魔法で淹れたお茶
彼はよく言えば落ち着いた、悪く言えば暗い声で言う。
「家もこんな状態ですみません。ここ最近、とても忙しくてまるで余裕がなくて。やっと仕事が落ち着いたところなんです」
「は、はあ……」
「客人がいるのにこの状態はないですね」
彼はそう言うと、だるそうに右手を出し、人差し指を立てた。そして、小さくくるりと回す。空中に丸を描いたような形だ。一体何の動作だろう、と不思議に思っていると、突如自分の足元にある本の山がずずっと音を立てたので飛び上がる。
「ぎゃっ!!」
私の悲鳴を気にすることもなく、魔法使いはさらに指で円を描く。すると本がふわりと宙に浮き、ひとりでに移動し始めたのだ。
背後からも音がしたので振り返ると、床に置きっぱなしにされていた本全てが勝手に動いている。生まれて初めて見る光景に呆気に取られていると、彼が小さく呟く。
「埃がたちますね……」
そう聞こえたかと思うと、今度はどこからともなく箒が現れ勝手に床の掃除をし始めた。さらにははたきや雑巾も現れ、踊るようにして部屋中を磨いているのだ。
「す、すごい……」
感心と好奇心、少しの恐怖。
瞬きすら忘れて動く者たちを見つめている。
「客人にお茶がないのも失礼でしたね。どうぞ座ってください」
振り返ると、ごちゃごちゃしていたソファ周りは一瞬ですっきりしていた。このソファはこんなに大きかったんだ、と心で呟く。私はとりあえず言われた通り正面に腰かけた。
彼は気怠そうに座ったまま、今度は左手の人差し指で円を描く。しばらくして、ティーカップが現れたので、また口をぽかんとしてしまう。
「魔法を見たのは初めてですか」
彼が尋ねた。
「も、もちんです……見たことがある人の方が少ないかと思います! 本当にあるんですね、疑っていたわけではないですが、自分とは違う世界の気がしていて」
「そうですか」
テーブルの上に、湯気の立つ紅茶が入ったカップがそっと置かれた。恐らく、いやきっと私のために淹れられた紅茶なのだ。
「い、いただきます……」
私はそっとそれを啜る。なんと、あまりおいしくない。ちゃんとした手順を踏んでいなかったのだろうか、渋くて苦い味になってしまっている。
だがまさか口に出せるわけもなく、私は何口か飲んでティーカップを置いた。
彼は私からは目をそらし、どこかを見たまま話す。
「さて……ジョージの姪だとか」
ジョージは叔父の名前だ。
「はい、そうです。昨晩、こちらに来まして」
「料理人と言うのは間違いないんですか?」
「は、はい……一応、名のあるレストランで働いていました」
「女性は珍しいですね」
「その、父が有名な料理人だったんです。若い頃は王室で気に入られたとかなんとか。私は子供の頃から料理を教わっていて、それを知っている人がぜひ働かないか、と声を掛けてくださって」
「なるほど……その経歴なら納得ですね」
彼は自分の分の紅茶も一口飲み、少しだけ眉を動かした。思ったより美味しくないと心で思ったのかもしれない。
ティーカップを置き、彼は小さな声で言う。
「私は魔法使いです。ノアと言います。見た通り料理以外の家事は魔法でそこそここなします。でも、料理は魔法で作ってもあまり納得するものが仕上がらず……ああいうのはタイミングや味付けなど、繊細な技術が必要なので。魔法で上手く作る人間もいますが、私はもう面倒なので人間を雇おうかと」
「は、はあ……」
「ですが、見ての通り私は暗いです」
自分で言っちゃうんだ……自覚あるんだ……。
確かに先ほどから表情はほとんど変わらないし、声もハリがあるとは言えないし、顔色の悪さやクマのおかげで決して明るい男性という印象にはならない。