静かな夜
最初はほんの些細なことだった。
帰る時間、会話の回数、目を合わせる瞬間――
どれも少しずつ変わっていっただけなのに、それがなぜか胸の奥をざらつかせた。
「たぶん、大丈夫」と思い込むたびに、心のどこかが少しずつ冷たくなっていく。
ふたりの時間は、すこしずつ“ひとりの時間”にすり替わっていった。
霖太は食卓に一人、静かに座っていた。テーブルの上に並べられた料理は、花音が帰ってくるはずだった時間に合わせて作ったものだった。しかし、時計の針は深夜を回り、花音はまだ帰ってこない。
彼女はまた、飲み会に行っているのだろう。終電で帰るのがすっかり習慣になっていた。しかし、それがどうしても霖太の中で引っかかっていた。最初は理解しようとしていたが、最近ではそのことがどんどん不満に変わっていった。
「また一人か。」
霖太は小さくつぶやきながら、冷めた料理を口に運ぶ。彼女が帰るまで待つのが習慣になりつつあった。しかし、毎回帰ってくるのが終電を過ぎた頃。今ではそれが当たり前になり、霖太の心にはだんだんと空虚な感情が広がっていった。
その夜も、花音がようやく帰宅したのは午前1時を過ぎてからだった。帰ってきた花音は酔っ払っている様子で、無邪気に笑いながら霖太に近づいてきた。しかし、その顔を見た霖太は、どこか冷めた気持ちを抱えていた。
「おかえり。遅かったね。」霖太は無理に笑顔を作って言った。
「ごめんね、飲み過ぎちゃって。今日は楽しかったよ!」花音は楽しそうに言ったが、その言葉に霖太はなんとも言えない疎外感を感じていた。
「いつも楽しそうにしてるけど…俺はどこにも入れない。」
霖太は心の中で呟き、何も言わずに立ち上がって部屋に戻った。
その後、二人はいつものようにテレビを流しながら食事をとり、同じ部屋にいても別々の時間を過ごすことが増えていった。霖太は、あえて花音に言いたくなかった。彼女の自由を尊重したいと思っていたから、何も言えなかった。しかし、心のどこかで、この関係が少しずつ崩れていく予感がしていた。
ある日、花音がまた遅くまで外出している時、霖太はついに我慢できなくなった。
「最近、俺、あんまり花音と話せてない気がするんだ。」霖太が突然言った。
「え?そんなことないよ。」花音は驚いた様子で答えたが、すぐに何も言わずに黙り込んだ。
「いや、飲み会が多すぎだよ。もっと一緒に過ごす時間が欲しいんだ。」霖太はついに本音をぶつけた。
花音は少し考えてから、「ごめん。でも、今は友達との時間も大切にしたくて…霖太は別に一人でも平気だよね?」と答えた。その一言に霖太は言葉を失った。
「俺が我慢すればいいんだよな。君が楽しんでいるんだから。」
その後も何度かこのような言い争いが続いた。だが、霖太はその度に自分を抑え、花音の自由を尊重しようとした。それが本当の愛だと思っていたから。付き合ってから5年、気づけば二人の間にはどんどん溝が深まっていった。
◆登場人物◆
土井霖太:誠実で真面目な性格だが、仕事に追われるあまり大切な人への感謝の気持ちを忘れがち。花音と同棲し、将来を考えていたが、次第にギクシャクし始める。
山科花音:明るく社交的で、周囲との関係を大切にする。霖太と共に過ごす日々の中で、だんだんと違和感を感じ始め、運命の出会いをきっかけに心が揺れ動く。