第2話 避けられない婚約②
その数日後、社交界では早くも「伯爵家の令嬢と公爵家の跡取りが婚約したらしい」という噂が飛び交い始める。名目上は「両家が相思相愛である」とまで言われているが、実際に二人がどんな態度を見せているかを知る者はほとんどいない。
「知ってる? あの伯爵令嬢、かなり性格がキツいって有名じゃない」
「それにあの公爵家の跡取りも、人付き合いが極端に少なくて怖いって聞いたわ。これはまさに『最悪』の組み合わせかも」
貴族たちの間で交わされるその手の会話は、どこかワクワクした好奇心に満ちている。一般的な柔和な娘と穏やかな跡取りの恋物語なら大勢の関心を集めるだろうが、ここまで極端な噂が流れる二人だと、さらに注目が集まるのだ。なかには「似た者同士だから意外と合うのでは?」と軽口を叩く者もいるが、その真偽は誰にも分からなかった。
そんな中、レティシア本人はといえば、婚約が決まったとはいえ何か具体的に動かないわけにもいかず、仕方なく一部の社交行事に足を運んでいた。もともと社交界の華やかな集まりは好きではないが、「婚約者として紹介される以上、それなりの場には出席しておくべき」と母親に説得されたのだ。
ある日の午前、レティシアは仕立て屋で新調したドレスの裾を整えながら、鏡に映る自分の姿を見下すように眺めていた。髪をいつもより手短にまとめ、少し大人しめの色合いを選んだのは、周囲の目を少しでも欺くためだった。
「まるでお気に入りのペットに可愛い服を着せるかのようね。わたくしが舞台で踊る人形にでもなった気分」
毒のある独り言を漏らしていると、屋敷の廊下から来訪を告げる声が聞こえてくる。どうやら今日は、カイルが顔を出すことになっているらしい。表向きは「婚約挨拶を改めてするため」とのことだが、レティシアにしてみれば本心を隠してあれこれ「お喜びムード」を演出するなど、できれば勘弁してほしかった。
しかし断れるわけもなく、仕方なく応接室へ足を運ぶ。扉を開けると、既にカイルがソファに腰かけていた。気だるげな雰囲気は相変わらずで、冷ややかな視線がレティシアに向けられる。
「来たか。ずいぶんと遅かったじゃないか」
「悪かったですね。新しいドレスに着替える手間がかかっただけですから、あなたのように暇人ではありませんの」
挨拶代わりの嫌味を投げかけると、カイルは呆れたように片眉を上げる。使用人が慌てて二人の間に茶を運んでくるが、どちらも礼を言うどころか軽くうなずくだけだった。
「ところで、わたしたちが本当に婚約したという話、知っている人がどんどん増えているようね。街でも噂されているらしいわよ」
「俺も耳にした。『性格の悪い二人同士』だとか『あの公爵家の跡取りと伯爵家の令嬢か』だとか、散々に言われているらしい」
「……まあ世間なんて勝手なものよ。言いたいことを好き勝手に言って、それで納得しているだけ」
言いながらも、レティシアはカイルの口から「性格の悪い二人」という言葉が出たことにかすかな苛立ちを覚える。もっとも、自分も彼のことを「冷酷無慈悲な人」などと陰で呼んでいる手前、人のことをとやかく言える立場ではないのかもしれない。
「それで、今日は何の用かしら? 正式に『婚約者』となったわたしたちが、一緒にお茶でも飲んで微笑み合うとでも?」
「冗談はやめてくれ。親父から『挨拶を怠るな』と厳しく言われただけだ。それに、俺は貴族の顔見せ会だの、とってつけたような祝福など興味はない」
「意外と話が合うわね。わたくしもそんな茶番はうんざりしているところよ」
どこまで行っても噛み合わないかと思えば、時折こうして不思議と同意する瞬間がある。それが二人の会話をさらにややこしくしていることに、お互いもすでに気づき始めていた。
そんな中、カイルは少しだけ顔を曇らせ、低い声で続ける。
「それにしても、まさか本当に婚約が決まるとはな。俺は多少の抵抗を試みたが、結局父の意向には逆らえなかった。いずれ、伯爵家との結びつきが公爵家にとっても利益になるのだとさ」
「……わたくしも父と母に言われましたわ。同じようなことを。『おまえにとっても悪い話ではない』って」
「ふん、悪くないと思うか? お互いによくもまあ『嫌な相手』を押し付けられたものだ」
そう言い放ったカイルの視線が、少しだけレティシアのドレスに留まる。言葉にはしないが、彼女がいつもと違う雰囲気の装いをしていることに気づいたのだろう。しかし、その程度で褒め言葉が出るわけもない。逆にレティシアは微妙な空気を感じ取り、まるで小さく舌打ちでもするかのように口を開く。
「何かしら、わたくしの姿をジロジロ見て。やはり気に食わない? なら遠慮なく言ってくださる?」
「いや、そういうわけではない。いつもはもっと派手な色が好みなのかと思ったが、今日は大人しめだな、と。まあ、どっちにしても派手だろうが地味だろうが、俺には関係ないがね」
「……それこそ言わなくて結構ですわ」
互いに一言一言がどこかトゲを含んでいて、会話の末に生まれるのは気まずい沈黙。だが、その沈黙の向こうには「相手を意識してしまっている」という空気も見え隠れする。少なくとも、これがただの無関心同士なら、わざわざ言葉を交わすことすら煩わしく思うはずだ。
応接間の外では、立ち聞きしているつもりはなくとも、使用人たちの耳に二人のやり取りが漏れ伝わってくる。くすくす笑い合う者もいれば、ため息をつく者もいる。
「どうやら今後も一筋縄ではいかなそうね」
「だが、あれだけ言い合えるのはある意味すごいんじゃないか? 普段ならすぐに逃げ出したくなるほどの刺々しさだろうに」
伯爵家の使用人だけでなく、近頃では公爵家から出入りする連絡役も含めて、屋敷全体が二人の会話に振り回されていた。