30-1.
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なんとなくで訪れた西方の街ではどこかで耳にしたようなゴーレム――による犯罪がかなり横行しているのだという、ゴーレム、ヒト相応の姿形と精神性、「心の所有者」との評価が一般的だが、それに近しい外見と、それに等しいおつむの出来だけだというのなら、それは「からっぽの器」と大差がない。そも、ゴーレムとはただの泥人形なのだ。彼らが彼らとして「魂の保有」を主張したいなら真っ向から否定してやる要素も必要もないし、だったらヒトはゴーレムの存在を認めなければならないと結論づけられる。間違ってもデモン・イーブルはそんな安易な判断はしないのだが。異種だと言えば異種だ。むしろ根本的なところで「彼ら」とはわかりあえないとすら考えている。とはいえ、まあいい、話し合ってみようじゃあないか――なる思いもなきにしもあらず、まずは先方の考える価値を窺ってみることに決める。当該地域における「ゴーレム文化」の根っこと呼ぶべき人物は男だった。選挙――そうなんだよ、選挙を戦うにあたっての根城なんだ。そこを訪れると、手厚く歓迎された。誰彼問わず味方になってもらえるというのであれば迎え入れたいのだろう。まさに弱者の理論である。自己言及のパラドックスを解決できない無限ループにでも陥って狂い死んでしまえばいいのに。
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「どうぞ」と促されるままデモンは――なにせとってつけたような選挙事務所だ――粗末な椅子に腰掛けることを積極的に強いられた。ヒトのかたちをなしていながらもそのじつ泥の塊――に過ぎない人形、クリーム色の髪にクリーム色の肌をした若い男であるリロイ・エッケナー氏は、丸テーブルを挟んだ正面の椅子の上からまるで値踏みでもするかのようにしてデモンのことを見つめてくるわけだ。
「なんだね、リロイ殿、興味を抱かれているように感じるよりほかにないんだが?」
「ああ、すみません。あなたがあまりに美しいものですから」
デモンは顎を上げると黒目の部分を宙にグルグル遊ばせた。
クサすぎるキザなセリフにめまいを覚えたとか、まあそういうことだ。
「ゴーレムの犯罪率は高いらしいな」
「確たるソースは? ありますか?」
「経験則だ」
「でしたら、そのように決めつけられるのは不本意でしかありません。発言の撤回をお願いします」
「せんよ」
「なぜですか?」
「わたしは一挙手一投足を問われる便利で不便な公人ではないからだ。無責任なコメンテーターなんだよ」
デモンは「ゴーレムもニンゲンも、精液の色は同じらしい」と素っ頓狂な方向に話を変えた。「くそったれだな、ゴーレムという存在は」とド正面からけなしてやった。ゴーレムによる性的暴行が少なくないという事実に根差した言葉の連続である、汚らわしいな、ほんとうに――行為自体はプリミティブすぎてゆえにアリだとは思うが。
「ゴーレムによる犯罪が、あるいは幅を利かせていると?」
「だから、それは違うのかねと訊いている」
「あなたは女性だから、その旨がよりセンセーショナルに映るのかもしれませんね」
「おやおやおやおや、わたしがそんな俗物に見えるのかね」
「冗談です、嘘です。申し訳ありませんでした」
「ふん。だったらまあ、思いの丈を盛大に打ち明けてみてはどうかね?」
煽るように、デモンは言った。
過激な文言をぶつけ合わないと刺激に欠けるとの思いが強い。
リロイ・エッケナー――まるでニンゲンみたいな名前の彼は、「僕はたしかにゴーレムですけれど、僕だって倫理を持つ生き物です。どんな状況においても、強姦なんてとんでもない話ですよ」などとのたまい――。
「だがなぁ、くどいようだがなぁ」にぃと笑み、低い声で罵るように言ってやる。「この世界、特にこの国の市民においておまえたちの価値、評価が著しく下がっているのは誰の目にも明らかなんだよ」
「理解を得るためには、がんばるしかありません」
「がんばる?」その単語のチープさに、デモンはつい笑ってしまった。「ゴーレムが何をがんばろうと? あるいは、ゴーレムには何ができるのかね? 泥人形よ、わたしはそのへん、すごく知りたいぞ」
正面きって「泥人形」と揶揄されているのだから怒るのは当然だ。なのに、そのような素振りはいっさい見せない。短気な人物ではないのだろう。自らがそんなふうに言い表される理由もきちんと把握しているというわけだ。吐瀉物を吸った雑巾のように胸糞悪いビチクソ素材のくせに、頭脳はヒトと五分五分と言えなくもない。
「僕たちは僕たちとして、ゴーレムの権利を主張しつづけます」
「その思いは廃棄して、『ゴーレムの国』か? あるんだろう? そっちに引っ込んだほうが幾分幸せだと思うがね。それとも貴様はだ、リロイ、おまえは世界に生きるゴーレムのために戦っているとでも?」
「そこまでは考えていません。ただ、他者が認め、また他者に認められるべき権利については確保したい」
デモンは「ふん」と鼻を鳴らした。「『優しい世界』は気味が悪い」と吐き捨てた。
「――が、まあそのへん、せいぜい叶うといいな」
「あなたは微塵もそんなふうには考えていないでしょう、デモン・イーブル」
「当然だ」と答え、大爆笑してやった。リロイが願う結論はおかしすぎるがゆえ腹を叩くくらいに笑いすぎて、目尻には軽蔑の涙すら浮かんだ。
しかしぴたりと冷静に至るデモンはさすがである――。
「で、リロイ殿、実際のところ、おまえはわたしに楽しいことを提供してくれるのかね?」
「楽しいことかどうかはわかりませんが、お教えします。明日、官房長官と面会します」
「官房長官?」
「はい。その名のとおり、高い地位にある人物です。すっかり初老の男性ですが、信用に足る人物です」
「ほぅ。会って、何を訴える?」
僕たち――我々は静かに過ごしたいだけだと再度、お伝えします。
おやまあ。
はたしてそんなふうに簡単に帰結する話だったか……なあ?
「そんな話ですよ。僕とあなたがかわしていたのはそんなふうなあたりまえの会話です」
「受け入れられると?」
「行政による締めつけ――それが改善されれば幸いです」
「正気か? 行政サービスがなければ表の道すら歩けんのだぞ?」
「厳しすぎるのは嫌だ、という話ですよ」
「このエセアナーキストめ」
「まあまあ」
真剣な眼同士で見つめ合う。
「わかった、いいさ。おまえの思想はきっと尊い」
「ありがとうございます」
「わたしからすれば遊びだが――ご一緒させていただいてもいいかね?」
「ぜひ。あなたのような方にそばにいていただけると心強い、助かります、本音です」
「素直なニンゲンは嫌いではないぞ」と、デモンは妖しく、にぃと笑んだ。
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首相官邸には簡単に入ることができた。さすがに帯刀はしてこなかったが、デモン・イーブルなどは単なる不審者にすぎないし、流浪のニンゲンである以上、警戒されてもいいはずなのだ。――が、とにかく会えた。天井の高い白亜の一室。木目も鮮やかな巨大な一枚板のテーブルの向こうに座っている二重顎がたぷたぷの彼がくだんの官房長官らしい。おおよそしゅっとした見た目だとは言い難いが、やり手の雰囲気はある。官房長官とは次期の党総裁に近しい立場だ。少しだけでも野心があるのであれば、彼だってその高みを狙っていることだろう。
たがいに紅茶をすする時間があり、次に出てきた言葉は、リロイによる「そろそろゴーレムの権利を認めてください」という直線的なものだった。いまさらの物言いに違いないが、ドラスティックすぎて逆に評価できる。がしかし、交渉の枕詞としては良くないだろう。相手からすれば特に印象が良くないに違いない。
ゴーレムの権利を得たい、確保したい。
――が、ニンゲンファーストのこの国においてゴーレムの価値の保全を求めてなんになるのか?
訪れるべきだ、「ゴーレムの国」と呼べる絶対的な空間を。
引っ込み静かに暮らすべきだ、「ゴーレムの国」とやらで。
「リロイくん」官房長官は奴さんのことをそんなふうに呼ぶらしい。「なあ、リロイくん、昨今、ゴーレムによる犯罪率は上昇の一途なんだよ。きみのことだ。知らないわけがないだろう?」
「はたしてその情報は信じ込んで良いのでしょうか?」
「きみのことだから知らないはずがない、と言った」
リロイは若干俯き、苦笑のような顔を浮かべたかと思うと、それでも力強く、また攻撃的な目を官房長官に向けた。
「せめて二大政党制であればと、否が応でも思います。あなたがたは長くにわたり実権を握りすぎた。結果どうなったかというと、野党には政権運営能力がないと断言するに至っただけですよ」
しょうもない事実はさておきゴーレムの話をしよう。
気を取り直すように、あるいは答え合わせをするかのような口調で官房長官が言った。
「きみたちにはニンゲンらしい暮らしをしてもらいたいと考えている」
「それは公人としての思いですか? それとも単なる評論家的なくだらない見解ですか?」
シニカルに笑みながらすんなり「後者だ」と答えた官房長官には正直さを覚えた。
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リロイの選挙事務所である狭苦しいスペース。四季があるとするなら今は夏のはじめと言ったところだろう。首筋をじわりと汗に濡らしながら、小柄な女が寄越してくれた紅茶に口をつけた。量産品だろうが味は悪くない。選ぶ側にセンスがあるということの証左である。
「僕たちはたった一つ、ゴーレムの人権を得たいだけなんですけれどね」
「人権も何も、そのへんからしてつまらん主張だと思うがね。おまえは泥人形だ。そういった種族より強く、また事をいちいちまぜっかえすような存在が相手であれば、ある程度の悪い仕打ちは受け入れるより仕方ないだろう?」
「ゴーレムの地位向上にはどのような行動が望ましいと考えますか?」
「街のゴミ収集に勤しむだけでも、ずいぶんと印象は良くなると思うがな」
しかし――。
リロイはそのように前置きし。
「近々、選挙があるのはご存知ですか?」
「しつこいな、おまえも。何度言わせる。参院選だろう?」
「おっしゃるとおりです。僕は出馬します。必要経費の算段についてはメドがついています」
「がんばれと言っておこう――と申し上げるのだって何度目か」
「参議院というシステムについてはどう考えられますか?」
「解散がないことによる給料泥棒制度だ。任期が長いから衆議院の監視的立場を担う? 馬鹿なのかね、彼らは。高尚な理想も思想も安全なカロリーを前にしてはガラスのようにもろく悲しいものになってしまう。ああ、彼らとはぬるすぎたな。あいつらなんか死んでしまえばいい。給料ありきの公人などいなくていい」
同感ですけれど。
今度はそのように、リロイは切り出し――。
「政策の大部分において僕は中道を標榜しているわけですけれど、実質的には保守層のささやかな受け皿になっている。結果としてそうなることはいいと思うんですよ。特に同志のみなについては当選をゴールとしてもらいたくない。目当ての立場を得てかねてより謳っていた政策を石にかじりついてでも実行する。もはや成せるか成せないのか、業務を積極的にやっつけることができるのかできないのか、そのへんを問われつづけるべきが与党であり、その思いに応えつづけなければ彼らに未来なんてないと思うんです]
「話になんの脈略もない。――が、一部、正しいことも言っている」
「でしょう?」
「ああ」
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投開票日だ。夜には大勢が決し、翌日の新聞でもって市民に結果が知らされるのだと――。結果くらい見届けてやろうと考え、朝早くから眠い目をこすりつつ、街角で号外を受け取り、紙面を確認した。与党が僅差で過半数を保ったらしい。下馬評のとおりだと言える。ほんとうに予想がついた結果であり、だからデモンのあくまでもの関心事はリロイらの政党のことなのである。ゴーレムである彼らは多くのニンゲンから嫌われる。優しい街に移住すべきだし、核心を言えば自身らのコミュニティにごっそり身を寄せるべきだ。にもかかわらず人間社会において私利と権利を主張する――悪いことだとは微塵も思わない。むしろアグレッシブに立場を得ようとするのは悪いはずもないだろう、そこにあるのは愚かしさだというだけであって。朽ちてしまえ、馬鹿なゴーレムども――口には出してやらないが。
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選挙から二日、デモンはリロイと彼の事務所で面会した、驚いた、髪にふんだんに白いものが混じっていたからだ。選挙の当日までは黒々としていたのだ。想像を絶するようなストレスに晒されたとでもいうのだろうか。そうなのだろうが、にしたって異常でしかない。変貌ぶりにもほどがある。
「リロイよ、興味本位で訊ねる、おまえは選挙に負けたんだろう?」
「手厳しいですね」リロイは眉尻を下げ、笑んだ。「仕事はいつでもどこでも、得ようと思えば得られますけどね」
「ああ、それはそのとおりだな。質問を変えよう。政治家としてのおまえは、いったいこれからどうするんだ?」
「ちょっと、少しのことなんですけれど、気になることがあるんです」
「気になること?」
デモンはオウム返しにそう問い、首をかしげた。リロイの口調は悪戯っぽいものだ。何か興味深い秘め事の尻尾を掴んでいる……ある意味そんな、鬼の首でもとったような幼稚な気配がある。「字のテストではなまるをもらったんだ!」と母親に自慢する子の無邪気さのようなものを感じた。
「スキャンダルです」
「だから、どういった?」
「官房長官は隣国の右派勢力とつながっていて、彼らに僕たちを売ろうとしている」
よくある陰謀論。
あるいはどうでもいい週刊誌ネタ――。
「そんなあてずっぽうで国が転ぶのならそれはそれで楽しいが、実際のところはどうなのかね」
デモンの向こう――丸いテーブルの向こうの椅子の上のリロイは、「リベラルが強い国の万年野党とは言え、こちらの有力者と関係があるとなれば両国ともに間違いなく揉めます」と言った。
デモンは「ハッ」と嘲笑するように短い息を吐いた。
「揉め事自体が目的なら浅薄なことだ。それなりの国家であれば、そんなことで揺らぎはしない」
「我が国は、それなりだと?」
「おや? 違うのかね?」
なんにせよだ。
デモンはそんなふうに断りを入れてから――。
「無力だよ、おまえは。そんなのわかっているんだろう? 揚げ足取りに徹することに未来なんてあるのかね。わたしは『ない』と断言するぞ。もしおまえにその気があるのならいっそ官房長官をぶち殺してそのうえで適切なかっこうで民意を問うてみればいい」
「ぶち殺す? 民意?」リロイは不思議そうな顔をして、小さく左に首を倒した。「それはいったい、どういう?」
「おやおや、おまえの取り柄は利口さだけだと思っていたんだが」デモンはからかうようにして軽薄に笑った。「官房長官は売国奴なんだろう? それが事実であるとした場合、誰がこの国を守るというんだ?」
そこらへん、よくわかっているに違いないのにリロイは目を大きくして、驚いたようなところを見せた。このへん、ほんとうに子どもみたなリアクションだ。いちいちが素直すぎる反応とも言える、なんだかとっても腹立たしい。
「デモンさん」
「なんだ?」
「いえ、たとえば、官房長官を暗殺するというのはアリでしょうか?」
その気になったかと、デモンは満足に笑んだ。
「だからそれはイエスだと謳った」
「ナショナリズムの高まりのようなものを、僕は期待したいんですけれど」
などと言うと、リロイはぶつくさなにやら呟く。
「まずはやってみることだ」デモンは真理を説く。「面白くなるようなら、手を貸そう」
するとリロイは白いものが大いに交じった髪を両手で掻き上げ、愉快そうな顔をして。
「面白くします。いっそ、事を荒立ててやりましょう」
デモンは「ゴーレムの権利のために、か?」と問いかけた。
「ああ、すみません。僕は今、僕自身がそうであることを失念していました」
なんとも興味深い御仁であると評価を改めてやってもいい。
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持ちえた情報を適当かつ適切に繋ぎ合わせた場合、今、対面するかっこうで向き合っているのは「先方」の一言に尽きるニンゲンだ。語意やその存在をもう少し明らかにすると「隣国の保守のドン」だ。リロイが「殺してくれませんか?」と依頼してきたものだから――報酬は満足な額とは言えなかったが――面白そうだからと引き受けた。殺すのは簡単――の段にまで事は進んだのだが、当該老人の目はことのほか力強く澄んでいて、刹那ではあるものの、それは決意を鈍らせてくれた。ゆうゆう首筋にカタナを突きつけたにもかかわらず、手を下すまでには至らなかったのである。「まあ聞きなさい、若者よ」なる諭すような声色にも歴戦の手練れの老獪さ、なにより勇猛さが窺えた。
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ながぁい楕円の真白のテーブル、向こうには華奢な体躯の「ドン」がいて、美しい白髪の彼は優雅な笑みを浮かべている。「赤ワインはお好みかな?」と訊ねてきた。そうでもないのだが断ったところで手持無沙汰に違いないので侍女にグラスへとそそいでもらった。闇夜の暗い風が黒く柔らかに舞い上がる吹き抜けの空間。白い壁に囲まれた中にあって、デモンは椅子を後方に引いた。「よっこらせ」――と、テーブルの上に乱暴に両足を投げ出した。
「きみ、まだ名前を聞いていなかった」
「デモンだよ、デモン・イーブルだ」
「それはこの世で最も恐ろしい『掃除人』の名だ」
なるほど。
聴覚は広く、確からしい。
「たとえばわたしが騙っていると?」
「いや、違う。そういうことではない。きみはどうして私を殺そうなどと?」
「世界の流れや行く末を俯瞰した場合、そうしたほうが面白くなると判断する奴がいて、それに乗ってやろうと考えたんだよ」
「私の素性は?」
「筒抜けだ。もとは貧乏人なんだろう? 農家に生まれた貧民だ。そのわりには気品がある。それはおまえが持って生まれてきたものなんだろう。ああ、立派だよ、おまえは」
しかし、私を殺そうとする?
ドンはそのように訊ねてきて、その旨はそのとおり、事実だった。
「雇い主の希望だよ」とだけ告げた。
「その人物はリロイ・エッケナーくんだろう?」との言葉があった。「だったら心外だな。彼とは思いが通じているものだと考えていた」
「奴さんは言っていたよ。なかなか現状を変化させられない以上、だったら根本的な措置が必要なのでは、とな」
「乱暴な論理だ」
「しかし面白い。だからわたしは乗ったんだよ」
ドンは口元を歪めてニヒルに笑い――。
「知っているかね? きみが今、帰属している国と比べると、我が国はとてもちっぽけなんだよ」
「言わずもがな、だ。だからどうしたという話でもある」
「しかし、諜報、あるいは工作活動に成果がないかというと、そうでもない」
「えてしてそういうものだろうさ」デモンは言う。「そのへんのファクターについては、対象国家の上役は気づいていないかもしれないが、リロイは把握しているぞ」
「だからこそ、組めるに違いないと考えていた」
奴さんが望むのは、もはや漆黒の深淵だ。
デモンはそれを口に出してやった、それが真実だろうとなかば断言してやった。
「私を殺した場合の混乱の加減は予想のしようがない」
「リロイはそれくらいの惨状を望んでいる。投げやりになっていると言えば、まあそうなんだろうさ」
「それでも付き合ってやる、と?」
「わたしが望むのもまた、雑なアナーキズムだからな」
「戦いたかったな、残念だ」
「何をもって、そう?」
私はもはや走れない。
ドンはそんなふうに突然言い。
「走れない?」
「ああ。まだ走ることができれば、きみみたいな小娘におくれをとることもなかっただろう」
魔法は?
使えないのか?
「最低限しか使えない。それでも私はかつて、史実に残る『最強』と謳われたものだ」
デモンは右手の人差し指と中指とをドンに向けた。
不可視の斬撃であるにもかかわらず斬れなかった、見えない刃にはじかれたのだ。
テーブルに「よっこらせ」と上がったデモンはつかと歩むとなかば寂しい目をしてドンのことを見下ろした。
「どうして悲しそうにするのか」
「最大限の火力を誇る時点でお目にかかりたかったからだよ」
「今の私については、取るに足らないと?」
「違うかね?」
「違わないな」ドンは小さくかぶりを振った。「ああ、まったくもって、違わない」
おまえがいなくなってしまうと、さまざまながらもそのじつ一つの結果しか得られないのだが――。
言ってデモンは肩をすくめると、呆れるようにして薄く笑った。
「デモン嬢、それは全面戦争だと?」
「そのとおりだ。おまえは、大した奴だよ」
「愚鈍な理論だ。敵うとでも? 叶うと、でも?」
「知らん――が、殺し合うしかない」
「ゴーレムの地位向上に賛成だった、たったそれだけのことだったはずなんだが」
「わたしは神を演じよう。おまえたちにとって絶対の死神だ」
勘弁願いたいな。
と、ドンはにわかに苦笑めいた表情を浮かべ――。