焦げ臭い匂い
「だめだめだめ! だめだから! あっ、こら君! 今玄関は立ち入り禁止だ!」
「離してよウィン! アンナの無事をこの目で確かめる!」
「アレンは特にだめだ! アンナに姿が見えるんだろう!?」
廊下の奥からそんな騒がしい声が聞こえ、私たちは停止した。二人して同時に声の方を見ると、こちらに走り出そうとするアレンと、それを必死に抑えているウィンの姿があった。
するとノアが、はあーと深いため息をつく。私はノアとの様子を見られていたことに顔を真っ赤にして俯く。
「アンナー!」
ついにウィンの腕を払ったアレンが駆け出してくる。私は気持ちを切り替え、両腕を開けて彼を迎え入れ、強く抱きしめた。
「アンナ、無事でよかったね!」
「アレンたちが追い払ってくれたんでしょう? ありがとう」
「みんな凄く怒ってたからね! 無事でよかったよ」
無邪気な笑顔で私の腕に収まるアレンの周りを、ふわふわした温かい空気が漂っている気がした。きっとみんなが、私の無事を祝ってくれているんだろうと想像がつく。
……ほんと、ノアを始めみんなのおかげだ。
太陽のような匂いのするアレンを抱きしめながら、私は幸せを嚙みしめていた。大切な人が、友人がいる新しい生活は、この上ない喜びに満ちている。ここに来て本当によかったと心から思った。
「みんな、本当にありがとう」
私は満面の笑みでそう言った。
それからすぐ、叔父さんが家に訪ねてきた。
やはりハリスたちは町中を歩いて私の居場所を聞いて回り、居場所を知ったらしかった。私からの手紙を読んだあとは、街の人に上手く説明してくれたらしく、ハリスたちが訪ねてきても相手にしないことをみんな誓ってくれたらしい。
ハリスたちはあの後から姿を見かけなくなったので、街に帰ったらしかった。私はまだ外出禁止令が解けていないが、穏やかな日々を送っている。
ハリスたちとの再会から一週間。家で料理をする毎日を過ごしている私だが、ノアがどうしても仕事で不在にする日があった。彼は行かない、と頑なに言っていたが、ウィンが悲し気にノアを説得していた。どうやらノアが行かないとかなりまずいらしい。ウィンが哀れになり、私は仕事に行くことをノアに勧めた。
本来なら三日外出するはずなのを、日帰りで済ませるという条件で、ノアは朝から仕事に出かけることになった。
「アンナ、何度も言いますが絶対に家から出ないでください。玄関はジョージが来た時は自動で開きますし、それ以外の訪問者は出なくていいです。必ずです」
黒いフードを被ったノアは、真剣な面持ちで私に延々とそう言っていた。
出発の朝、彼は嫌そうに仕事の準備をした後、廊下に出たもののなかなか出発せず、私に同じことばかり言っている。私は苦笑いした。
「ハリスたちは街に帰っているようですし、もう大丈夫ですよ」
「油断は禁物です」
「そうですけど……ノア、そろそろ行った方がいいのでは?」
私が促すと、彼ははあと深いため息をついた。心配してくれているのは嬉しいけれど、しすぎな気もしている。ノアは仕事で忙しいし、そっちに集中してほしい。なんといったって、国を守ってくれている魔法使いなんだから。
「では、行かないと……」
「あ、ノア。あの……」
私は声を掛けようとして止まる。言おうとしたことが何だか恥ずかしくて、やはり勇気が出なかったのだ。ノアはそんな私を不思議そうに見ている。すると、そんな私の心を読んだかのようにアレンの明るい声が響いた。
「ノア! こういうとき、行ってきますのキスとかするんじゃないの!?」
ノアがぎょっとして声の方を見る。アレンは廊下の一番奥で笑って手を振っていた。私は顔を赤くし、ノアは挙動不審のように視線を泳がせた。こんなノアを見るのは、なんだか久しぶりな気がした。
想いが通じ合った私たちだけれど、結局あれ以降ほとんど触れあっていない。同じ家に住んでいながら、と驚かれるかもしれないが、私はノアらしいと思っていた。一緒に食事をしたり、向かい合ってお茶をして静かに話したり……そんな時間があるだけで十分幸せだったし、楽しいと思った。以前と比べれば確実に雰囲気は変わっているし。
ただ、ちょっとだけ……ちょっとだけ、欲張ってしまう時もある。結局未遂で終わってしまっているキスも、今もなら絶好のチャンスかと思っていたのだが。
ノアはしばらく困ったようにおろおろしたあと、周りを睨みつけた。私には見えない存在達を目で追いながら呆れたように言う。
「こんなに見る目がある前ではしません」
なんと、そんなに見られているの? はじめてのキスがそんなに注目されているのは、確かに気まずいかもしれない。私は見えないからいいけれど、ノアはさすがにやりづらいだろう。
私は一人で笑ってしまう。そんな私を見て、ノアがそっと手を握ってきたので笑いは固まり、一気に緊張が増した。
「……なるべく早く帰ります」
「……ご飯を作って待っています……」
ノアの手は熱く、少し汗ばんでいた。私と同じように。
その後ようやくノアは、名残惜しそうに魔法でいなくなってしまった。残された私は寂しさもありつつ、彼の熱い体温がまだ手の中に残っている気がして嬉しく思っていた。
ノアがいなくなった後、私はアレンと穏やかに料理をしていた。
洗濯は外に干しに出るのを禁止されているので出来なかった。最近はノアが魔法でやってくれているので、帰ってきたらまた任せよう。ああ、下着だけは自分の部屋で干すけれど。
精霊たちのためにケーキを焼きながら、私は調味料の種類をチェックしていた。ずらりと並んだ瓶たちを一つ一つ確認していく。
「だいぶ減ってきたなあ。今はすぐに買い出しもいけないし……ノアが帰ってきたら配達でもしてもらおうかな」
「それか二人で買いに行けばいいじゃん」
「え、ノアが買い物? だって、ノアは街に出るのを嫌がるでしょう」
「あいつは家に籠りすぎだから、ちょっとは外に出た方がいいんだ。運動不足だし……アンナが誘ってくれたらきっと行くよ」
アレンが笑って言った。もしそうだったら嬉しい、と想像してしまう。ノアとはデートらしいデートはしたことがないので、少しでも買い物など出来たなら、楽しい時間になるに決まっている。
「でもそうすると、街の人たちに見られるよね。なんか色々噂されそうで」
「もう噂されてるから今更だよ」
「え!?」
私はシナモンが入った瓶を手に持ったままアレンを振り返る。彼はオーブンの前で、甘い香りを嗅ぎながら目を閉じて幸せそうにしていた。
「だって、この家に来て辞めないのはアンナが初めてだしね。それに、この前アンナのことを訪ねてきた馬鹿たちをノアが追い払ったらしい……って噂で流れて、ていうことは二人は、って」
「ど、どうしてそんな噂が流れてるの!?」
「駅まであの女が吹っ飛んでいる様子を見た人がいるんだよ」
なるほど、あれだけ派手に飛ばされれば、確かに目撃者がいてもおかしくはない。ノアが魔法で飛ばした、つまりは私を守ってくれた、となったわけか……。
じゃあ街の人たちは私たちの関係を知っているかもしれないということ? 私は両手で顔を覆った。
「アンナはノアとのこと、知られたくなかった?」
私を見たアレンがそう尋ねた来たので、すぐに首を横に振った。
「まさか! 全然そんなことないの。でもほら、ノアはこの街で英雄みたいに言われてるから……私が相手なんておこがましいというか」
「またー。英雄でもあるけど根暗な人嫌いってことも言われてるから大丈夫だよ。あの暗い魔法使いの心を解いた、ってアンナの株が上がるだけだよ。元々、パウルを見つけて身を挺して守った、ってみんな知ってるんだから」
「そ、そんな……あとは単純に、恥ずかしいの」
「ははは、それはしょうがないね」
アレンは笑ってまたオーブンの方を向いてしまった。
そうか、街の人に……ということは、叔父さんの耳にも入っているのだろうか。うちの家に来てくれたけれど、その時はノアとのことについて何も説明しなかった。一度改めて、私たちのことを話した方がいいだろう。私にとって家族なのだから。
でも、なんだかまだ夢見心地というか……現実じゃないみたいなんだよな。
ノアが私を好いていてくれたなんて、いまだに信じられない。嬉しいと思うと同時にどこか怖い。多分、一度こういう幸せが壊れてしまっているから。
そう思って、一人首を振った。ノアはハリスとは違う。絶対に、違うから。
私は持っていた瓶をようやく置き、他の調味料を手に取る。これももう少ししたら買ってこよう。そういえば、精霊たちはこの香りが好きみたいだよなあ。そう考えながらついでに近くを掃除して拭いていく。
だがしばらくして、私はふと異変に気が付いた。
「あ……ケーキ、焦げた!?」
慌ててオーブンの方を見ると、いつの間にかアレンの姿が見えなくなっていた。珍しい、大概焼きあがるまで待って、焼きたてをすぐに食べたがるというのに。こんな焦げ臭いにおいがしていたら、一番に教えてくれそうだが、どこに行ってしまったのだろう。
いや、今はそれよりケーキだ。ぼうっとしていたので焼きすぎてしまったのだろうか。私は急いでオーブンの扉を開き、中の物を取り出した。
「……あれ」
そこには、綺麗な色をしたケーキがある。ちっとも焦げてなんかいない、むしろもう少し焼いてもいいくらいだった。
「じゃあ、この匂いは……?」
自分の鼻がひくひくと動く。焦げたような、そんな匂いがーー




