第3話 皮肉だらけの会話②
こうして翌日もまた、二人は顔を合わせる機会が巡ってくる。貴族社会では、婚約が決まれば公の場で一緒に姿を見せることも少なくない。今回も、知人が催す音楽会へ招かれたため、半ば強制的に「婚約者同士」という形で同席することになったのだ。
華やかな会場に足を踏み入れると、レティシアは早々に「あまり近づかないで」と言わんばかりのオーラを放つ。一方でカイルもまた、他人の前で取り繕う気などさらさらないため、二人は微妙な距離を保ちながらそれぞれの知り合いに挨拶をして回る。
「まあ、レティシア嬢とカイル様がいらっしゃるなんて、今日は何とも目新しい取り合わせね」
「お互いになんだかんだで仲がいいのでは?」
そんなからかい気味の言葉を聞くたびに、レティシアは決まり悪そうに顔をそむける。カイルも「笑えない冗談だ」と一蹴する。ところが、ちらほらと「似た者同士のようだ」という声が聞こえてくると、なぜか二人とも無性に落ち着かない気持ちになるから不思議だ。
演奏が始まり、会場の人々が思い思いに音楽に耳を傾ける中、レティシアはふとした拍子にカイルの姿を探してしまう。彼は人混みを嫌うためか、会場の隅に立っているのが見えた。
「本当に無愛想で困った婚約者だわ」
思わずそう口に出してしまうが、彼女がわざわざ気にする理由はどこにあるのだろう。自分で自分に問いかけながらも、はっきりとした答えは出ない。ただ、「あの男が孤立しているのはいつものことだ」とわかっていながら、心のどこかで気にしている自分に軽い苛立ちを覚える。
一方、カイルもまた演奏の合間、ちらと視線を動かすとレティシアの姿を捉える。彼女は華やかなドレスを身にまとい、取り巻きの貴婦人たちから話しかけられているが、相変わらず表情はどこか退屈そうだ。
「レティシアめ……大人しく他人に愛想でも振りまいていればいいものを」
そう思いつつ、ではなぜわざわざ彼女を目で追っているのか、カイル自身も理解していない。
結局、この音楽会でも二人が心を通わせるような出来事は皆無だった。むしろ帰りの馬車で口論になり、険悪なムードはより強まったように見える。
「ねえ、カイル。わたくしを置いてさっさと帰るつもりだったんでしょう? 馬車に乗り合わせる前に行方をくらまそうとしていたの、知ってますわよ」
「馬鹿を言うな、レティシア。そもそも演奏が終わった時点で帰って何が悪い? おまえが知り合いと引き留め合っていたから、俺の方が待たされていたんだ」
「はあ? だから先に帰ってもいいと申し上げましたわ。むしろ、そうしてくださったほうがこっちも気が楽ですし」
「それはまた、俺が無視したわけじゃない。ああもう面倒だ」
言い合いしながらも、二人は同じ馬車に乗り合わせて邸宅へと戻ってくる。こうしてみると、どうにも行動がチグハグだが、当人たちに悪びれた様子はない。
しかし、周囲でその様子を見ていた一部の人々は、徐々に二人の関係性に奇妙な連帯感を感じ始めている。険悪というよりは、むしろ口喧嘩をし合いながらも絶妙な会話のテンポを維持しているように見えるからだ。
ある夕方、伯爵家の使用人の一人が、馬車の前で舌打ち混じりに言い争う二人を見つめながら、うっかり同僚に漏らした。
「最初は大変な組み合わせだと思っていたけど、あんなに言いたい放題言い合える相手がいるのは、ある意味で悪くないのかもしれないな」
「そうか? 俺には理解できん。嫌いな相手なら、もう少し距離を置いてもいいだろうに。毎日毎日、何かしらの理由をつけては会っている気がするぞ」
「それなんだよな。もし本当に嫌いなら、あそこまで口を利かないはずだし、無視するかどちらかが逃げ出すだろう。けれど、この二人は一度もそんな素振りを見せたことがない」
そうつぶやいてから、彼らはそれ以上の感想を述べるのをやめた。なぜなら、余計な憶測を立てては主人たちの不興を買うかもしれないし、結論を急いだところで答えなど出ないからだ。
ともあれ、こうした皮肉だらけの日常が続く中で、少しずつ二人の内側には変化の兆しが生まれ始めていた。まだ自覚と呼べるほどはっきりしたものではないが、どこか相手の存在を「気にしてしまう」感覚――。それが、嫌い合っているはずの距離感を微妙に揺るがせている。
レティシアにしてみれば、「自尊心」を守りたい気持ちがまず最初にある。勝手に決められた婚約に振り回された挙句、相手に折れてしまうような自分でいたくはないのだ。また、伯爵家の娘である以上、「誰にでも好かれるお嬢様」を演じる必要などないと信じている。だからこそ、毒舌を隠さずに生きてきたのに、ここへ来てこのカイルなる男の言動が意外と気になってしまうのが腹立たしい。
カイルもまた、幼い頃からの家の重圧がある。公爵家の跡取りとして「優秀であること」「冷静であること」を求められ続け、いつしか他人との付き合い全般を面倒に感じるようになった。ところが、レティシアのように「正面から皮肉をぶつけてくる」人間は珍しく、彼女に対して投げ返す言葉が止められない。
こうして、表面上は相変わらず険悪な空気を纏いながらも、二人の会話はいつしか日常の一部になりつつあった。互いの欠点や思惑をあげつらいながらも、妙な呼吸が合ってしまう。その様子を外側から見れば「これは口喧嘩なのか普通の会話なのか」と戸惑うことだろう。実際、当人たちでさえどう受け止めればいいのかつかみきれずにいるのが現状だ。
だが、まだ本人たちは自覚していない。これほどまでにとげとげしいやり取りを繰り返しながらも、気がつけば相手の居場所を目で追い、何かと皮肉をぶつける口実を探してしまうという現実を。
それはあたかも、互いが互いにとって「唯一無二の言い争い相手」になり始めているようでもあった。もしかすると、これこそが奇妙な共闘の芽生えなのかもしれない――そう感じるのは、まだ少し先の話となる。
この先、二人がどういうきっかけで手を組むのか、それともますます対立を深めていくのかは分からない。だが、少なくとも今の時点で言えるのは、レティシアとカイルの周囲では、毎日のように痛快な口論が繰り返され、周りの人間をハラハラさせながらも微妙に笑いを誘っているということだ。
わざわざ呼び合うようになった名前ですら、彼らにとっては皮肉や嫌味の合図でしかない。けれど、ほんの少しずつ変わり始める空気を、二人も周りもなんとなく感じ取っていた。まるで長い前哨戦の最中にありながら、意外と息が合い始めているかのように――。
こうして、婚約者同士になってもまったく仲良くならないどころか、ますます激しい皮肉の応酬を繰り広げるレティシアとカイルは、日常という舞台の上で絶妙な掛け合いを続けていく。嫌い合っているはずなのに言葉が途切れない、その不可解な「呼吸感」が、今後どんな展開を呼び込むのかは、誰にも分からない。
だが、もし仮に二人が同じ方向を向いたとき――周囲が驚くような出来事が起きるのではないか。そんな予感だけが、ちいさな種火のようにくすぶっていた。魅惑とも言えない、けれど奇妙な共鳴が生まれていることに、ほんのわずかずつ気づきながら。