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第1話 最悪な出会い①

 夕暮れどき、広大な石畳の道を馬車が走り抜ける。周囲の街灯に火が灯り始め、ところどころで仕事帰りの人々が足早に屋内へと駆け込む姿が見える。ここはクローヴィス王国の王都セリエン。王都の中心部には由緒ある貴族の屋敷が何軒も立ち並び、夜になると馬車が頻繁(ひんぱん)に往来する。まるで舞台の幕が上がる前のように、ざわついた空気が辺りに広がっていた。


 そんな喧噪から少し離れた地区に、伯爵家の屋敷があった。正門から続く石造りのアーチは手入れが行き届き、門扉には家紋が大きく刻まれている。その奥に建つ屋敷は、一見すると美しい庭園に囲まれた優雅な住まいだが、使用人たちはどこか落ち着かない面持ちをしていた。理由は簡単。今夜、この伯爵家に客が訪れるからだ。そしてその客人こそ、「公爵家の跡取り息子」として噂高いカイルという青年である。


 この国では代々、家柄同士の縁組が政略的に行われることが多い。伯爵家の令嬢であるレティシアも、その例に漏れず「いずれはそれなりの家柄へ嫁ぐ」運命を受け入れてきた。しかし、表向きは「しとやかで上品」とされる貴族の娘たちとは異なり、レティシアには少々、いや、相当に性格の尖った一面があった。彼女の毒舌は社交界でも有名で、表情は美しいながらも吐く言葉は刺々しい。親族や使用人の間では、「レティシア様はなかなかにお手厳しい」という評判が定着しているほどだ。


 レティシア本人はそれを意に介さない。むしろ、人当たりのいい振る舞いを装う気などさらさらなかった。彼女が言うには「周りが勝手に敬遠するだけ」。たとえ使用人が(おび)えた顔をしようが、あるいはほかの令嬢が「なんて嫌な人なの」と噂しようが、気にしないどころか鼻で笑い飛ばす。貴族としての矜持は捨てていないが、それ以上に「自分を誤魔化すような見せかけ」を忌み嫌っていた。だからこそ、余計に周囲からは「近寄りがたい」と思われがちなのである。


 そんな彼女が今夜、初めて「顔合わせ」をする相手。それがカイル・シュタインフェルトだった。公爵家の長男という輝かしい肩書を持ち、社交界で引く手あまた…かと思いきや、彼の評判もまた奇妙なものだった。曰く、「とにかく冷たい」「人を見下している」「誰に対しても容赦がない」。最近では「公爵家の後継者があれでは先が思いやられる」などと噂されることも多い。性格の悪い者同士が出会ったらどうなるのか、使用人たちは内心で気を揉んでいた。


 当のレティシアは、自室のドレッサーの前で、銀の(くし)を使ってゆっくりと髪を整えながらため息をつく。鏡に映る自分の姿は、他人が見ればため息が出るほどの美貌だ。深い緑のドレスを身にまとい、金色の髪を高く結い上げたその様は、まさに伯爵家の令嬢そのもの。しかし、本人はまったく気乗りしない表情である。


「はあ…。どうせまた『初めまして』だの『お会いできて光栄です』だの、耳障りのいい言葉を並べる時間になるんでしょうね」


 独り言もつい辛辣(しんらつ)になる。こんな堅苦しい会合、御免被りたいと心の底から思っていた。それでも今日の対面だけは避けて通れない。両親から「おまえの結婚相手になるかもしれないお方だ。失礼のないようにな」と厳しく言い含められているからだ。


「結婚相手、ね…。勝手に決めてくれたものだわ」


 レティシアは鏡の前で眉間にしわを寄せる。相手がどれほど高い地位にあろうと、傲慢で冷酷だという噂を聞いてしまえば、良い印象を抱くわけもない。むしろ「どんな横柄な男が来るのか見ものね」と半ば皮肉に思っていた。


 一方、同じ夜、馬車の中で窓の外を眺めていたのがカイル・シュタインフェルト。彼は膝上に置いた手袋を何度か握りしめながら、今宵の訪問がひどく面倒に感じられて仕方がなかった。かと言って、今日は当人の意思に関わらず“行くしかない”日でもある。公爵家の父親が「伯爵家とは旧知の仲だ。いずれおまえの婚約相手として推したい」と言い張るので、どうしようもなく出かけざるを得ない状況だった。


「政略的な結婚など、どれも同じだろう。形だけ取り繕えば父も満足するのか」


 そうつぶやいたカイルの声には、感情の起伏がほとんどない。冷めきった瞳が映し出すのは、王都の夜景ではなく、まるで心の奥底にある闇だった。幼い頃から公爵家の跡取りとして鍛えられ、常に「完璧」であることを要求されてきた彼にとって、人間関係はただの駆け引きに過ぎない。特に「結婚」というものも、自分の意思を挟む余地など少ない、とどこか諦め気味だった。


 しかし、カイルは一つだけ興味をそそられていた。自分と同じように「性格にやや難があるらしい」という噂がある女性が、この国の伯爵家にいるという。名はレティシア。詳細はあまり知らないが、どうやら彼女も社交界で敬遠されがちな存在らしい。もしもそれが本当なら、どういう言動をする人物なのか見てみるのも悪くはない、とほんのわずかに思っていた。


 そんな二人を乗せた馬車は、それぞれの思惑を抱えながら、伯爵家の玄関前にたどり着く。最初に到着したのはカイル。公爵家の紋章が描かれた馬車から、彼が下り立つと、伯爵家の使用人たちは深々と頭を下げた。


「これはこれは、シュタインフェルト公爵家のカイル様。ようこそお越しくださいました」

「案内は結構だ。父がすでに話を通しているはずだろう?」


 カイルは使用人に冷たい目を向けながら言い放つ。相手の恐縮した態度を見ると、普段なら鬱陶しく感じて終わりだが、今夜は少々違う気分だった。これから会う相手も、自分に負けず劣らず「とげとげしい」という噂。果たしてどんな女性か、と無意識に思ってしまう。


 続いて、屋敷の奥から姿を現したのが伯爵家の令嬢――レティシア。母親に付き添われて玄関ホールへと進んでくる。青白い光を放つシャンデリアの下に立つと、濃緑のドレスがひときわ映えて見えた。その美貌に使用人たちは一瞬で目を奪われるが、同時に「令嬢がどんな言葉を発するか」も恐れている。

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