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夜はまた今度  作者: 下田尚志
道永蓮の昼
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道永蓮の昼8

 全ての授業が終わり、ホームルームも終わると僕は走って教室を出た。ここで時間をかけるとすぐあいつらに捕まる。放課後は極力自分の好きなように時間を使いたい。

 廊下も全て走り去っていき、靴を履き替えてすぐに駅まで行った。

 逃げ切ったことに安堵して溜息を吐き、そのまま改札を通過する。あいつらとは利用する駅が違う。わざわざ少し離れたこちらの駅までは来ないだろう。

「どうしよ。まだ時間あるしな」

 あの謎の空間、空也さんが『夕方世界』と呼んでいた世界は、名前通り夕方になるまで入れない。それまでどこかで時間潰しを。

 少し考えたあと、僕は適当に電車に乗って揺られ始めた。特に帰宅ラッシュの時間でも空は外れているので混んでいないし、ポツポツとだが席も空いている。僕は一枠だけ空いた席に腰を任せた。

 体が揺らされる。何度も何度も揺らされる。こちらの意思とは関係なしに。でも、嫌な気がしない。電車は決められた線路を辿っていく。ただ、降りたければいつでも降りられる。選択肢を与え、乗ることを選んだら、目的地までまっすぐ連れていってくれる。憧れの乗り物だ。

 心地よい揺れに合わせ、あだやかなテンポで指を動かす。痛みに負けず空気の鍵盤を沈ませ、物思いに耽る。電車の騒音も、アナウンスも、聞こえない。ただ、自分の中にだけ存在する音に耳を向けた。

 今日本当はこのあと塾の予定だったが、全く違う方向に進んでいた。今日の塾は、テストでいい点を取れば文句も言われない場所。だから、毎週火曜日だけは自分の好きなように過ごしている。

 ある程度まで揺られ、僕は電車を降りた。この駅から少し歩いたところに、音楽スタジオがある。ピアノまで借りてしまうと少し高いが、他に使う場もほぼないので困りはしなかった。

 学校付近とは違い、そこそこ栄えている街並みだ。ビルも多く開発も進んでいそうだが、異様に臭い。そっちを先になんとかして欲しかった。高い建造物ばかりの景色の中を歩き、大きな横断歩道を抜け、スタジオに着く。

 本来ならネット予約をした方がいいが、スマホ未所持の僕にはどうしようもない。

 厚く重たいドアを開けて入ると壁に添わせてアップライトピアノが置かれている。蓋はもとから開かれている。木理が見える。丁寧に木で作られているのが目に見てわかる。適当に一音鳴らす。綺麗に調律されたミの音が大きく部屋に響き渡る。鍵盤は少し重たい。でも思いっきり弾けるような気がして心地よかった。

 椅子を自分に合わせて調整し、軽く座る。そして鍵盤に再度向き直った。両手を鍵盤に置き、一番右のペダルに右足を置く。そして、体重をかけて深く指を置いた。

 曲名も誰の曲かもわからない。養父が疲労回復のために聞いているクラシック集の内のどれか一曲だ。楽譜を持っているわけでもないし、隙間から聞こえてきたものだから音以外何もわからない。

 僕は絶対音感を持っているらしい。大抵聞けばどの音かわかる。記憶力の問題で完璧に覚えておくことはできないが、腐るほど聞いている何曲かはさすがに弾ける。ピアノを習っていたことはない。なんなら家にもピアノなんて無い。親の付き添いで病院に行き、そこに置いてあったピアノで初めて弾いた。勉強の邪魔だからと、もう連れていってもらえなくなった。そこからは叔父に教えてもらったこの場所で、密かに練習している。

 これだけのことで今当たり前のようにピアノを弾けているのは、きっと実の親からの遺伝というものなのだろう。感謝と恨みの両方の感情を抱いてしまう。


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