第12話 婚約継続宣言②
そして迎えた午後、伯爵家の広間にはすでに何人もの貴族や関係者が集まっていた。婚約の当人たちが破談云々と騒がれたうえ、挙句の果てに陰謀を暴露する大騒ぎを起こしたとなれば、誰もが興味津々である。
そんな中、白いドレスのレティシアと、黒い礼服のカイルが並んで登場すると、一斉にどよめきが起こる。二人の雰囲気は決して仲睦まじいとは言えない。むしろ、たったいま罵り合いを終えたような緊張感が漂っている。それでも横に並ぶ姿は視覚的なインパクトが強く、周囲は思わず息を呑む。
「さあ、どうやって宣言するのかしら……?」
「いまさら『破談は取りやめ』なんて言われても、あの二人が本当に折り合うの?」
「いや、あれこそ『嫌われ者同士の結束』じゃないのか」
ざわつく視線を前に、両家の親たちが簡単に経緯を説明する。陰謀があったこと、実際に破談話が出かかったが誤解が解けたこと、そして二人の婚約は継続される方向で改めて合意したこと――。
そのあと促されるまま、レティシアとカイルが正式に「二人の意志として婚約を続ける」と表明すれば、形だけは万事解決なのだ。だが、当の二人は話が進む中、どこか冷めた目で互いを見ている。まるで「本当にこんな茶番でいいの?」と問うように。
「では、伯爵家令嬢レティシア様と、公爵家跡取り息子カイル様より、一言ずつご意思をいただければと……」
家の使用人がそう声をかけた瞬間、レティシアはスッと前に歩を進めた。華やかなドレスが揺れると、その気高い姿に思わず目を奪われる者も多い。
しかし彼女の口から飛び出したのは、いつもどおりの皮肉だった。
「まず最初に言っておくわ。わたしたちが結婚するかしないかは、本来なら自分たちの自由でしょう。だけど、この度わかったのは、周りがああだこうだと口を挟むせいで破談だの何だの騒ぎになったということ。……はっきり言って不愉快でした」
広間がざわつく。こんな場面で、普通はもっと謙虚に挨拶をするだろうに、レティシアは容赦がない。
しかし続く言葉に、さらに周囲は度肝を抜かれる。
「不愉快だけれど、わたしはこの婚約を続けるわ。文句があるなら、直接言いに来ればいいんじゃない? その相手をわたしと――」
「そして俺が、ねじ伏せるまでだ」
途中で会話に割り込むカイル。その声は低く淡々としているが、確かな怒りと決意が感じられる。レティシアは振り返りもせずに彼の言葉を受け、むしろ口元にうっすら笑みを浮かべて続けた。
「そうよ。あなたもそう思うでしょう? わたしたちを引き裂きたければ、もっと正々堂々とやればいいのよ。陰でこそこそ噂を流すなんて姑息だわ」
「あと、ついでに言っておくが、破談騒ぎのおかげで余計な時間を浪費した。その損害は計り知れない。……これからまた邪魔をする奴がいれば、俺のほうで容赦なく対応するさ」
誰も止められない。むしろ周囲は開いた口が塞がらないといった様子だ。ふつう、こんな「継続宣言」など聞いたことがない。華やかな言葉や愛を誓うロマンチックな展開を期待していた者は完全に裏切られた形だが、この強引なまでの言い方は逆に痛快ですらある。
「な、なんというか……すごい迫力だわね」
「嫌われ者同士なんて言われていたけれど、あれだけ堂々と言われたら下手に口出しできないな」
「そうそう、ある意味ではお似合いなのかも……」
そうささやく声を背中に受けながら、レティシアとカイルは一歩下がって並ぶ。お披露目の場はこれで終わりだが、会場の熱気は冷めやらない。両家の父母も「はらはらしながら見守っていたが、まあこれで良しとしよう」という表情だ。
使用人たちは「ああ、また一騒動ありそう」とげんなりしているが、当の二人はどこ吹く風。人々があれこれ騒ぐのを横目に、ヒソヒソと小声でやり取りを始める。
「ねえカイル、あなたもう少し言い方があるでしょう? わたしだってそこまで強引に婚約を続けるなんて思ってないのに」
「レティシア、そっちこそ偉そうに。おまえが悪乗りして始めた言い方だろうが。……まあいい。おかげで誰にも口を挟まれなくなる。これが望みだったんじゃないのか?」
「ふうん。じゃああなたは望んでないの?」
「うるさい。そんなに訊き返すなら、答えてやってもいいが……ここではやめておく。恥ずかしいからな」
「はあ? 何が恥ずかしいのよ。もったいぶらないで言いなさいよ」
「嫌だね。おまえが素直になるまで、俺も素直にならん」
「むかつくわね、あなたって」
口調は険悪そうでも、その言葉の隙間には妙な甘さが漂っている。いつもの嫌味だらけの掛け合いなのに、そこには先日のケンカを経て芽生えた新しい関係性が確かに感じられた。互いを罵倒しあいながらも、離れようとしないという独特の形。
それを「愛」と呼ぶかどうかは当人たちにもわからない。ただ、誰かが無理やり引き離そうとするなら二人で跳ね返すし、陰でこそこそ嫌がらせをされれば容赦なく反撃する――そういう覚悟だけは揺るぎなく共有されているのだ。
そんな二人の姿は、周囲から見れば「変わらないなあ」と呆れられるかもしれない。使用人たちは早くも「これからも大騒ぎが続くんでしょうね……」とため息をつき、何人かの貴族は「ここまで上手くまとめるなんて、やはりただ者じゃない」と感心する。
しかし、どれだけ呆れられても驚かれても、レティシアとカイルは意に介さない。もともと周囲の評価なんて気にしない性分だが、今はそれに加えて「二人でなら、世間に何を言われようと気にはならない」という暗黙の共闘意識がある。
「さて……騒ぎも終わったし、帰るとするか? おまえもついてくるんだろう?」
「いえ、わたしの馬車に乗っていくのが自然でしょ。あなたこそ、文句があるならどうぞお先に」
「はあ? 元はといえばおまえの屋敷だろうが。むしろ俺が先に帰るのが筋だろう。何を言ってる」
「いいじゃない、少しくらい歪んだ形でも。もともと素直に行く性格じゃないんだから」
「……ええい、どこまで突っぱねる気だ。仕方ない、俺から手を差し伸べてやる。少しは感謝しろ」
「どうやって感謝しろっていうのよ」
人々が見守る中、二人は毒舌の応酬をやめないまま、連れ立って広間の奥へ消えていく。その後ろ姿には、いつの間にか微妙な調和が生まれつつあった。
一度は破談を公に検討されかけた婚約が、今、彼らの意志によって再び継続される。誰もそれを止めることはできないし、止めようとも思わないだろう。この二人を無理に引き離したりすれば、また何倍もの仕返しが待っているに違いないからだ。
そう、誰にも止められない――そして、何があろうと簡単に壊れないだろう。互いの嫌な部分を知り尽くしていて、そこさえも武器にできるからこそ、他者の邪魔など馬耳東風。
そうやって高らかに示された婚約継続宣言は、周囲に大きな印象を残しながら、新たな章への幕を上げていく。レティシアとカイル、どちらも一筋縄ではいかない嫌われ者同士。けれど、だからこそ同じ道を歩むという選択は誰にも覆せない重みを持っていた。
その先には、より大きな騒動が待っているのか、あるいは意外な幸福が広がっているのか。二人の未来はまだ不透明だ。だが、少なくとも今は「縁があって結ばれた婚約関係」だと、以前よりも強く意識するようになっている。
毒舌で噛み合いながらも離れられない――これこそが、二人にとっての不器用な愛の形。その真価が問われるのは、きっともうすぐだ。彼らはまだ気づかないまま、次の大きな一歩へ向けて背中を押されているのだから。




