嵐が来る
ハムスターのように頬を大きく膨らまして食べながらノアは言う。
「ところでアンナ、言い忘れていましたが、今日から仕事で留守にします。明後日の朝帰ってくる予定ですので、その間、家のことをよろしくお願いします。手が空いていたら適当に何か作ってくれると、精霊たちが喜ぶので気が向いたらお願いします」
「わ、分かりました。あの、家の鍵などお預かりしてもよろしいですか? 買い出しの時とか……」
「この家は魔法で守られてますから鍵は必要ないです。何も閉めず出て行ってください。帰ってきたときは勝手にドアが開いてくれます。あれもむやみに開いてるわけではなく、相手を選んで開いているので」
確かに、初めて叔父さんとここに来た時も、ドアが勝手に開いていたっけ。
「わかりました」
「え、ちょっと待って、家をお願いしますとか鍵をくれって、どういう……」
ウィンが目を丸くして尋ねてきたので、私は正直に言う。
「住み込みで働かせていただいてるので……」
私の言葉にウィンは勢いよく飛び上がり、その衝撃でカップに入っていたお茶が揺れて少し零れた。
「えーー!? だ、大丈夫なのかノア! こんな可愛い子と二人きりで住んでるなんて!」
「精霊もいますから」
「でも人間は二人じゃん! い、いいのかそれ? 間違いが起きないのか!?」
「ウィンと一緒にしないでください」
ノアが不快そうに眉を顰めて言った。ウィンは力なく椅子に座り、ため息をつく。
「アンナ……危機を感じたら精霊たちに助けを呼ぶといいよ。君を気に入ってるはずだから助けてくれる」
「は、はあ……」
「こんな何考えてるかわからないむっつりと二人で暮らすなんて」
そんな言葉を言ったウィンの口に、どこからか飛んできたタオルが勢いよく押し当てられた。ウィンは苦しそうにもごもご言っている。鼻はふさがっていないので、息はできているはずだ。
ノアはサンドイッチをゆっくり齧る。
「うるさい口です。というわけですのでアンナ、よろしくお願いします。あ……」
何かを思い出したように、ノアが手を止めて窓の外を見た。晴れ晴れとした青空が広がっている。私もつられて、外を見てみる。いい天気だから、あとで洗濯しよう……そんなことを考える。
すると彼はすっと目を細め、独り言のように呟く。
「嵐が来る」
「え……嵐ですか?」
私が聞き返すと、ノアは頷いてまたサンドイッチを頬張った。
「明後日の夜に直撃します。でもその時には私は帰ってきているはずなので、特に問題ないですね。食べたら出発します」
最後の一口を口に入れると、ノアが立ちあがった。そしてずっともごもご言っていたウィンのタオルを指先で外し、スタスタと外へ歩いて行ってしまう。
「あー! ちょっと待てよノア! 全く……アンナ、じゃあ行ってくるから留守番よろしくね。次は僕の分のご飯もあると嬉しい!」
「そうですね……色々作り置きもしておこうと思います」
「楽しみにしてる!」
ウィンは私にふりふりと手を振ると、ノアの後を追って廊下へ出て行ってしまった。だがそのあと、二人とも足音が聞こえないので、気になり廊下を覗いてみる。
すると、廊下に大きな穴のようなものが見えた。玄関の扉すべてを覆ってしまえるような大きな黒いもので、二人はその正面に立っていた。
そして何のためらいもなく、ノアとウィンはその穴へ足を踏み入れた。
途端、二人の体と穴は瞬時に消えてしまう。残ったのは静かな廊下だけで、人の気配はなにもない。しんと沈黙が流れ、幽霊屋敷の中に私一人残された。
「……やっぱり私には、まだいろんな場面が心臓に悪い」
見たこともない景色に、胸がどきどきしている。精霊たちのこともノアたちのことも、まだまだ慣れそうにない。




