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第4話 気に食わない相手①

 伯爵家と公爵家の間で正式な婚約として扱われ始めて以来、レティシアとカイルの日常は変わらず険悪な雰囲気に満ちていた。ただ、何度となく顔を合わせて皮肉ばかりを言い合ううち、周囲の使用人たちは既に慣れつつある。それどころか「なんだかんだでいつも会話が成り立っている」と、好奇心すら抱く者も出始めていた。だが、そんな「生温い」空気を一変させるような出来事が、このところ水面下で動き出していることを、二人はまだ知らない。


 ある日の午後、レティシアはいつものように社交の場へと向かっていた。というのも、ある伯爵夫人が自宅でお茶会を開くからと招待してくれたので、渋々ながら出席することにしたのだ。行けば行ったで噂好きの貴婦人に囲まれるのは面倒ではあるが、伯爵家の娘として最低限の付き合いを無視するわけにもいかない。


「はあ、あのお茶会にはあの人も来るのかしら。いやな予感しかしないわ」


 ドレスの裾を直しながらそうつぶやくレティシアは、珍しく憂鬱そうな顔をしていた。理由ははっきりしている。彼女が「どうしても気に入らない」と感じている令嬢が、このお茶会に来るという情報を耳にしたからだ。


 名をクラリッサという。男爵家の生まれだが、母方の血筋に侯爵家を持ち、かつ実家が商会との繋がりで財を成したという複雑な出自の女性だ。いわゆる「華やかな話題」をかき集めるのが得意で、レティシアのように人を突き放す令嬢は彼女の好奇の対象になりやすい。実際、この数カ月ほどクラリッサは「レティシアの婚約話の裏には何かあるのでは?」と、しつこく嗅ぎ回っている。


 とりわけ、レティシアが公爵家のカイルを婚約者に持つと決まったときは、「どうせお似合いではないのだろう」と失笑するような言葉を漏らしていたと聞く。自分も性格が良いとは言わないが、ああいう表面だけ取り(つくろ)いながら他人を見下すような令嬢は、どうにも我慢ならない。レティシアにとっては、数少ない「本当に嫌い」と言い切れる相手でもあった。


「クラリッサのことよ。あれは噂を利用して人を振り回すのが趣味みたいなものだから」


 そう独りごちながら、レティシアは馬車に乗り込む。すると、窓の向こうに人影が見えた。冷たい視線をこちらに向けてくる人物――カイルである。偶然なのか、ちょうど彼も別の用件で伯爵家を訪れていたようだ。使用人に何やら指示を与えている様子だが、レティシアと目が合うと一瞬だけ眉をひそめた。


「……なによ。まるで『また出かけるのか』って顔ね」


 もちろんカイルの声は聞こえていないが、レティシアは心の中でそう毒づく。馬車はそのまま揺れ始め、まもなく伯爵家の門を出て街へと繰り出していった。


 お茶会の会場に着くと、そこには予想どおりクラリッサの姿があった。彼女は雅やかなレースをあしらった淡いピンクのドレスに身を包み、周囲の貴婦人から「なんて可愛らしい」と褒めそやされている。まるで社交界の華であるかのような立ち居振る舞いだが、レティシアにはその笑顔の裏にある思惑が透けて見える。


「まあ、レティシア。あなたがいらっしゃるなんて聞いていなくて驚いたわ」

「招待を受けたから来たまでよ。そちらこそ、楽しそうで何よりですわね」


 社交辞令すれすれの言葉をかわしていると、クラリッサはさりげなくレティシアのドレスを上から下へ眺め、唇に薄い笑みを浮かべる。


「ふふ、さすが伯爵家のご令嬢。今日の装いもとても素敵。けれど、もっとおとなしい色のほうがカイル様には好まれるんじゃなくて?」

「あなたには関係のないことよ。公爵家の好みをわざわざあなたに教える義務はないわ」

「まあ、意地悪。わたしは親切で言ってあげているのだけれど。だってあれほど『冷たい』と噂のカイル様が、どれだけあなたに興味を持っていらっしゃるのか気になるじゃない?」


 意地の悪い笑顔でそう言い放つクラリッサを見て、レティシアの胸に小さな怒りが灯る。確かにカイルは冷たい男だが、よそからあれこれ言われたくはない。まして、それを興味本位で楽しもうとする態度には我慢ならないものがある。


「ふふ、噂がお好きなようね。……でも、どんなに探ってもあなたの期待するような愉快なことは起きないと思うわ」


 レティシアはそう言い切って踵を返した。これ以上付き合えば、そのまま口喧嘩に発展しかねない。お茶会の席で大騒ぎをすれば、また厄介な噂が広がるだけだろう。とはいえ、クラリッサのあの態度は明らかに「挑発」である。レティシアは怒りを押し殺しつつ、彼女が今後どんな手段を使ってくるのか、注意を払う必要があると感じた。


 その頃、公爵家ではカイルが書斎で一通の手紙を読んでいた。それは彼にとって厄介な人物、すなわち「公爵家の利権をどうにかして奪いたい」と画策している別の貴族の息子――フェリクス――からの挨拶状とも言える内容だった。


 フェリクスの実家は伯爵位こそ持たないが、多方面に手広く人脈を張り巡らせており、その影響力は侮れない。昔からカイルに何かと張り合ってくる存在で、周囲に「公爵家の跡取りなど大したことはない」などと言いふらしているとも聞く。カイルは基本的に他人を相手にするのを面倒がるが、フェリクスだけは放っておくと後で面倒が増す危険な男だとわかっていた。


「……ふん。相変わらず下品なほど回りくどい文面だな。まるで『いつでも手を貸せる』などと恩を売るような書き方をしてきやがって」


 カイルはそうつぶやき、手紙を机に放り出す。どうせ本心は「自分こそが公爵家の信用を勝ち取りたい」という欲望にまみれているのだろう。そして厄介なのは、フェリクスが最近、カイルの婚約話にやたら口を挟むようになっているという点だ。


「婚約者があの伯爵家の娘? へえ、それであの冷たいカイル様は上手くやっていけるのかな。あんまり相手をないがしろにしていると、そのうち大変なことになるんじゃない?」


 そんな風に、あちこちで憶測を垂れ流しては、どこからともなくカイルを(おとし)めようとしているという。カイルにとっては放っておきたい話だが、放っておけばライバルが自分の評判をさらに損なうよう動くのは目に見えている。


「くだらん。だが、これ以上好き放題言わせておくわけにもいかないな」


 カイルは不愉快そうに手紙を睨みつける。相手が噂を流すだけならまだしも、公爵家の家臣や使用人にまで手を回して情報を探られたりすれば面倒は倍増するだろう。まして、伯爵家との婚約を足掛かりに弱みを探られるのも避けたいところだ。


 こうしてそれぞれが、それぞれに嫌う人物からの策動を感じ始めていた。レティシアはクラリッサという形で、カイルはフェリクスという形で。二人とも、「自分にとって厄介な相手がいる」という点では同じ状況に置かれたわけだが、この時点ではまだ互いに気づいてはいない。

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