道永蓮の昼4
「ピアノをやりたい」
久しぶりに、養父に対し面と向かって願望を述べた。リビングでクラシック音楽を聴きながらくつろいでいた養父は、なんの迷いもなく立ち上がって僕の左手を叩いた。
「ふざけてるのか?」
冷たい声と視線。いくら慣れているとはいえ、体は固まり視線を外せなかった。
養父は僕の左手首を摑み、机に向かって叩きつけた。淡々と、淡々と淡々と。金槌を使うように淡々と。まるで当たり前の行為のように。
「お前に医者になる以外の道は無い。拾ってやった恩を仇で返すつもりか」
あと少しだけでも感情がこもっていたら、まだ人として見れたかもしれないのに。本当に人なのか疑いたくなる。誰かに糸で操られており、それに大根役者が声を当てている。そっちの方がまだ納得できる。
義父と義母は子供を産むことができなかった。造精機能障害というものを持っていたらしく、そのことで親戚に白い目で見られていた。それから逃げるために僕を養子で引き取って、医者にするべく育てている。ただでさえ障害で名誉を汚されている今、少しでも改善するために躍起になっているのだろう。
「さっさと勉強に戻れ」
左手が解放され、無言でリビングを後にした。そのまま早歩きで洗面所へ。
蛇口を捻り、水で左手を冷やした。熱くて冷たい不思議な感覚。手は腫れ、内出血を起こして変色していた。
「物心も付いていない子供にむりやり売るとか……」
音楽にかき消してもらうために、小さな声でつぶやいた。
「なんか、もういいや」