漏れてしまう気持ち
少し沈黙が流れた後、私は小さな声で話しかける。
「ありがとうございました……そして、すみません……」
「いえ。事情も知らず首を突っ込んですみませんでした」
「ノア……私、あの……こんな形になってしまったけれど、あなたに知ってほしいんです。私がここに来た理由や、刃物が使えなくなった理由を……」
「無理しないでください」
「無理していないです! あなたに聞いてほしい」
私がノアを見上げてそう言うと、彼は少し驚いたような顔で私を見下ろしていた。その目から逃げることなく、私はしっかり見つめ返す。
「私……ノアの負担になりたくなくて。でも、本当は助けてほしいです。こんな形じゃなくて、私の口から全部を話したいと思っていたんです……聞いてくれますか? 長くなると思うんですけど……」
「聞きます。あなたが話してくれるなら、全部聞きます」
ノアはそうしっかりと言ってくれた。その力強い声に、私の目からまた涙が浮かんだ。
リビングで二人、並んでソファに腰かけている。
普段、彼と並んで座ることなんてない。私は雇われている身なので、ノアの隣でくつろぐのは違うと思っていたからだ。だから、なんだか酷く緊張してしまっている。
家に入り腰かけた後、お茶を淹れようとした私を止め、ノアが久しぶりに魔法でお茶を淹れてくれた。ああ、初めてここに来た時以来だな、となんだか感慨深くなる。
お茶がテーブルに置かれ、そっとそれを手に取った。リビングは驚くほど静まり返っており、精霊たちの気配も感じない。それとも、空気を読んでじっと身を潜めているんだろうか。
お茶をすすると、あまりに熱いし苦いしで、少し笑ってしまった。隣のノアも同じように思ったらしく、一口飲んだ後微妙な顔をしたので、それを見てまた笑ってしまう。
「あなたが淹れるお茶が一番おいしいです」
ノアはそう言ってカップを置いた。数口飲んだ後、私もカップを置く。
さて……何から話そうか。
一体どこから始めればいいのかよくわからない。ハリスやミランダとの出会いから? 母の事からだろうか?
困っている私に気づいたのか、ノアが質問を投げかけてくれる。
「あなたのお父様は、お母様の妊娠を期に王都から越したんでしたね」
「あ……そうです。母は体が弱かったみたいで、都会よりゆっくりした場所で住もうってなったみたいです。それから私が生まれて、少し経ってから母は亡くなったみたいです」
「それは……悲しいですね」
私は頷きつつも、ゆっくり目を細めた。
「でも、父は明るくて陽気な人でした。それから、亡くなった後も母を凄く想っていて……母が使っていた形見のドレッサーの鏡を毎日磨いていたし、思い出話もたくさんしてくれました。だから、寂しいとはそんなに思わなかったです」
「素敵なお父様ですね」
隣を見ると、ノアが優しく微笑んでいたので複雑な気持ちになった。彼の親は酷い人たちであることを思い出したからだ。私は両親が愛してくれていた、という自信があるから、ノアの寂しさを理解することは到底無理なのだろう。
「お父様はずっと料理人だったんですよね?」
「はい。近くのレストランで……父が仕事に出ている間、幼い私は近くの友達とよく遊んでいました。それが、ハリス、という花屋の少年でした」
「ハリス……」
「幼馴染でずっと一緒だったんです。彼の両親にも凄くお世話になっていて……長い時間をハリスと過ごしました。いつでもどこでも彼と一緒。周りからは公認カップルみたいな扱いをされていて、私も彼が好きでした。途中でミランダが……さっきの子が越してきて三人でもよく遊びましたが、圧倒的にハリスと二人きりの方が多かったと思います。そして大人になり、プロポーズを……」
その日のことを思いだし、私は膝の上に乗せた手を握りぎゅっと拳を作った。
ハリスは大きな花束を作って私にくれた。彼らしいやり方が本当に嬉しくて、私は涙をあふれさせた。これから二人で生きていこう、と手を握られ、父と母のようになりたいと心から願った。
「その後友人たちが婚約祝いパーティーを開いてくれて……ミランダが、中心になってやってくれました……そして結婚式まであと一か月、というところで、体調不良で仕事を早退した日がありました。家に帰ると、私の部屋でハリスとミランダが……」
それ以上は言えなかったが、ノアは察したようで小さく首を振った。私はあの時のことを思い出し、目に涙を溜めながら天井を仰ぐ。涙をこぼしたくない、と思ったのだ。
「父との思い出の家なので、結婚したら私の家で暮らそうとハリスに提案したのを、これほど後悔した日はありませんでした。合い鍵を持っていたハリスは私が仕事中にミランダを招き入れていた。私と二人で選んで買ったベッドだったのに……そしてその部屋には、母のドレッサーがありました。その鏡に二人の様子が映っていて、忘れたくても忘れられなかった」
「……もしや、それが……」
「私が刃物を使えなくなったきっかけです。鏡や包丁など、銀色に何かが映ると、あの日のことがフラッシュバックしてしまって苦しくなってしまうんです」
先日、王宮で包丁を握ったがまだ克服できていないらしいと分かった。すっかり心は落ち着いたと思っていたのに、トラウマはそう簡単に治せない。
「訓練しても駄目で、仕事を辞めました。職場のみんなは止めてくれたけど……派手に婚約パーティーなんて開いたのに婚約破棄になって、街の人の目も痛かった。どうしてもその場から離れたくて、叔父の元へやってきたんです」
「その二人が、なぜこの街に?」
「ハリスの両親には手紙を書いて出てきたので……ハリスにはトルンセルにいることを内緒にするよう書いておいたんですが、彼がその手紙を見つけてしまったようです。街で彼に会いました。そうしたら、私を見てなんと言ったと思います? やり直したいって、そんなことを言ったんですよ!」
そういった途端、ついに目から涙が零れてしまった。私はそれを隠すように俯き、拳にぽたぽたと涙が落ちる。
「あんなことをしておいて……私は仕事も失ったというのに……! それに、私を探すためにミランダも連れてきたんですって。ずっと好きだった人が、これほどデリカシーがない人間だなんて知りませんでした……情けなくて情けなくて……」
ずっと我慢してきた涙がどんどん溢れて止まらない。あんな男のために涙を流すことすらもったいないと思っていたのに、涙腺が言うことを聞いてはくれない。
するとノアが突然、手を伸ばして私の頬にそっと触れた。まさかの行動に、驚きで自分の全てが停止する。
ノアは私の顔を持ち上げるようにし上を向かせると、彼の綺麗な青い瞳と目が合った。
「泣きたくもなるでしょう。思う存分泣けばいいです。でも、あなたが泣いているのは辛いので、私が何度でも拭きます」
そういったノアの長い黒髪がふわりと揺れた。同時に、私の濡れていた頬が一気に渇き、ああ彼が魔法で涙を乾かしてくれたんだと気づく。
「アンナは話すのが辛かったと思いますが……私は聞けてよかったと思っています」
ノアが真剣な顔でそういったので、私は息をすることも忘れてその瞳に見入った。ノアが触れている頬は異様に熱く、火傷してしまうかもしれない、なんて馬鹿なことを思う。
「私も……言えてよかったです。もっと早く言えばよかった」
「言ってくれてありがとうございました」
「お礼を言うのはこっちです。あの、さっきミランダを吹き飛ばしたの、実はちょっと嬉しかったです」
「……よかった。余計なことをしてしまったかと」
ほっとしたように表情を緩めたノアの顔を見て、胸が高鳴る。体中の血液が沸騰するようになり、全身を駆け巡っている。
ーーああ、そうか。
彼に触れられるとそこが熱いこと。目が合うと胸が苦しくなること。自分の事を知ってほしいのに知られるのが怖いと感じること。全て、私が彼に抱いている特別な心のせいだ。
行き場のない私に仕事と住む場所を与えてくれて、心の底から感謝していて、恩人だと思っていた。でもとっくに、恩人だと思う気持ちを越えていた。
いつのまにかこんなにもーー
「好きになっていたなんて」
ポロリと心の声が、口から漏れた。




