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神様のカルテ(本物)

作者: 廃くじら

とある王国の都。

その一角にそびえ立つ太陽神の神殿の地下通路を二人の男が歩いていた。


案内しているのは素人目にも位が高いと見て取れる豪奢な法衣を纏った老人。その後ろをローブ姿の若い銀髪の青年が続く。


「いやぁ、すいませんね。枢機卿猊下。わざわざ案内までしてもらっちゃって」


さして申し訳なさそうでもない青年の言葉に、枢機卿と呼ばれた老人は振り返りもせず応じた。


「……仕方あるまい。これは教団における秘中の秘。他に案内できる者もおらん」


両者の立場を考えれば青年の態度は首をはねられても文句の言えないものだったが、枢機卿の表情に苛立ちや怒りは見えない。大らかというより単純に青年の振る舞いを気にする余裕がないように見えた。


「ここだ」


目的地にたどり着き、枢機卿が入口に掛けられた封印を解いて部屋の中に入る。


神殿の最奥にあったのは巨大な祭壇と、その上に祀られた直径二メートルはありそうな巨大な水晶。仄かに赤く色づいたその石には所々染みのような黒い斑点が浮かんでいた。


「これはこれは……」


枢機卿の横を通り抜けて青年は無遠慮に水晶へと近づき、その黒い斑点をまじまじと観察する。そして一頻り観察し終えると、クルリと背後を振り返り枢機卿に尋ねた。


「だいぶ症状が進行しているようですが、いつからですか?」

「…………気づいたのは半年ほど前だ」


枢機卿は苦虫を噛み潰したような表情を浮かべて目を逸らし、ボソボソと答えた。


「最初は本当にただの汚れか、光の加減でくすんで見えているだけだと思ったのだ。だが次第に陰が濃くなり……」

「ははぁ。まぁ、中々簡単には認められませんよねぇ──神が穢れるなんてのは。自分たちの信仰に問題があったと認めるようなものですから」

「────っ!」


飄々とした青年の指摘に枢機卿はカッと頬を紅潮させた。


「ただまぁ、こういうのは初動が大事ですから。異常を感じたらすぐに報告していただきたいですね。手遅れになれば猊下個人どころか教団だけの問題じゃすみません」

「…………」


自分の半分も生きていないだろう青年の叱責を、枢機卿は悔しそうにしながらも黙って受け入れる。屈辱ではあったが、自分が責められても仕方のないことをしたという自覚は彼にもあった。


黙り込む枢機卿の態度を別の意味に解釈したのか青年はフォローするように続ける。


「ん? 別に責めてるわけありませんよ。初めてのことに戸惑う気持ちは分かりますし、握りつぶさず報告してくれただけマシな方です。ただ次からはもっと早めに──」

「──そんなことより!」


我慢しきれなくなった様子で枢機卿は青年の言葉を遮る。


「そんなことより我が神は大丈夫なのか!? ま、まだ治療は可能なのだろう? 神医フラーゼ!!」




この世界には神が実在する。


人々は神の存在を信じ、その奇跡と恩恵に支えられて生きている。


神とは元々太古の地上を支配していた巨人──の成れの果てだ。


ある理由により肉体を失い魂だけの存在となってしまった巨人たちは、その存在を保つため地上に残った小人──現生人類の信仰心を利用した。


小人たちに奇跡と恩恵を授けることで自らを信仰させ、魂魄としての自己を確立した巨人たちは神となった。


力を取り戻した巨人たちだが、しかし神となった代償は彼らが思っていた以上に大きかった。


元々巨人たちには善も悪もなかった。ただ欲望と悦楽のまま振る舞うことが許された原初の──完全なる生命。


だがそんな完全な在り方が矮小な小人たちに理解できよう筈もない。巨人たちは信仰を集めるツールとして自らの属性を定め、小人たちに守るべき教義を伝えた。現世で言えばアイドルがキャラ作りをするようなものだ。


善だの悪だのと謳おうと、それは所詮信徒向けの偽りの姿──その筈だった。


巨人たちにとって誤算だったのは、魂だけとなってしまったその存在は、自分たちが思っているより遥かに強く取り込んだ信仰の影響を受けてしまったこと。


善神を名乗った巨人は真に善を愛する神となり、大地母神を名乗った巨人は大地と生命を愛さずにはいられなくなった。


小人たちの信仰が、巨人を真なる神とした。


それが巨人──神々にとって不幸な事故だったのか、あるいは祝福だったのかは分からない。


一つだけ確かなことは、神は決して不変不滅の存在ではなく、人々の信仰により容易に歪み──時に致命的な病にさえかかる、ということだ。




「落ち着いてください、猊下。それをこれから診察するんです」


神医フラーゼと呼ばれた青年は焦る枢機卿を宥めるように微笑んだ。


「これが落ち着いていられるか!──いや。ことの元凶は報告の遅れた私だ。卿を責めるのは筋違いとは分かってはいる。分かってはいるのだが……!」

「お気持ちは分かります。ただこちらとしても絶対に大丈夫だなんて適当なことは言えません。ですからまずは診察を」


フラーゼの言葉が耳に届いているのかいないのか、枢機卿は頭を抱え弁解するように呻く。


「……卿に連絡を飛ばして以降、この数日で御神体に浮かぶ陰は急激に大きくなった。まさか、まさかここまで症状が悪化するとは思っていなかったのだ……」

「ははぁ……確かに。手紙にあった内容とは若干異なりますねぇ」


フラーゼが受けた連絡では『御神体にいくつか陰らしきものが発見された』とあった。しかし今彼らの前にある赤い水晶には握り拳大の黒々とした陰が一〇個前後浮かんでいる。


ここ数日で何かがあったわけだ、とフラーゼは頭の中の問診票に書き込み、微笑みを崩すことなく枢機卿に向き直った。


「改めて言いますが落ち着いてください。信仰する神に穢れが生じたとなれば動揺するのも分からなくもありませんが、この水晶は元々古代人が神の異常を迅速に察知するために作ったツールです。多少大袈裟に反応するように出来てるんですよ」

「…………」


枢機卿はその言葉に若干落ち着きを取り戻し、フラーゼと目を合わせる。


「だが、神の中には信仰の歪みによって狂気に墜ちた神もいると聞くぞ? これがその予兆でないという保証は──」

「そりゃ保証はありませんが、人間と違って神の健康状態は信仰の質と総量によって決まるんでね。反転するほどの状態なら、教団や信者の側にもっと分かりやすい前兆があると思いますよ」


そう言ってフラーゼは話に一旦区切りをつけるように柏手を叩いた。


「まぁ、こうしてグダグダ話してても仕方ないんで、まずは問診から始めましょうか」




「まず最初にお聞きしたいんですが、今回の異常の原因について、猊下は何か心当たりがおありですね?」


場所はそのまま。適当な椅子や机もないので二人は石の床に腰を下ろして問診を始めた。


「……断定的だな。何故そう思う?」

「心当たりがない方は異常があってもあんなに動揺したりはしませんよ。内心不安に思っていたとしても、何かの間違いだと考えて精神の安定を保とうとします」


そう指摘され枢機卿はしばらく黙り込んだ後、ポツリポツリと話し出した。


「……南部戦線の状況については知っているか?」

「ええ。一昨年ぐらいから続いてる南側諸国との紛争ですよね。一時期は民間人にも被害が出てかなり不安定な情勢だったものの、最近は落ち着いてると聞いています」


枢機卿の表情に苦いものが宿る。


「──何かありましたか?」

「うむ。つい一週間ほど前、自爆テロ紛いの襲撃を受け、部隊に相当な被害が出たという報告が上がってきた。我が教団としても神殿騎士団を応援に派遣したばかりだったのだが……」

「タイミング的にそれが、今回の異常に影響を及ぼしているのではないか、と?」


こくりと頷き、枢機卿は陰鬱な表情で続ける。


「神殿騎士は勿論のこと、南部戦線には一般の信徒たちも数多く義勇兵として参加している。本人たちだけでなく、その家族も多くは我らが太陽神の信徒だ。南部戦線での一件が信徒たちの心に陰を落とし、信仰を歪ませてしまったのではと……」


そう口にした枢機卿の表情は、神への影響だけでなく、命を散らせた信徒たちとその家族たちの心情を案じているように見えた。


フラーゼは枢機卿の証言を頭の中で冷静に吟味し、判断を下す。


「……それはないでしょう」

「む? し、しかし、現場はかなり凄惨な状況だったそうだぞ?」


あっさり言い切るフラーゼに、枢機卿は反発というより純粋に『何故言い切れる?』と首を傾げた。


「確認ですけど、そのテロの背景に特別な報告は上がってきていますか? 例えば、教団側に裏切り者が出たとか」

「そんなことあるわけなかろう!!」


失礼な発言に瞬間的に沸騰し激昂する枢機卿。その反応を予期していたフラーゼは動じることなく肩を竦めて続けた。


「ですよね。少なくともそういった話が流れているのでもない限り、そのテロが原因で信仰に悪影響が出る可能性は低いです。一般的にそうした生死が絡む状況では人の信仰心は純化されるものですから。そういった意味ではむしろ平和で余計なことを考える余裕がある環境の方が危険と言えるでしょう」

「むぅ……」


フラーゼの説明に納得できる部分があったのか、枢機卿は立ち上がりかけていた腰を床に下ろし、白い顎髭を撫でた。


「……だが、あまりにタイミングが良すぎはせんか?」

「はい。なので直接的な元凶ではないものの、症状の悪化と全く無関係というわけでもないかと」

「……どっちなのだ? いや、どういう意味だ?」


関係があるのかないのかどっちなんだと枢機卿は顔を顰める。


「つまり異常の根本的な元凶となった要素はテロとは別にあり、テロの影響でそれが悪化した、ということです」

「……よく分からんな。いや、テロの影響で悪化したのなら、やはりそれも元凶なのではないのか?」


元凶と悪化の原因の区別が理解できない枢機卿に、フラーゼはたとえ話を持ち出して説明する。


「そうですね……今回の件を神ではなく普通の人間の身体に置き換えて考えてみてください。元凶はつまり身体を蝕む毒。そして人々の信仰は血液です」

「ふむ」

「平静にしていれば毒が身体を蝕むペースは緩やかなものですが、何らかの理由で血の巡りが良くなれば、毒はあっという間に全身に回ってしまいます」

「……なるほど。つまりこの場合、テロにより神に救いを求め祈りを捧げる者が増加したことで、結果的に毒の影響が表出したということか」

「Exactly!」


ある程度現状に理解が及んだことで、枢機卿の表情が落ち着きを取り戻す。そして頭が冷えると、今度は新たな疑問が浮かんできた。


「しかし……となると一体原因は何なのだ? 正直なところ此度のテロ以外、神を蝕むような原因に心当たりはないのだが……」


それは紛れもない枢機卿の本音。だからこそ異常を確認した当初、勘違い、あるいは特に気にするほどのものではないと考えフラーゼへの報告が遅れた。


「それをこれから調べるんです。なに、神を蝕む元凶なんてものは案外くだらないものであることが多くて、だからこそ気づきにくいものなんですよ」

「調べる……神医独自の秘術のようなものでもあるのか?」


枢機卿の期待に満ちた視線に、フラーゼは苦笑してかぶりを振った。


「いえいえ。神を相手に人間の術なんてほとんど意味を成しませんよ」

「ではどうやって調べるのだ?」

「まずは問診で」

「問診?」


問診と言ったところで天界におわす神と直接対話できるわけでもあるまいにと、意味が分からず枢機卿は目を瞬かせる。


「勿論神に直接問いかけるわけではなく、猊下に教団や信徒の現状についてお伺いしたいんです。神は人間と違って内的な要因で病むことはありませんから、異常の原因は基本的に信仰心を供給する信徒たちにあります」

「なるほど。必ず外的要因が存在するということだな」


そこで枢機卿は困ったよう表情で続ける。


「しかし先ほども言った通り、テロ以外これといって思いあたるようなことは……」

「何でもいいんです。別に悪いことじゃなくても良いことでもくだらないことでも。最初に異常に気付いたのは半年ほど前だったんですよね? その前後に何か変わった出来事はありませんでしたか?」

「ふぅむ。変わった出来事と言われても……」


枢機卿はしばし「半年前、半年前か……」と考え込んでいたが、ふと何か思い出した様子で声を上げる。


「──あ。そう言えば……いや、あれ自体は別に……」

「何か思い出しましたか?」


フラーゼに問われて、枢機卿は幾分自信なさげに口を開いた。


「いや、そう言えば新たな聖女の託宣があったのが丁度その頃だったな、と。だがそれ自体は別に珍しいことではないし、託宣自体には何らおかしなことはなかったので、気にしすぎかもしれんが……」

「いえいえ。そんなことはありませんよ。そういう何気ない出来事にこそ原因があるものです」


フラーゼは枢機卿の発言を引き出そうと肯定的に微笑み、彼自身も思い出したことを口にする。


「聖女と言えば、つい先月も何か発表があったように記憶してるんですが、それは半年前の託宣とは別件ですか?」

「ああ。先月は先月でまた新たな聖女が見つかったのだ」

「へぇ……聖女ってそんなに頻繁に見つかるものなんですか?」


神医と呼ばれていても聖職者ではないフラーゼは教団の個別事情にはさほど詳しくない。治療の件もあるが、純粋に好奇心を刺激された様子でその話題を続けた。


「確かにこの短期間で連続して見つかるというのは珍しくはあるが、まぁないことではないな。我が教団の聖女資格者は平時でおよそ五名前後。聖女として活動可能な期間が一〇年から一五年とされておるので、平均すれば二~三年に一人のペースで聖女資格者が見つかる計算となる」


確かにその計算で行けば、約半年程度で連続して聖女が見つかったというのは、多少珍しくはあってもないことではない。


また聖女の発見は教団にとっても信徒にとっても紛れもない慶事だ。神に穢れを生じさせるような事象とは考えにくい。枢機卿が今回の異常とは関係が無いと考えたのは自然なことだった。


「その聖女周辺で何か問題とか、おかしなことはありませんでしたか?」


だがフラーゼは敢えてそこを追及する。この時点では彼自身も特に聖女云々が神の穢れに影響しているとは考えていなかったが、枢機卿の意見を引き出す呼び水としてその話題を深堀りした。


「おかしなこと、と言うと?」

「聖女の能力や人格面に問題があった。あるいは本人でなくてもその家族が厄介だったとか。聖女周辺におかしな人間の陰がチラつく、トラブルが頻出するとか何でも構いません」

「ふむ……」


枢機卿はしばし考え込むような素振りを見せ、断言した。


「……無いな」

「無いですか?」

「うむ。そもそも聖女は神によって能力人格に問題のないと判断された者が選定される。聖女の周辺は専属の影によって徹底してガードされておるし、この国で教団に逆らうような愚か者は基本的にはおらん」

「なるほど」


それはそうだろうな、とフラーゼも納得する。

聖女は教団にとって何より貴重な資源であり広告塔だ。当然、その扱いには細心の注意が払われている。何か問題があれば枢機卿が把握していないはずがない。


「強いて言うなら、先ほど言った二人の聖女は従来と比べやや幼いことぐらいだな」

「──幼い」


その言葉に引っかかりを感じたフラーゼ。


「幼いと言うと一〇歳ぐらいですか?」

「いや、そこまでではない。先月見つかった聖女が一三歳、半年前が十二歳だったか。これまでの聖女は概ね一〇代半ばで選定されていたので、まぁ誤差の範囲だな」


確かに気にするような年齢差ではない。が、フラーゼは“にも拘らず”枢機卿の口から『幼い』という単語が出てきたことを疑問視した。


そんなフラーゼの疑念を感じとり、枢機卿は苦笑して続ける。


「幼いというのは実年齢よりむしろ見た目の方でな。それまでの聖女は年齢以上に大人びた雰囲気の持ち主が多かったので、それで印象に残っていたのかもしれん」

「…………」


その説明を聞いてフラーゼは真剣な表情で黙り込む。


「ん、どうした?」

「──猊下。申し訳ありませんが聖書と、歴代の聖女の絵姿を見せていただけませんか。可能なら絵姿は聖女に選ばれた直後に描かれた若い頃のものを」


不審そうに問いかけた枢機卿を見返し、フラーゼは何とも微妙な表情で告げた。


「穢れの原因、分かったかもしれません」


◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


「これで良いのか?」


御神体が設置されたt地下室から場所を移して枢機卿の執務室。


そこには部下に命じて壁一面に整然と並べられた大量の聖女の姿絵があった。


「…………」


絵姿の準備が終わるまでの間、聖書を黙々と読み込んでいたフラーゼは、枢機卿の言葉に言葉を返すこともせず大量の聖女の姿絵をためつすがめつしていく。


ここにあるのはごく一部だが、最新の聖女二人の姿絵も含め、数十枚もの姿絵が年代順に並べられている。


神話でも女好きで知られる太陽神の寵愛を受けた聖女だけあり、皆美しい容姿の少女たちだが──


「新しい聖女たちのお披露目はもう済んでいるんですよね?」

「ん? あ~、半年前に見つかった聖女は一月ほどの礼法教育を受けさせもう表に出しているが、先月見つかった聖女はまだだな。教育自体は終わっているが、例のテロ事件があってお披露目は先延ばしになっている」

「なるほど。ではお披露目が済んだ方の聖女の評判はどうです? 信徒からの評判──実務はまだでしょうから外見とかの表面的なものになるでしょうが、何か反応はありましたか?」

「む……?」


枢機卿は顎に手をやり、腕組みして困った様子で顔を顰めた。


「そう言われてもな……まぁ、好意的な反応だったとしか言いようがないが」


まさか聖女のお披露目で批判的な反応を示す愚か者がいるとは考えにくいので、枢機卿の困惑は当然のものと言えた。


「質問の仕方が悪かったですね。特に好意的な反応を示した集団とかはありませんでしたか?」

「特に、か……そう言えば神殿騎士団の連中は好意的というか張り切っておったな。幼い見た目に庇護欲をそそられたのやも知れん。専任騎士の志願者が殺到しているという報告が上がってきておったわ」

「なるほど……」


再びフラーゼは黙り込み、口元に手を当てて思考にふける。


枢機卿は邪魔をすまいとしばらくの間それを見守っていたが、やがて我慢できなくなったように口を開いた。


「一体何を気にしておるのだ? 気づいたことがあるなら私にも説明してくれ」

「──あ、すいません」


フラーゼは現実に意識を引き戻され、申し訳なさそうに苦笑して頭をかいた。


「御神体に現れた穢れの原因について大体予想がついたのですが、どう対処したものかなと……」

「なるほど、穢れの原因──何ぃっ!? 分かったのか?」


枢機卿はアッサリとしたフラーゼの発言に目を丸くする。


「聖女の絵姿を見ただけで原因が分かっただと……ま、まさか聖女に何か問題が現れているのか!?」

「落ち着いてください。確かに聖女がこの異常に関わっていることは間違いありませんが、聖女そのものに問題があるわけではありませんので」


教団の顔である聖女に穢れの原因があるのではと慌てる枢機卿。フラーゼはそれを宥めようとするが、枢機卿の勢いは止まらずフラーゼに詰め寄った。


「どういうことなのだっ!? 異常に関わっているが問題はない? 意味が分からんぞ!」

「えっとですね……どう説明したもんかな──と、この絵姿を見てもらえますか?」


フラーゼに壁一面の絵姿を指し示され、枢機卿は改めてそちらに視線をやった。写実的に、忠実に描かれた美しい聖女たちの姿がそこにある。


「……これがどうしたというのだ?」

「ここ最近の二人と、それ以前の聖女を見比べて、何か気づくことはありませんか?」

「む……」


そう言われて改めてマジマジと絵姿を見つめる。


聖女とは神の寵愛と加護を受けた者。絵姿に描かれた少女たちを見比べると、どうしても神の“好み”が出ているのか、聖女たちは皆一様に美しく、雰囲気が似通っていた。


だが、ここ最近──特に御神体に陰が現れて以降の二人を見てみると──


「気づきましたか?」

「ああ……言われてみれば……ここ最近の二人は特にそうだが、以前と比べて雰囲気が幼い。いや、というより──」

「胸が小さい、ですよね」


言葉を濁そうとした枢機卿に代わり、フラーゼが聖女の外見の変化を指摘する。


過去の聖女の絵姿を見ると、皆一様に母性的で豊かな膨らみを持つ少女ばかりが選ばれていた。年齢的には直近の二人以上に幼い者もいるが、聖女に選ばれた時点で既に年齢に似合わぬ膨らみを備えている。


しかしここ最近の二人は年齢的にはまだまだ成長の可能性が残されているとは言え、前任者たちと比較するとその差は明らか──絶壁だ。


「聖書の記述を確認しましたが、太陽神のお手付きになった女性は“包容力”や“母性”が強調されていることが多いですね。また未亡人や人妻に手を出した逸話は数多くありますが、幼い少女に手を出したという話はどこにも見つかりませんでした」

「う、うむ……」


仕える神の性癖を深掘りされ、枢機卿は何とも言えない微妙な表情で頷く。フラーゼは説明しながら「親の性癖や恋愛遍歴を聞かされるようなものかな」と他人事のような感想を抱いた。


「その、聖女の変化については分かったが、そのことと御神体の異常がどう結びつくのだ? まさか女の趣味が変わったせいで神に穢れが発生したなどというわけではあるまいに」

「残念ながら、そのまさかなんですよ」

「はぁ!?」


地位と年齢に似合わぬ枢機卿の呆気にとられた表情に、フラーゼは苦笑を深くした。


「言いたいことは色々あるでしょうが、まずは私の推測をお聞きください」

「──っ! う、うむ……分かった」


枢機卿が話を聞ける状態になったことを確認し、フラーゼは神に起こった異常の原因について説明を始める。


「ことの発端は先ほども言った通り聖女の選定。選定と御神体に異常が発見されたタイミングを考えれば、この二つの間に関連性がある可能性は高いです」

「だが、それだけでは偶然という可能性もあるのではないか?」


枢機卿の反論をフラーゼは大きく頷いて認める。


「おっしゃる通り。ですが神という存在は巨大であり、本来そう簡単に異常や変化が起こるものではありません。二つの変化が同時期に発生したとすれば、それが独立したものである可能性は極めて軽微と言えるでしょう」

「……なるほど」


穴が無いわけではないが一応の筋は通っている、と枢機卿は一先ずフラーゼの言を受け入れた。


「根本の原因については調査が必要ですが、まず最初に起きたのは信徒たちの意識や信仰の変化でしょう。ありがちなのは創作物──小説や詩などで太陽神と幼い少女の関りが描かれたとか、そうした切っ掛けがあったのではと推察されます」

「創作物……そう言えば巷で『太陽と白百合』なる物語が流行っておると聞いたことがあるな。確か我が神が幼い少女を育て、最後は天に召し上げるという話で、歌劇化されて最近人気に火が付いたとか。私は見たことはないが、家内がそんな話をしておった」


枢機卿からの情報にフラーゼは指を鳴らして頷いた。


「ドンピシャです。恐らくその物語が切っ掛けで信徒たちの間で太陽神の女性の好み──言い換えれば聖女のイメージに変化が起きたのでしょう。太陽神は母性ではなくあどけなさや純潔を好むといった風にね」

「ふむ……」


そう言えば聖女の選任に志願した神殿騎士たちは『白百合の君』がどうとか騒いでいたな、と枢機卿は思い出す。


「なるほど。信徒の意識の変化──言い換えれば信仰の変容によって神の趣向に変化がもたらされた。状況からしてそれは間違いないだろう。しかし改めて聞くが、そのことと御神体の異常とがどう結びつく? こう言っては何だが所詮女の好みだ。聖女の能力や人格には問題がないようだし、さしたる影響があるとも思えんが……」


人間でも好みや趣味が変化することはある。だがだからと言って、その変化によって身を持ち崩すとは考えにくいと枢機卿は首を傾げた。


「おっしゃりたいことはごもっとも。そこは神と信仰特有の事情が影響してくるのですが……」


フラーゼはどう説明するのが適当かしばし天井を仰いだ後、思いついた様子で続ける。


「例えば神にとって信仰とは世論や世間の風潮のようなものとお考え下さい。これまでも信仰によって在り方を変質させてきたとは言え、神にも今まで築き上げてきた意識や自我は存在し、決してただ信仰に流されるだけの存在ではありません」

「うむ」

「当然、信仰によって在り方を変質させるといっても無条件に信仰の影響を受け入れるわけではありません。例えば太陽神はこれまでも正義や予言を司る神としての側面を後から付け加えられてきましたが、それが成立したのは元々の太陽神の在り方との整合性がとれていたからです。仮に邪神としての側面を信仰によって押し付けられたとしても、太陽神がそうなることはあり得ないでしょう」

「当然だ」


フラーゼの説明に枢機卿は満足そうに頷く。


「それを踏まえた上で今回の一件を考えてみましょう。今回、太陽神は信仰により女性の好みの変化を押し付けられました。俗な言い方をすれば友人知人から『時代は今巨乳より貧乳、人妻よりロリだよね~』と矢継ぎ早に言われ、つい流されて『あ、ああ、そうだよな……』と同調してしまったようなものです」

「……言いたいことは分かるが、仮にも神の話ぞ……もう少し何とかならんのか?」

「分かりやすさを優先しました」


半眼で苦情を言う枢機卿にフラーゼはすました顔で続けた。


「今まで好みの巨乳の女性ばかりを聖女に選んできた太陽神は、今回周りの意見に流されてつい貧乳を選んでしまいました」

「言い方」

「それが単に食わず嫌いのようなもので貧乳が性癖に刺さっていたら全く問題はありませんでした。しかし今まで巨乳を至上と考えてきた太陽神にとって、貧乳はどれほど周りに良さを語られても理解し難いものだったのです」

「だから言い方」


苦情を笑顔で黙殺し、フラーゼは結論を告げる。


「その結果、太陽神の心身には多大なストレスがかかってしまいました。ただの性癖、女の好みと馬鹿にしてはいけません。多情で知られる太陽神は一人の女性のために一国を滅ぼしたことさえおありです。好みの女性を侍らせる機会を奪われたとなれば、その心痛たるやいかほどでしょう……!」

「だから言い方、不遜が過ぎるぞ…………まぁ、言いたいことは良く分かった」


言い方はともかく、と枢機卿は理解を示す。


馬鹿馬鹿しい内容ではあったが、彼は女性関係の逸話に事欠かない太陽神、その教団のナンバー2だ。神話における太陽神の女癖の悪さは熟知していたし、神が女のことで心を病んだと言われれば『そっかー、病んじゃったかー』と納得する程度の理解はあった。


「なるほどな。それで先ほどの“どう対処したものか”という卿の発言に繋がるわけか」


そしてフラーゼが先ほど何に頭を悩ませていたのかにもすぐに思い当たる。


例えば今回の神の異常が異端の教えや世情の不安によるものであれば、出来る出来ないは別にしてそれを取り除けば片が付く。だが、今回のように悪意のない物語が原因となると……


「……ふむ。しかし裏取りは要るだろうが、例の『太陽と白百合』とやらが原因だとすれば、禁書に指定するしかないのではないか?」

「いえ。それは危険です」


悩ましくはあるがそれしかあるまい、と発した枢機卿の意見を、フラーゼは即座に否定した。


「……何故だ? それが原因である以上、面倒ではあっても取り除くしかあるまい」

「こうした性癖は禁止されれば却って燃え上がるものです。闇に隠れて広まり、却って事態を悪化させかねません」

「むぅ……」


日頃から対立宗派と舌戦を交わす機会の多い枢機卿は、フラーゼの言を認めざるを得なかった。


「ならばどうする? このまま放置して神の性へ──趣向が完全に塗り替えられるまで待てと言うのか?」

「それも一つの手ではありますが、そのことが神の心身にどれほどのストレスをかけることになるか想像がつきません。今は目立った問題がなくとも、その内加護や恩恵にも影響が出てくる可能性があります。ですから──」


そこでフラーゼは言葉を区切り、ニコリと笑って解決策を提案した。


「──多様性の時代です。貧乳を否定するのではなく、巨乳“も”肯定される方向で話をもっていきましょう」




半年後。

王国では『太陽と白百合』に続き、太陽神をモチーフにした新たな歌劇が人々の話題となっていた。


教団が主導したその舞台は聖書で描かれた古典をリメイクした内容ではあったが、人妻や恋人のいる女性とのドロドロの愛憎劇を赤裸々に、セクシーな俳優を起用して興行したことで男女問わず幅広い層で人気を博した。


それを企画したことで、当初教団内から「不謹慎だ」と反発を受けていた枢機卿の評価もうなぎのぼり。


何故か虚ろな表情で地下室へと籠り、度々「輝いてるなぁ……」「そこまで嫌だったのか」と呟く枢機卿の姿が目撃されたそうだが、その理由は神医と呼ばれた男を除いて誰も知らない。

連載中の話で考えていたエピソードの没ネタ。


別途連載に仕立てようにも、早々にネタが尽きそうな気がしたので短編として投稿。

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めちゃくちゃ笑いました この巨乳好きの神様なら信仰したい
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