第4話 気に食わない相手②
そんなある日の夕刻、伯爵家のサロンにカイルが訪ねてきた。渋々応対するレティシアだったが、よく見ればいつもよりカイルの顔色が険しいように思える。
「どうしたの、カイル。今日はやけに血走った目をして。わたくしの顔を見るだけでそんなに苛立つのなら、帰っていただいても結構ですけれど」
「レティシア、勘違いするな。これは別の問題だ。……いや、おまえに説明するのも面倒くさいが」
「そっちこそ、わたくしに興味などないはずでしょう? なら黙っていてくださる?」
いつも通りに刺々しい会話が始まるが、レティシアはカイルが妙に言い淀む様子に気づいた。普段なら軽口で言い返してくるのに、何か頭を悩ませているようだ。もしかすると、自分と同じように厄介な人物に絡まれているのでは――そんな予感が頭をよぎる。
一方、カイルもレティシアの機嫌が悪そうな点に目を留める。いつも毒舌で挑んでくるとはいえ、今日はどこか苛立ちを隠せていないように見えた。実際、クラリッサとの一件で頭を痛めているレティシアは、あからさまに不機嫌そうな表情をしていた。
「……おまえ、何かあったのか? いつも以上に不愉快そうだ」
「はあ? わたくしの機嫌など、あなたに関係ないわ」
「そりゃそうだが、何をそんなに怒っている?」
言葉には遠慮がまるでないが、その声色はさほど冷たくもない。レティシアは少し戸惑いつつも、この機会を利用してクラリッサについて探りを入れてみようと思い立った。
「あなたこそ、何かトラブルでも? いやに苛立っているように見えるわよ」
「……ああ、少しな。俺が嫌っている男が最近、俺の評判を貶めようと画策しているらしい。くだらんが、放置するには不快すぎる」
「へえ。奇遇ね。わたくしにも大嫌いな女性がいて、そいつが婚約の噂に便乗してわたくしを揶揄してくるの。癪だわ」
これだけでも珍しいことだった。いつもは互いの事情など聞きたがらない二人が、どこか噛み合う形で「腹立たしい相手」の存在を口にしている。レティシアとカイルは皮肉を交えながらも、相手がどんな人間かを少しだけ説明し合った。
「なるほど、おまえをライバル視している令嬢か。勝手に誤解を広められでもしたら、やっかいだな」
「そういうあなたも、ライバル視されているようじゃない。『冷酷な跡取り』とかなんとか、あれこれ噂を流されているんでしょう?」
「それは事実の一面かもしれないが、勝手に話を膨らませられるのは不愉快だ」
カイルは鼻で笑いつつも、わずかに眉根を寄せる。その目は、まるで「やり返してやりたい」という感情を映し出しているようだ。一方、レティシアも負けずに「わたしもあの女に仕返ししたいわ」と低い声で漏らした。
「まさか、こんな形で意見が一致するとは思わなかったわ。あなたなんかに力を借りるつもりはなかったけれど…」
「そっちこそ、俺を信用しているわけじゃないだろう。だが、もし利害が一致するのなら、手を組むのも悪くないかもしれない」
「それはつまり、『共通の敵』を倒すためなら協力するということ?」
「気に食わない連中が俺たちの評判を利用して遊んでいるのだから、そんな連中を黙らせるには一筋縄ではいかない。……おまえが少しでも使えそうなら利用してやる。その程度の話だ」
「ふん、言ってくれるわね。わたしもあなたが足を引っ張らないなら、仕方なく利用してあげてもいいわ」
互いににべもない言い方をしながら、その眼光は妙に鋭く交わる。そこには「信頼」という言葉からは程遠い空気があるが、同時に「利害の一致」を見いだした瞬間の手応えがあった。
「なるほど。おまえはクラリッサとかいう令嬢を牽制したい。俺はフェリクスを黙らせたい。いずれも、婚約話を餌に好き勝手な噂を流している連中だ」
「ええ、だからわたくしたちが『表面上でも』一致団結しているふりをすれば、あちらはやりづらくなるはずよ。少なくとも、わたしたちの間に亀裂があると思わせるよりマシだわ」
「同感だ。ああ、面倒なことに付き合わなくてはいけないとは。正直、楽しみとは言えないな」
「わたくしだって、あなたと協力しあう夢にも思わなかったわよ。……だけど、今回ばかりは必要なことかもね」
こうして二人は、半ば衝動的かつ打算的に「共闘らしきもの」を結成しようという方向に傾き始めた。もちろん、それはあくまで「嫌な相手を打ち負かすため」であって、お互いの好感度を上げるためではない。むしろ「あなたなんか本来ならゴメンだが、やむを得ない」という態度を崩さない。
しかし、最悪な性格同士がまったく違う理由で相手を嫌っていたのに、ここへ来て「共通の敵」を持つとわかった瞬間、奇妙な結束が生まれようとしているのは事実だ。
「……じゃあ、まずは情報を仕入れるところからかしら。あの女が何を企んでいるのか、徹底的に突き止めるのも面白そうね」
「俺も同じく、フェリクスがどう動いているのか探りを入れてみる。いずれおまえとも情報を共有しよう」
「ええ、足を引っ張らないでよね」
「言うまでもない。そっちこそ、口先だけの邪魔はしないでもらおうか」
そんな風に皮肉を言い合いながら、レティシアとカイルは一つの決意を固める。事態を打開するために、利害の一致を利用して共同戦線を張ること。それは彼らの性格を考えれば、当初はほとんどあり得ないシナリオだった。だが、今はそこに妙な説得力がある。
こうして、悪趣味な噂や陰謀を巡る戦いへ向けて、二人は足並みを揃えるかのように動き始めた。互いの口から出るのはどこまでも辛辣な言葉ばかり。それでも、少しばかり光るのは「連携」という名の閃光。使用人たちや周囲の人々が、この二人が結託すると知ったらどんな表情を浮かべるだろうか。
クラリッサとフェリクス――それぞれが思惑を抱えながら動く中、レティシアとカイルという「最悪の組み合わせ」が手を組む予感だけが、この場に新たな刺激として広がっていく。まるで嵐が近づいているかのように、何かが巻き起こる直前の空気が満ちていた。
今はまだ始まりに過ぎない。だが、嫌われ者同士が共通の敵を前にして、その歯車が噛み合ったとき――最凶タッグと呼ばれるに相応しい騒動が、きっとこの社交界を大いにかき回すことになるだろう。心のどこかで高ぶるような、けれど認めたくはないような興奮を抱えつつ、二人はそれぞれの屋敷へと戻っていった。これから本格的な共闘へ突き進む、その第一歩を刻むために。