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黒き邪心に薪をくべろ  作者: XI
28.皇帝の威力
154/160

28-7.

*****


 めっきり、メルティーナは痩せてしまった。頬がこけ――雪のように白い肌にあばらが浮いていることもデモンはきちんと知っている。大した精神力だ。世界の敵を自認し、事実、そうでありながら、彼女はがんばっていると言える。悲しいながらも、悲しいながらも。


 デモンはゆるされ、メルとテーブルを挟んで、いつも食事をとる。

 メルからすれば、デモンは唯一の存在であり、もっと言うとたった一人、心を許せる友人であるらしかった。


「メル、良くないぞ。サラダばかりでなくきちんと肉も口にしろ。せっかく朝っぱらから出してくれているんだぞ」

「それはわかっています。ですけど、とても喉を通る気がしなくて」とはメルの苦笑。

「やはり、やるのか?」とデモンは訊いた。

「はい。それがわたくしにできる最初で最後の行いですから」とは、はつらつとした言い方。


 そんなことはない――と思う。

 そも、メルは考えすぎなのではないか。

 だってどうあれ、世の現状の責任のすべてが、彼女にあるわけではないのだから。


「もう、そろそろです」メルは明るい口調で言った、喜ばしげ、だ。「まもなく、わたくしの役割も終わりです」


 胸の内にちくりと鋭い痛み――。

 なんだか気に入らないなと、心の底から思わされた。


「わたしはだな、メル、おまえの考えは尊い一方で、馬鹿げているとも思うんだよ」

「わたくしが得た権力が、世界に強く強く影響を及ぼすほどのものであれば良かったのですけれど」

「そういう話はしていない。というか、笑うな」

「愉快な顔をしているように見えますか?」

「違う。悲しげに笑んでいるように映るんだ」


 事実、悲哀に満ちた表情を、メルは浮かべている。


「周囲の国、できるだけ多くの国に悪事を働き、悪徳を説き、悪意を振りまきました。たくさんの犠牲が出たとの報告を受けています。彼らに礎になっていただこうと思ったわけではありません。ただ、わたくしの考えを体現するために、人柱にはなっていただきました」

「だから、それが間違いだとは言ってない。むしろわたしは、おまえの言動は尊重すべきものだと考えている」


 メルはいよいよにこりと笑んだ。


「わたくしはデモン、あなたに英雄になっていただきたいのです。ですけど、それは無理なのでしょうね」

「それはそうだ。思いも重荷も背負い込みたくないからな」

「ただ、わたくしは、ね? デモン……」

「痛みに身を委ねる覚悟があるのなら」

「あります」メルは即答した。「すべてはわたくしが考えたこと。断罪される準備は――」

「断罪じゃあない。くそしょうもない事実の清算だ」


 あとは、ファラオにいさまだけです。

 彼のみが危険です。


 ――恐らくファラオは「そのへん」感づいた上で、策を練り、場に至るだろう。

 今や、国の有史以来の女性皇帝であるメルティーナに対しても決して油断などしないはずだ。


「予定どおりだと、三十分後、程度でしょうか?」


 言ってメルは疲れたように――しかしますます笑みを深めた。

 彼女が何を言っているのか、わかる、痛いほどにわかる。


 ヒトの心を思い、思いやる。


 珍事であり、稀有な心境であると言えた。



*****


 メルはただ「謁見の場」として、城内の大広間に、主に皇族と上級の軍人、政治家をを招いた。うんうんと頷き、あちこちから知らされる戦功について首を縦に振り、肯定する。ふふと口元に笑みを浮かべると、「次」と話を次に振る。至極、満足げだ。実のところの心持はいったいどうなのだろうか。――喜んではいないだろう。むしろ悲しんでいるのではないのか。それでもメルは残酷な作戦、政策を、近隣国に強いてきた。


 彼女が考えているのは、騒がしい世界――その一片だけにすぎないのかもしれないが、そうであることは確実に違いないのだが、手の内にある限りには、せめてもの平和をもたらそう、ということ。


 やがて発言権を得たメルの兄、第一皇子であるファラオ殿が「皇帝陛下、おしゃべりしても、ええですか?」と相変わらずのキツい訛りでもって人を食ったように訊ねた。


「なあ、皇帝陛下、相手が大いに不快に思うことを、あんたはまき散らしまくってるわけやが、その点について何か一言、もらえませんかねぇ?」


 会場はざわめいた。

 いくら第一皇子とはいえ、いまや絶対的な皇帝であるメルに対する言葉としては殊の外、無礼に該当するからだろう。


「ファラオにいさま、どうかわたくしの考え、わかっていただけませんか? 賢人であるあなたであれば、わたくしの考えなどすべてお見通しであるはずです」

「わかってても気に食わんってことは、これがなぁ、あるんやよ」

「ではお伺いしたいです。何が気に入らないのですか? わたくしみたいな小娘が実権を握っていることですか?」

「ああ、そうや、そうやな。つまるところはそういうことなんやろうな」

「おにいさまほどの人物が、薄っぺらなことです」

「やりきれんことは、どうしたってあるっちゅうことや」


 デモンは前――ファラオのほうを見ながら、「どうするね、皇帝陛下」と訊ねた。まもなくしてファラオが目を寄越してきた。まるで真剣な眼差しだ。こういう瞳の色を作れるものだから、高く買うより他にないのだ。卓越したニンゲンであることには間違いがない。メルティーナというイレギュラーが発生しなければ、とっくに皇帝におさまっていたのだろう。


「皇帝陛下、どうするね?」なおもデモンは前を向いたまま。


 間があった、しばらくの間が。

 のち、メルティーナは「デモン、どう思いますか?」と訊ねてきた。


「どう、とは?」

「わたくしなりに、えっと、がんばったつもりです。どうでしょう? 世の憎しみは、今、わたくしに集まっていますか?」


 やはり、そういうことだ。

 そういうこと、だったのだ。


「すべてのニンゲンの――とは言い難いだろう。いくら皇国と言えども、世界はおまえが思っているより、ずっと広いんだ」

「残念です」

「抜かせ。自意識過剰がぎるぞ」

「わたくしには、意味があったと?」

「わたしはおまえのことを忘れやしないさ」

「……あとはお任せいたします」

「ああ、了解した」


 みなさま!!

 そんなふうに、メルティーナは席を立ち、椅子から立ち上がるり、声を張った。


「お願いいたします! わたくしはこれから死にますから、周囲の国にすべからく速やかにその旨、お伝えください!!」


 ざわめいた、当然だ。


 メルティーナがゆっくりと、クリスタルの玉座から立ち上がった。

 両手の指を絡ませ合って、祈るように少し首を前に倒した。


 デモンは左の腰からカタナを抜いた。

 敬意を表すように、時間をかけて、ゆっくりと振りかぶった。


「あなたに会えて良かったです、デモン。最期を見届けていただくにあたり、これほどの人選、幸福はありません」

「言い残す言葉はあるか?」

「ただ、みなさまに、ありがとう、と」


 待てや!!

 大声で叫んだのはファラオに違いない。

 やはり彼はすべてを予測し予感し、なにより理解していた。

 となれば、そんなはかなげな妹の死など、受け入れられるはずがない。


 しかし、デモンは迷うことなく、メルティーナの素っ首を斬り落とした。

 美しい容姿の首と上半身とを切り離すことは、それなりの快感を伴った。


 バイバイ、メルティーナ。

 おまえの目論見が成就することを祈るよりほかにない、ほかにないな。



*****


 デモンはファラオの執務室にいる。席についている彼の両隣にそれぞれボディガードがいる。デモンからすればそんな連中、無意味なのだが――その旨、きちんとファラオも理解しているようで、だから「ミス・デモン、お久しゅう」などと軽口を叩くように言うわけだ。


「久しぶりというほどでもないだろう?」

「まあ、そうやな。まだ一週間、か」

「呼び出されさえすれば、もっと速くに訪れていたぞ」

「そないしようとおもたんやけどな。べつにそないな必要もないやろうって考えた」

「だったら、どうして今、わたしはここにいるんだ?」

「気まぐれやとでも思ってくれや」


 かんらかんら。

 まるでそんなふうに、ファラオは笑った。


 一転、「アイツが望んだとおりや」と表情を暗いものにした。


「敵対関係にあった周辺国との関係は、一気に改善してる。ホンマ、アイツが死んでまで残そうとした――目論見どおりや。メルはヒトらの憎しみを全部持っていってしまいよった。憎しみが失せた上でこっちから示談を持ちかけるわけや、みながみな、話し合いのテーブルにつこうとしてる。やってくれたなって感じでしかないな。まったく、メルは大した女やよ」

「彼女からすれば、世界中をその色に染め上げたいようだった」

「それは難しい話や。せやけど、もうちょい生きてれば、成し遂げたんかもしれへんな」


 ファラオはふっと笑ってみせると、首を前にもたげ、かぶりを振った。


「わたしを殺さんのかね、ファラオ殿下」

「まさか。曲がりなりにも暴君を討ったっちゅう英雄なんかを殺せるかいな」

「まあ、そうなんだろうな」


 世論がデモンに対して理解的であることは彼女自身、知っている。

 それはメルティーナがどれだけ嫌われていたのかの証左でもある。


「それなりの立場を用意したることはできる。たとえば、俺の側近――いや、最側近とか、な」

「皇帝に就かせてもらえるのであれば――とでものたまっておこうか」

「ホンマに、そう?」

「抜かせ。陛下はおまえがやればいい」

「勝ち取るやのうて、まさか与えられることになろうとはなぁ……」

「それもこれも、メルティーナの手柄、あるいはオボシメシだ」


 自分に憎しみを集めて、その上で自身を平和への生贄とする。

 その目論見と事実について、あらためて、ファラオは感心したようだった。


「民草はかわいいんやけど、ま、限界はあるわな」

「それでもせいぜいがんばってくれ」

「本心なんか?」

「ああ。メルティーナは、メルは、かわいい奴だったからな」


 その言葉に、嘘はなかった。



*****


 メルとは高校の同級生であり、また同じく生徒会のメンバーだったらしいブライアンと、国を出ようという道すがらでばったり出くわした。向こうから声をかけられなければ気づかなかっただろう。そうでなくとも、顔を突き合わしてもぱっとは思い出せなかった。ブライアンが「俺だよ、俺、俺俺俺」などとしつこくなければ完全スルーしたかもしれない。


 近所のカフェに入った、テラス席。「わたしと話をしたいなら奢れよ、少年」とは告げたものの、そうしてもらう気はさらさらなかった。学生のガキにたかるつもりなんてない。――が、ブライアンは「いいよ」と答えた。「すねかじりが偉そうに言うもんじゃあない」、「俺、バイトしてるんだ」、「ほぅ。なら、良しとしようか」ということになったのだ。


 互いに席について向き合っている。唐突に、ブライアンが「なあ、メルの奴の首を斬り落としたのってほんとうに――」とあいまいに訊いてきた。デモンは顔色一つ変えることなく、ミルクが入った甘ったるいコーヒーを口にした。それから、「だとしたらどうなんだ?」と問い返した。


「いや、だったらだったで、それはメルの意志だったんだろうな、って」

「それでも、心が痛まない――ということが、なかったわけじゃあない」

「心が痛む? ってことは――」

「いろいろと考えるところはあるということに違いないはないということだ」


 ブライアンは難しい顔をしたかと思うと、やがて決心したように晴れやかな表情を浮かべて――。


「世界の真実なんてやつはわからないけど、周りの国との関係は一気に良くなると思うし、よくなるんだろうな。あくまでも、メルの独裁だったってことになってるわけだから」

「裏を返せばの話になるが、そうする以外に近隣国家との和平の道はあったのかね」

「ないと思う。だから、メルは偉いなって……」

「偉くはないぞ。それなりの犠牲を払ったんだ」

「それでも、俺は――」

「ああ、立派だとは思うさ。たかが十七にして、世界に対して自分が今、いかに奉仕できるかを考え、決断したんだからな」


 デモンがにこりと笑んでみせると、ブライアンはなんだか照れくさそうに「はは」と笑った。


「一度だけで、良かったんけどなぁ……」

「抱きたかったのか?」

「そんなそんな、恐れ多い。でも、手くらいはつないでみたかったな、って……」


 まったくもって健全すぎる若者だ。

 性欲は性欲で、あって当たり前だというのに。


 デモンは椅子から腰を上げた。


「ホントに国を出るのかよ」

「ああ。一年半もいた。長居をしすぎた」

「裏を返せば、この国ににはそれだけの価値があったってことだろ?」


 違いないと応えて、デモンは身を翻した。

 どこからともなく行動を見下ろしていたらしいオミの奴が、彼女の左肩に舞い下りた。


 乗合の馬車でも見つけてやろうと思う。


 そこまでの道中の、オミ。


「ぼくは全部、知っているんだ。悲しい話だったね」

「経緯を知っているニンゲンは、そうは考えていない」

「尊かったよね。うん。メルティーナ様はサイコーなんだ」

「だが、世に対して、多少、悲観的すぎた。その点だけが悔やまれる」


 街中、デモンはすたすた歩を進める。

 悲しみはない、もはや後悔すらも。


 肩の上でオミが「カァカァ」鳴いた。


「やかましい。なんのつもりだ?」

「メルティーナ様へのレクイエムだよ」

「カァカァ鳴いてるだけだろうが」

「ぼくはカラスだから、カァカァとしか言えないんだ」


 当たり前のことを当たり前のことのように、阿呆のカラスは述べたのだった。


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