なしか炎に照らされて絢の横顔が赤く揺らぐように見える。
「そしたら僕は、あいつらを根絶やしにするよ。僕が、必ず、あいつらを全ての殺し尽くす。絢。僕が全部倒して、あの街を、僕らの家を取り戻すよ。そしたら一緒に帰ろう」
「うん」
絢が暴れる髪を抑えて、聡明を見る。
いつもの朗らかで優しい笑みを浮かべる絢の表情はそこにはない。
冷たく笑わない瞳で聡明を真っ直ぐに見た。
「うん。絶対だよ。必ず帰ろう」
聡明は血と泥で汚れた手で絢の笑わない頬を拭う。
こびりついた絢の父親の血は少し掠れたが取れなかった。
突然、聡明の心にいろんな感情が湧き起こる。
悲しみ、自責、後悔、無力感、そして、怒り。絢の頬を拭いながら抑えきれない感情が言葉になって吐き出される。
「そしたら、いっぱい笑おう。心から」
言葉を発した瞬間、聡明の右目から一筋涙が溢れる。
絢は笑わない瞳のまま背伸びをして、自分より背の高い聡明の頭を引き寄せるようにし肩に抱える。
聡明は絢の肩にもたれたまま、涙を流した。
遠くの山の向こうで朝日が上がり始めた。
二人は燃える街に背を向けると再び車に乗った。
しばらく走ると自衛隊が高速道路で封鎖をして防御ラインを張っていた。二人はそこで保護され、医師の診断や警察や自衛隊の調書を取られた。
その後しばらくして、千歳市一帯の避難民の受け入れを行っていた自治体の一つである旭川に移送をされた。
二人は同じ仮設施設を割り当てられて暮らすこととなった。
近隣の高校にも臨時クラスが開かれ、生き残って疎開した何人かの高校生たちと一緒に授業を受け、施設で暮らした。
落ち着いてくると何度か二人で札幌に行ったり周辺の地区に足を運んで避難民の居住施設などで絢の母親を探したが、見つからなかった。
その後国会で可決されたホールにまつわる特別法案で絢の母親は甚大な被害者数を出した千歳ホールの被害者の一人として死亡が認定された。
一方で、絢には聡明本人は言葉少なにあまり語らなかったが、両親が家の中で死亡していたのを聡明が当日千歳に戻った際に発見していたようだった。
その後、年が明け1月になり二人は揃って仮設施設の避難先で誕生日を迎えた。
そしてまず最初に聡明が適応者として覚醒した。
日本で最初の適応者として国の研究施設に連れて行かれた。
ほどなくして、時をおかず絢も適応者としての能力を聡明の後を追うように覚醒し、聡明と同じ施設に移送された。
翌年、新たな法案が可決され横須賀クラスが開設された。
他の地区でも発生したホールで覚醒した適応者とともに一期生として聡明と絢は招集され、北海道を後にした。




