エピローグ
穏やかな日々が、少しずつ変わっていった。気づかないふりをしていた違和感が、やがて形を持ちはじめる。あの頃確かにあった幸せの輪郭が、静かに揺らいでいく中で、花音はひとつの選択に向き合うことになる。
私は幸せの絶頂にいた。翔真と並んで歩く未来を疑うことなんて、一度もなかった。些細な喧嘩も、過去の思い出も、すべてを超えてこの人となら生きていけると、心から思っていた。
それから数年。
家の中に、ぬるい沈黙が満ちていた。毎日顔を合わせていたはずの翔真が、最近は遅くまで帰ってこないことが増えた。スマホは肌身離さず、LINEの通知音には妙に敏感だった。胸の奥で不安が波のように寄せては返す。
ある日、ふとした拍子に見てしまった翔真のスマホの通知。そこには知らない女性の名前と、甘えた言葉。
何度も「違う」と自分に言い聞かせた。でも、翔真の目を見た瞬間、すべてを悟ってしまった。
「ごめん」
その一言で、私たちの関係が瓦解した。浮気を認めた翔真は、私が知っている彼じゃなかった。いや、ずっと知らなかっただけなのかもしれない。
泣き叫ぶことも、怒鳴ることもできなかった。ただ、静かに、崩れていく日々を見つめるしかなかった。
私は翔真の荷物が消えた部屋に座り込んで、しばらく動けなかった。思い出が詰まった空間が、今はただの空っぽな箱みたいに見えた。
それでも、生きていかなくちゃいけない。
どれだけ信じた人に裏切られても、私は私の人生を歩くしかない。
翔真。あなたと過ごした時間を、私はきっと忘れない。私は長く降り続く雨に飛び出して、濡れることを恐れなかった。
◆登場人物◆
山科花音
羽生翔真