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婚約者が性格最悪すぎるので、わたしも全力で毒舌返しします!  作者: ぱる子


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第8話 素直になれない二人①

 あれから数日が経ったというのに、レティシアはあの雨の夜の記憶をどうしても拭い去れずにいた。家の中で過ごしていても、何かの拍子に思い出してしまう――暗い馬車の中で震える自分を、あの冷徹なカイルが不器用に気遣ってくれたことを。


 思い返すたびに胸がちくりと痛むのはなぜなのか。彼女自身、説明できないまま日々をやり過ごしている。


 いつもなら堂々と振る舞えるような社交の集まりでも、どことなく落ち着かず、まるで他人の目が気になってしまうのだ。もっとも、周囲から見ればレティシアは相変わらず強気で、自尊心の塊のように映っているだろう。彼女はそれをわかっていながら、あえて普段通りの態度を崩そうとはしなかった。


 ある日の午後、伯爵家の庭先で開催される小規模なティータイムに、貴族仲間が集うことになった。天気も回復し、暖かな陽光が花々を照らしている。レティシアはグリーンのドレスを身にまとい、招いた客たちをもてなしていた。


 そんな平和そうな光景の中でも、彼女の心はどこか落ち着かない。もしここにカイルが姿を見せたら、自分はどう振る舞うべきか――そんな答えのない問いが頭から離れないのだ。


「レティシア様、本日は招待してくださってありがとうございます。お庭が本当に美しくて、つい見とれてしまいましたわ」


 複数の令嬢からそう褒めそやされても、心底嬉しいと思えない。強張った笑みしか浮かばない自分に苛立ちながら、レティシアはなんとか会話を合わせた。


 ところが、しばらく談笑をしていると、使用人が申し訳なさそうに近づいてくる。


「失礼いたします。カイル様がいらっしゃいました。旦那様のお部屋へ向かわれるそうですが、いかがいたしましょうか」


 突然の報告に、レティシアは少し心臓が早鐘を打った。あの雨の日以来、顔を合わせていなかった相手が、よりにもよってこんなときに訪れるなんて。思わず表情が強張りそうになる。


「……わかったわ。とりあえず、父のところへ案内してあげて。わたしは、お客様の相手があるから」

「承知しました。では、そのように」


 使用人が下がったあと、レティシアは言いようのない落ち着かなさに襲われる。顔を合わせる必要はないと言い聞かせつつも、あの夜の出来事が頭に浮かんで仕方ないのだ。


「……別に、会いたいわけじゃない。けれど、あんな風に終わったままでいいの?」


 そう心の中でつぶやいても、もちろん誰も答えてはくれない。いつものように「嫌な相手なんだから放っておけばいい」と思おうとするが、胸の奥がざわついてしまってどうしようもないのだ。


 結局、彼女はティータイムの最中も落ち着かないまま客たちに笑顔を振りまき、なんとか表向きだけは平静を装い続けた。けれど、ふと目線を逸らした先に、遠くを歩くカイルの姿を見かけては心が跳ね上がる。


 彼女が気づいたのは、邸内の廊下を通りかかった彼が、ほんの一瞬こちらに視線を向けたということだった。まるで「そこにいるのはわかっている」というように、短い目配せだけを残してまた去っていく。そのわずかな交差ですら、レティシアには耐え難い胸のざわめきを引き起こす。


 夕刻、客たちが屋敷を出ていったのを見届けてから、レティシアは急に家の中をうろうろし始めた。落ち着きなく、何かを探すように廊下を歩き回る。もしかしたら、まだカイルが滞在しているかもしれないという期待とも、不安とも言えぬ気持ちに突き動かされていた。


「ほんと、馬鹿みたい。あいつがどこにいようがわたしの勝手でしょうに、関係ないわ……」


 そうつぶやいても足が止まらない。やがて曲がり角を曲がった先、使用人がこっそりとカイルを書斎へ案内しているのを遠目に見つけてしまう。彼は去り際にちらりと背後を振り返り、レティシアの視線と交差した――そんな気がした。


「……何よ、あの人」


 思わず駆け寄りたくなったが、どうしても素直になれない。結局、彼女はその場で立ち止まってしまい、通り過ぎる彼の足音をただ聞いていた。



 一方のカイルも、伯爵家を訪れるのは構わないが、どうしてもあの夜のことを思い出してしまう自分に苛立ちを覚えていた。父親との打ち合わせが終わり次第、さっさと屋敷を後にするつもりでいたのに、なぜか足が重い。


 会えないなら会えないでいいと割り切ればいいものを、ほんの一瞬レティシアの姿を見かけると、先日の馬車のなかでの表情が脳裏をよぎるのだ。いつもはあれほど気位が高いくせに、あのときはかすかに震えていた。


 そこに嘘や作為はなかった。とっさにかけた言葉もまた、計算や打算ではなく、素直な気遣いだったと認めざるを得ない。だが、それを認めたところで何になるのか。カイルには答えが出ないまま、モヤモヤした気持ちが消えてくれない。


「……気安く他人に優しくするのは、性に合わないはずなんだがな」


 書斎から出て、伯爵家の廊下を歩くカイルは口の中でそうつぶやいた。人を相手にするのを面倒くさがる自分が、どうしてあの夜あんな風にレティシアに接したのか――まるで謎解きでもするかのように頭の片隅で考え続けている。


 ちょうどそのとき、廊下の先から歩いてくるレティシアと目が合う。お互いに避けようともしないまま、すれ違う瞬間が訪れた。


「あら、もう帰るの?」

「ああ、そうだ。今日はもう用は済んだ」

「ふうん。さぞや有意義な打ち合わせだったのかしら。あなたみたいな人にしては珍しく、長居したわね」


 少し棘のある言い方。それでも、先日までのように睨みつけ合うほどの勢いはない。レティシアは相手の顔をまっすぐ見ることができず、わざと視線を横にそらしながら肩をすくめた。


 一方、カイルもまた、普段なら皮肉を言ってから通り過ぎるところを、なぜか足を止める。


「そういうおまえこそ、落ち着かない様子だな。客を送り出したあとの散歩か?」

「別に。廊下を歩くくらい自由でしょう。……さっさと帰ればいいのに」

「そうしたいのはやまやまだが、なぜかおまえが気になって仕方ないというわけでもない。……ふん、馬鹿馬鹿しいな」

「え? 今なんて言った?」

「気にするな。……おまえも、少しは落ち着け。あんな雨の日みたいに、また慌てふためく姿など見たくないからな」

「な、何よそれ。わたしが慌てふためいたですって? あなた、本当に失礼ね」


 彼女の頬がわずかに赤く染まる。すぐに言い返そうとするが、反論の言葉がどこか空回りしてしまう。あの夜、自分が確かに落ち着きを失っていたのは事実だからだ。


 結局、視線を合わせないまま二人は「フン」と言うように口をとがらせ、すれ違いざまに肩をかすめそうになるのを避けるかのように背を向けた。


 こうしてカイルは伯爵家を出て行き、レティシアはその姿を見送ったあと、胸のあたりにどうしようもない息苦しさを感じた。

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