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第1話 最悪な出会い②

 レティシアはカイルの姿を認めると、深々とお辞儀をした。礼儀作法を身につけているとはいえ、その動作には彼女特有の冷ややかさがにじんでいる。


「わざわざお越しいただき、ありがとうございます。おかげで、こんな時間にも関わらずわたくしの自由が奪われましたわ」


 いきなり飛び出す嫌味に、周囲の使用人は内心で「やっぱり……」と頭を抱える。普通なら「ようこそお越しくださいました」と続けるべきところを、彼女は堂々とこう言うのだ。ところがカイルの反応は、まるで面白い玩具を見つけた子供のように、やや口元をつり上げるだけだった。


「挨拶がずいぶんと斬新だな。伯爵家の教育はどうなっている?」

「まあ、この国の公爵家は声が大きいだけで、当主以外は躾が行き届いていないと聞いていましたけれど。あなたもその例に漏れないみたいですわね」


 即座に言い返すレティシアに、カイルはむしろ愉快そうな視線を送る。いつもなら相手がどんな貴族令嬢であれ、こんな態度を取られれば不快に思うだけだ。しかし、彼女の瞳に宿るプライドの強さが、妙に興味を引く。


「なるほど。少しは言葉遊びができるらしい」

「そういうあなたも、思っていたより無礼ではないようですわね。『思っていたほどは』という限定つきですけれど」


 ピリつく空気。だがそれは、周囲が感じる一種の戦慄とも違う。使用人たちは固唾(かたず)をのんで二人のやり取りを見守るが、両家の親はといえば「おやおや、案外相性がいいのかも」と楽天的だった。伯爵家の父親と公爵家の父親は、以前から二人を引き合わせたいと思っていたが、実のところ内心では多少の不安も抱えていた。それがどうしたわけか、初対面でこれだけ言い合えるならむしろ「気兼ねがない」とさえ思ったのだ。


 レティシアの母親は慌ててその場を取り(つくろ)おうと、笑顔で両者に声をかける。


「さあさあ、せっかくですから奥のサロンへご案内いたしましょう。お食事の用意もしておりますし、今夜はゆっくりお話を……」

「ええ、ありがたく受けましょう。もっとも、『お話』といっても大した中身はないでしょうけれど」


 口先だけは上品に微笑むレティシアだが、その目はまったく笑っていない。カイルはその横顔を見ながら、「なかなか面白い令嬢だ。少なくとも社交界にごまんといる取り(つくろ)いばかりの連中とは違う」と心の中で評価を改めていた。


 サロンへ通されると、テーブルには軽食やワインが並べられている。ふかふかのソファに腰を下ろしたカイルは、グラスを持ちながらレティシアに視線を向けた。レティシアもまた向かいに座り、しかし彼が口を開くのを待つつもりはない。


「あなたは普段、社交界でどのような方々とお付き合いをなさっているの? あまり噂を聞かないのは、お嫌われになっているからかしら」

「随分と失礼な質問だ。まあ、俺としてはむやみに人と関わるつもりはない。そういう意味では、確かに『嫌われている』のかもしれないな」

「ふうん。わたくしも人付き合いは得意ではありませんの。なにしろ、仮面をかぶって愛想笑いをしている連中を見ると虫唾(むしず)が走りますから」


 いっそ清々しいほどの物言いに、カイルは薄く笑みを浮かべる。世間的にはどちらも「性格が悪い」と評判の二人。こうしてまっすぐ言葉を交わしてみると、毒舌を通り越してむしろ会話のテンポが噛み合っているようにさえ思えた。


「どうやら共通点があるようだな。もっとも、その程度で仲間だと勘違いしないでもらおうか」

「もちろん。わたくしはあなたと仲良くするつもりなんて少しもありませんわ。そもそも、どうしてわたくしが公爵家に嫁がなければいけないのか、理解に苦しみます」

「それは同感だな。俺も他人と生活を共にするなど(わずら)わしいと思っている。ましてや、こんな口うるさいお嬢さんとは」

「口うるさいですって? ……まあ、嫌われている男の口から何を言われても腹は立ちませんけれど」


 言葉の一つひとつが棘だらけ。それでも声を荒らげるわけではなく、むしろ静かに、しかし遠慮なく刺し合うような会話が続く。周囲の使用人たちは冷や汗をかきながら給仕に勤しんでいるが、どこかで「この二人、意外と噛み合っているのでは?」と感じていた。


 しばらくして、サロンの奥から伯爵家の父親が現れ、両家の親が揃う形になった。すると、父親同士がにこやかに話を切り出す。


「いやあ、これは助かる。こうしてお二人がきちんと話をしてくださるだけで、我々としては安心ですな」

「そうそう。近いうちに正式な場を設けて、婚約を進められればと思っております。わたしどもとしては、ぜひともお二人に結ばれていただきたいのです」


 その言葉に、レティシアもカイルも同時に顔をしかめる。レティシアは言下に否定したかったが、父親たちの満面の笑みに妙な圧を感じ、思わず口ごもった。その代わり、いつも通りの辛辣(しんらつ)な一言で牽制を入れる。


「婚約なんて、そんな急に決めることではありませんわ。こちらの殿方だって不本意かもしれませんし」

「ほう、随分と他人を気遣うのだな。もっとも、そんな風には見えないが」


 カイルがすかさず返し、レティシアは軽く鼻で笑う。言い争いが加速しかけるが、伯爵家の父親と公爵家の父親は動じない。それどころか「まあまあ」とおおらかに笑い、「これからゆっくりと時間をかけてお互いを知っていけばいいのです」と余裕の態度を見せた。


 こうして二人の最初の対面は、罵詈雑言こそ飛び交わないものの、皮肉と嫌味が絶えないまま夜更けへと進んでいった。お互いに強烈な印象を抱きつつも、内心では「こんな相手、関わり合いになりたくない」という想いが募るばかり。周囲の使用人は明日以降の自分たちの仕事を思い浮かべ、気が重くなるのを禁じ得ない。いったい、これからどうなるのか――誰もが小さく息を呑んでいた。


 そしてこの時、レティシアもカイルも気づいていない。二人の初顔合わせがこんなにも「嫌味全開」であるにも関わらず、どこか奇妙な相性の良さを(はら)んでいることを。頑なに認めようとはしないが、すでに二人の運命の歯車は動き始めていた。


「ふん。早く帰りたいわ」

「同感だ。だが、もう少しこの茶番に付き合うしかない」


 お互いに視線を外しながら、テーブルに並べられた食事に手をつける。味は悪くないはずだが、口に運ぶたびに相手の存在がどうしても気になってしまう。その苛立ちを紛らわすように、何度となくワインを口に含んでは小さく吐息を漏らすのだった。


 こうして、政略結婚という思惑に縛られた二人の出会いは、最悪の第一印象のまま一夜を終える。互いの名前以外は、何一つ良いところを認められないまま。しかし、二人にとってはそれこそが始まり――やがて誰も想像しなかった方向へと転がり始める運命の始まりだった。

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