精霊
「決めました」
「え? 何を」
私の質問に答えることなく、ノアはどこか一点を集中するように見つめだす。そして、両手を出し何かを撫でるようにフワフワとそれを動かした。
同時にどこからともなく風が吹き、ノアの黒髪を揺らす。室内なのに風なんて、どこから来たのだろう。
呆気に取られている私の目の前に、突如何かが現れた。ノアが翳していた手の間に、金髪の少年が立っていたのだ。年は十歳ぐらいだろうか? 少しくせっけの髪に白い肌、茶色の瞳。人形のように可愛らしい顔立ちをした少年は、にこりと愛想よく笑って立っている。
急に現れた子供に、私はただ言葉を失くす。
ノアはそんな私に言う。
「下ごしらえは彼にしてもらってください。食糧庫に色々入っていますから、なんでも使っていいのでメニューは任せます。私は昨晩から何も食べてないので、量はかなり多めに作ってください。では私はもうひと眠りします、出来たら起こしてください」
「え、ちょ、ちょっと待ってください!」
言うだけ言って去ろうとしたノアを必死に止める。
「こ、こんな小さな子に包丁を一人で使わせるなんてできません!」
「小さな子? 彼は人間じゃないですよ。私よりずっと年上の精霊です」
ノアはきょとんとして言ったので、私は口をぽかんと開けてしまう。
ゆっくりと小さな少年を見下ろすと、彼は私に笑いかける。さらにその下に視線を落としてみれば、膝から下が透けていたので、私はあまりの驚きに叫んでしまう。
「きゃあああ! 幽霊!?」
「ですから精霊です。あ、でも長時間は留まってくれませんからね。包丁を使う仕事をまずすべて彼に任せて済ませてください。では」
驚く私に淡々とそれだけ言うと、頭をがりがりと搔いて彼はキッチンから去って行ってしまった。信じられないことの連続で、私の心臓はバクバクと大きな音を立てている。
ええっと……なんだっけ。
彼が手を翳したら突然子供が現れて……足が消えていて……彼が下ごしらえを手伝ってくれるという。そして、この子は精霊だと。
「えっと、精霊さん?」
冷静になって考えてみる。本で読んだことがある、精霊という存在は確かに存在するものの、とても高位の魔法使いしか意思疎通が取れないと言う。そんな精霊に、料理の下ごしらえを頼むというのか?
ちらりと金髪の少年を見てみると、いまだにこにこしたまま私を見つめている。私は意を決して、視線を彼に合せた。
「あの……はじめまして。アンナと申します。精霊さんですか?」
こくん、と頷く。
「ノアから、あなたに料理を手伝ってもらうように説明を受けました。あの、精霊さんにそんなことをしていただいていいいのでしょうか? 野菜を切ったり、肉や魚を切ったりなんですが……」
「精霊を見るのは初めてなの?」
彼がそう無邪気な声で尋ねてきた。足がないことを除けば、彼はどこからどう見ても可愛らしい子供だ。
「も、もちろんです!」
「ははは、そっかあ。僕はノアと古くから友達だし、何より人間の生活に凄く興味があるから、料理でもなんでも手伝えるよ! そして、僕にもちゃんと美味しい料理を用意してほしい」
「そ、それはもちろんいいですが、包丁が使えるんですか? 切り方とかそういうのも」
「ふーん。今から一体どんなものを作るつもりなの?」
「え? そうですね……胃に優しくて、でもお腹がいっぱいになるような」
「ちょっとごめんよ」
少年はそう言って、突然私の額に手を当て……たのかと思ったが、正確には手は額をすり抜けているようだった。まるで私の頭の中を読み取るよう。そして一人納得したようにふんふん、と頷く。
「なるほど、アンナの考えていることは全部分かった」
「え!?」
「面白そうだ、僕も手伝わせてよ」
そう言って笑うと、突然彼の背後にあった戸棚が開いて中から鍋が飛び出してきた。驚きで変な声を上げる私をけらけら笑いながら、楽しそうにしている。
「さあ、アンナ、やろう」
どうやら、彼もノアのように触れずに物を動かす力もあり、また私の頭の中も全て読まれているようだ。精霊について本で読んだときは、彼らはいたずら好きで、でも警戒心が強く、尊い存在だということぐらいしか読んだことがなかった。
「あ、あの! ……名前を教えてください」
慌てて私がそう言うと、彼はどこか嬉しそうに目を輝かせた。
「僕はアレン!」