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ハリスの生活

 私は首を横に振る。


「言ったでしょ……私はもうあなたに気持ちはない。新しい道を歩き始めてる」


「はははは! 新しい道かあ! よく言えるね、君がいなくなってから、俺がどんな毎日を送っていた思う?」


 高笑いをした後、ハリスはどこか天井をぼんやり見つめながら淡々と言う。


「婚約がなしになって、アンナが街を出て行ったことはみんな気づいていたよ。仕事も辞めたって凄い噂が流れて……俺とミランダのことも知れ渡ってしまった。あの夜、ミランダと俺が君の家から追い出された様子を見ていた人がいたらしくてね。そこからは大変だ。友人たちには強く責められた挙句、みんな離れていって誰も味方はいなくなった。白い目で見られて、肩身が狭い思いをしたよ」


「そんなの私も同じだよ。あれだけ盛大に婚約を祝ってもらいながら破棄になったってひそひそ言われながら見られて、耐えられなかったから街を出たの!」


「アンナはいいよ、家族もいないし一人で自由に動けて! 俺はどうだと思う? 両親の店を継ぐ予定だったから街を出ることもできやしない。しかも……あの件以降、ガクッと客が減って売り上げは半分以下になったんだぞ。周りはみんなうちで買うのを避け始めたし、元々君が働いていたレストランは、うちの取引先だった。それがアンナがいなくなった後、違う店に変えられて……」


「……え」


 それは知らなかったので驚いた。ハリスの両親は凄くいい人で、幼い頃から私の面倒も見てくれた第二の親だった。最後に別れの手紙を出してきたが、まさかそんなことになっていたとは。


 ハリスは悔しそうに握りこぶしを作り顔を歪める。


「毎日毎日赤字続き。でも父さんも母さんもアンナを責めなかった。むしろ、なんてことをしたんだって俺は殴られて毎日泣かれて……地獄みたいだった。両親にも幻滅され、友達はいなくなり、生活は苦しくなって……俺はそうやって苦しい思いをしていたのに、お前はなんだ? 他に男を作って、自分は料理人として成功してる? なんでなんだよ!」


 唾を飛ばしながら叫ぶハリスの目が、真っ赤に充血している。その形相はまるで別人のようだった。プロポーズの時、優しい顔で花束を渡してくれた彼は、もうどこにもいない。


 私は明るく優しい彼のことが好きだったのに。


「……ハリス……」


「でも……アンナが気持ちを改めて一緒に帰ってくれれば、この状況も変わると思うんだ。話し合って愛を確かめ合った、って。これからは二人で力を合わせて生きていくんだってみんなに説明すれば、きっと応援してくれる。友人たちも戻って来るし、店だって活気を取り戻せるに違いない。だから、ね? アンナ、帰ろう。俺は絶対にもう間違わない。そもそも、ミランダはどうしても思い出が欲しいっていうから一晩だけ慰めただけで、本当に好きなのはアンナだったんだよ」


 ハリスがそっと私の頬に触れようと手を伸ばしたが、私はそれを避けるように顔を背けた。ハリスがそれを見て無表情になる。


「あなたは……結局、自分が一番好きなのね……今自分が苦しいから、辛いから、その状況を何とかしたくて私を連れ戻しにきたんだ。私を愛していたからじゃない。そんな人と、どうして一生を歩いていこうと思える?」


 震える声で私が言うと、ハリスがカッと顔を真っ赤にさせた。


「どうしてたった一度の過ちも許されないんだよ! 一回だけ、一回だけだぞ? 人間誰だって間違うことはある。なのにやり直す機会も与えられないなんて変だろう! あれっぽっちのことで、俺の人生はめちゃくちゃになってしまった。どう考えてもおかしい!」


「……それがあなたの本心なんだ……」


「アンナ、君はよく考えた方がいい。幼い頃からずっと一緒にいて、俺たちはどこにいるのも一緒だった。俺ほどアンナを分かってる人間なんていないんだよ。二人で街に戻って、穏やかに暮らすのが一番幸せなんだ。君はあのレストランに戻ればいい。そもそも、本来なら結婚したらうちの花屋で働くのが普通なのに、俺はアンナが外に働きに出るのを許してる。それがどれだけ寛大なことかわかる?」


 べらべらと壊れたように話し続けるハリスの姿を見て、私の目に涙が浮かぶ。


「俺たちが過ごした時間は、こんなすぐに壊れたりしない。あれだけ長く一緒にいて培った二人の関係を、今一度見直そう。そうだ、子供をたくさん作ろう! そうすれば父さんたちも街の人たちも、過去のことなんて忘れて俺たちを応援してくれるよ。そうに違いない。アンナ、一緒に帰るって言ってくれ」


 私の頬に涙が伝い、ぽたぽたと汚れたシーツに落ちて水玉模様を作った。縛られているため涙を拭うことすら出来ず、ただひたすらに零し続ける。


「アンナ?」


「……あんなに長く一緒にいたのに……私はあなたがそんな人だって、ちっとも気づかなかった。楽しい思い出もいっぱいあったはずなのに、今は悲しい事しか思い浮かばない。これまでの時間が否定されたような気がして悲しいのは、私もなの」


「アンナ、これからまた一緒に楽しい時間を作ろう!」


「ふざけないで!!」


 喉が痛くなりそうなほど叫び、涙が飛び散った。


「戻るわけがない。戻ったとしても、そんなにうまく行くはずがないでしょう。放火までしたあなたを、どうしてまた愛することが出来ると思うの。あなたは私の大好きな物を悉く奪った。あなたがミランダと私の家であんなことをしたせいで、お父さんとの思い出が詰まった家も、お母さんの形見も全部置いてこなくてはならなかった。そして、今一番大切な場所まで奪って……」


 こんな人をずっと愛していた自分が情けなかった。自分のせいで、大きな火事を起こしてたくさんの被害を出してしまった、その事実が悲しかった。もう一度新しい人生を歩むことすら出来ないなんて。


「私はあなたとは戻らない! 今はノアがいる、あなた一人で帰ってよ!」


 私がそう叫んだ瞬間、強い力で体を押し倒される。そして私の上に、ハリスが馬乗りになって恐ろしい目で見下ろした。




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