あなたと生きる
二つの籠に焼いたお菓子をたっぷり乗せる。とはいえ、片方の籠はみるみる減っていくので面白い。甘い香りが充満するキッチンで、私はふうと一息ついた。一応味見で、ケーキをひと欠片食べてみる。大丈夫、美味しくできてる。
私はつけていたエプロンを外して、その場に声を掛ける。
「とりあえず、おやつはこれね。たくさん焼いたから、食べてね」
わーい、……という声が聞こえてくる気がしたが、幻聴だったようだ。それでもどこかふわふわして喜んでいる空気感を感じることが出来る。
みんなの姿が見えたのはあの一度だけで、それ以降はまたいつも通りに戻ってしまった。少し寂しくもあるが、時々ノアが魔法でみんなを見えるようにしてくれるので十分楽しい。その時の騒がしさはすさまじく、これがずっと見えているノアは大変かもしれない、と少しだけ思ってしまったのは内緒だ。
そういえばノアは寝起きが悪かったけれど、これだけ騒がしい中で寝る能力を得るためには仕方なかったのかもしれないな……。
キッチンを出ようとすると、アレンがどこからか現れた。
「アンナ! 行くの?」
「うん。お菓子をたくさん焼いたから、アレンも食べて待っててね」
「やったー! 気を付けてね」
アレンの声が聞こえたのだろうか。二階からノアが下りてきた。彼は相変わらずの調子で私に声を掛ける。
「アンナ。行けますか」
「はい。お待たせしました!」
今日、私はこれから、元の家にノアと二人で行く。
あれから、穏やかな毎日を取り戻していた。
ハリスたちはキチンと警察に捕まったし、街の人たちも無事だったのですぐにいつも通りの生活に戻っている。私は料理をせっせと作り、皆にふるまう日々だ。
家の周りの悲惨な状況は変わりなく、黒焦げになった部分はノアが魔法で全て取っ払ってくれた。家の周辺はぽっかり穴が開いたようになってしまっているが、その後ぐんぐん緑が育っているので驚いた。だって、今は冬。普通はこんな風に生き生きと植物は育たない。
精霊たちのおかげだ、とノアが教えてくれた。
彼らが丹精に植物を育ててくれているのだと。時間はかかるが、また緑にあふれた場所になるだろうとノアは言っていた。
そんな矢先、ノアが私に提案したのだ。『元の家に行ってみませんか』と。
実はここ最近、少しずつだが鏡が見られるようになってきたのを、彼は気づいてくれていたのだ。まだ苦手意識はあるが、以前のように震えや動悸が出てくることはなくなっていた。ハリスたちの件も片付き、自分の居場所でゆっくりできているのが理由なのかもしれない。
元の街は、行くと好奇の目で見られるだろうが、ノアが魔法でここの家と向こうの家を繋いでくれると言った。そしたら、誰にも会わずに家に帰れるというわけだ。
……あの家は、もう手放すことにした。
叔父さんがいろいろ手続きを手伝ってくれている。父との思い出の場所なので切なくもあるが、私が他に居場所が出来たから、というプラスな理由だから、悲しむことはない。それに、思い出は他にもたくさんある。その荷物を持ってこよう、とノアが提案してくれた。
あのドレッサーも。
まだ座って正面から見ることはできないかもしれないが、布を掛けずに置いておくぐらいのことはできそうだから。
「では、アレンたち、留守番を頼みます」
「いってらっしゃーい!」
廊下に、いつもの黒い穴が現れた。私はノアと並び、あのパーティーに行く日のようにその腕をしっかり握った。
そのまま、黒い穴へ足を踏み入れる。
しばらく真っ暗な道を通り、二人だけの足音が響いていると、少しして明かりが見えてきた。目を細めてその明かりへ進んでいくと、一気に景色が変わる。
ノアの家とはまるで違う、小さなリビングがあった。広いとは言えないキッチン、二人用の小さなソファ。ダイニングテーブルは少し埃が被っていた。
懐かしい匂いに切なくなり、私は視線を落とす。
「大丈夫ですか、アンナ」
「……はい」
ここには思い出が多すぎる。
両親との思い出はもちろん、まだ無邪気に遊んでいたハリスやミランダとの思い出もある。あんなに悲しい結末を迎えてしまったけれど、小さな頃は本当に大切な二人だった。
私は顔を上げて、キッチンに立つ。
「そんなに時間も経ってないのに、懐かしいですね……ここで父に料理を教わっていました」
「ここが、あなたとお父様が過ごした家なんですね」
ノアが隣に立ってそう優しく言った。私は微笑んで頷く。
「あまり裕福とは言えない家庭でしたから、古いし小さい家でしょう」
「大きさはともかく、古さに関しては私の家の勝ちです」
「あは! そうですね。でも、どちらも落ち着くとても大事な場所です」
私はキッチンを手のひらで撫で、目を細めて言う。ノアが何か言いかけようとしたが、それよりも先に私はキッチンを離れた。
「こっちには父の部屋や私の部屋があります!」
私は声を弾ませながら部屋を見ていく。父の部屋は亡くなった後片づけたのでだいぶスッキリしているが、彼が集めた料理の本やレシピは、そのまま本棚に並べてあった。私はそうっとそれを手に取ってめくってみる。
「これは今の家に持って帰りたいです。あ、これ懐かしい……最近作ってないなあ、作ろうかな」
「お父様のレシピですか。王子たちもこぞって欲しがるのでは」
「ふふ。でも、作る人間の腕も必要ですから、レシピがあってもなかなか思うように作れないんですよ!」
「それもそうですね。そういえば、あなたにまた料理を振舞ってほしいと王子たちから言付かっています」
「こ、断りにくいなあ……じゃあ、今度行きます。出稼ぎに」
「はは、出稼ぎですか」
私たちは笑い合うと、今度は私の部屋へ行った。そこで、ひっそりと眠るドレッサーがあった。その正面には、ベッドがある。
ぐっと胸が苦しくなり、一度立ち止まった。ノアが心配そうに顔を覗き込んでくる。
「……アンナ」
ゆっくり深呼吸をして落ち着かせた。私はドレッサーの正面に立ち、掛けてあったままの布をそっと取ってみる。
磨かれた鏡がそこにあった。
母の形見で、私も父もずっと大切にしてきたドレッサー。ずっと眠らせたままでごめんなさい。でも、ようやく迎えに来られた。
少し目を逸らしてしまいそうになるけれど、しっかり受け止める。鏡には、やや強張った顔をした私と、心配そうなノアの顔が映っていた。ノアの顔を見ただけで、すっと胸が楽になる。
「……やっときちんと見られました。まだちょっと辛いけど」
笑いながら私が言うと、ノアが言う。
「無理に家を手放さなくていいのでは? 思い出の場所ですし……時々こうして私と手入れをしにくればいいですよ」
「ありがとうございます。でも、もう決めたんです。誰も住まないと家は朽ちていくし、可哀想じゃないですか。お金もかかるし……それに、私にはもう帰る家が出来た。だから、お父さんもお母さんも喜んでいると思います」
いろいろ詰まっている場所で、私の手を離れてしまうのは確かに寂しい。悲しい思い出もあれば、楽しい思い出も山のようにある場所だから。
でも、人は進んでいくものだから、ずっと同じ場所に留まっていはいられない。私にはもう、この家は不要なのだ。
「このドレッサーたちを、あんな遠い街に持って帰れるだけで幸せです。ノアの魔法は本当に凄いです」
「もちろん物を運ぶぐらいいくらでも手伝いますが」
「あ、調理器具もいいですか!? お父さんと使った思い出の品があるんです。ふふ、凄い量になっちゃいそう」
笑いながらそう言った私の手を、突然ノアが掴んだので驚いた。彼を見上げると、いたく真剣な顔をしていた。
「ノア?」
ぽかんとした私と、ノアの顔が鏡に映っていた。彼は私の目をまっすぐ見て、こういった。
「私と結婚してくれますか、アンナ」
思ってもみない発言に、ただひたすら固まった。
思いが通じ合っているとはいえ、まだ一緒にいた時間が長いとは言えない私たち。まさかノアがそんなことを考えていたなんて、夢にも思わなかった。
黙ってしまった私を見て、ノアは視線を逸らし少し挙動不審に狼狽える。
「まだ早いとは思ったのですが……あなたはきっと婚約や結婚にいい思い出がないでしょうし……でもどうせ伝えるなら、あなたの大事な場所で伝えたいと思いまして……私はあなた以外には考えられませんし……」
「ノア……」
「今すぐじゃないですもちろん。あなたの心の準備が出来たら……と」
困ったようにぼそぼそ言う彼が、とっても彼らしくてなんだか嬉しかった。私の目に涙が浮かぶ。
全てを失った時、そばにいて守ってくれたのはいつでもあなただった。
不器用で口下手だけれど、優しくて人の痛みがわかる人。この人と出会えなかったら、私は今どこで何をしていたのだろう。
恋も、友人も、帰る家も、仕事も、何も持っていなかっただろう。
心の底からノアという人が好きで、ずっと一緒に居たいと思う。
私は彼の手を握り返し、涙を浮かべたまま答える。
「もちろんです……ずっとあなたの隣にいさせてください」
私の返事を聞いたノアは一瞬驚いた顔をしたのち、ふっと表情を緩めて笑った。どちらともなく、ゆっくりその体を抱きしめる。
流れてくる体温が、聞こえてくる彼の鼓動が、私の幸福を溢れさせる。
しっかりと抱きしめ合う姿が、目の前の鏡に映っていた。
完
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