28-5.
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敵地へと深く切り込み、今、デモンは今、一人、シビュラの腹の内にある。白い幕に囲まれた陣にあって、前にしているのはガノッサである。彼の脇には明るいグリーンの髪の若者。初対面なので誰かと問うと、「軽々しくしゃべるな、売女め」とひどい口を利かれた。ま、その程度でへそを曲げるようなデモンでもないのだが――。
ヒトが発する鬨の声が遠くない、さまざまな爆発音も。
すぐそこにまで、戦闘の勢い――匂いが、近づいてきている。
「ああ、売女でまこと結構だが、やはり名前くらいは教えてもらえんかね?」
「レイスだ」
「レイス?」言って、デモンは笑った。
「何がおかしい?」
「男のくせに、女みたいな名だと思ってな」となおも笑った。
浮かべた、極端なまでに憎らしげな表情にはかえって好感すら持てる。
「ガノッサ殿、わたしはおまえに話があると言っている」
「メルティーナ様のメッセンジャーなんだろう? 言ってみるがいい」
「おや、言わないとわからんのかな?」
「折れろ、と?」
「平たく言えば」
抜かせ!!
憎々しげにそう叫んだのは他の誰でもない、レイスだ。
デモンのほうに両手を向けると、なにやらぶつぶつ言いだした。ああ、これは詠唱だ。魔法を放つときに呪詛のように呟く使い手がときどきいる。そういうニンゲンが放つのは、決まって強力な魔法だ。言の葉を紡ぐことで威力について増すことができる。だが、まあ、たいがいは影響がない、デモン・イーブルにとっては。しかし、久々に出くわしたかなりの戦力であることは間違いがない。
デモンは真上に跳ねた。真白の陣幕を突き破り、宙に浮いた。すぐに青い炎が下方からわっと追いかけてきた、レイスによる一撃である。赤いものより青いもののほうが温度の質も純度も高い。その使い手は多くないはずだ。ゴッゴッゴッと勢い良く迫りくる青い炎の塊を、それぞれ間一髪のところでかわしてやる。かわしてやったわけだが、見下ろす先――レイスの表情には陰りも曇りもなく、むしろサディスティックであり、「死んじゃえよ、おまえぇぇっ!!」なる輝かしいばかりの醜き声は確かに耳へと轟いた。
ハハハッ!!
デモンは優雅に、あるいは嘲笑するように――。
デモンは宙を二度三度と蹴り、アトランダムに動いた。なおも青い炎が追いかけてくるが、気にも留めない。生きるとか死ぬとか、そういうことについてこだわりはないのだが、今、世界から消えてやるのはなんだか違うように感ぜられる――いつものことだ、いつもそうだ。
いっとう強く、宙を蹴り――。
鼻面を突き合わせる距離にまで至り、皮肉に顔を歪め、馬鹿笑いしてやった。「化物め!」と憎らしそうな表情を浮かべ――たものの、レイスに次の一手はない。それほどまでに接近している。半歩退き居合にて斬り伏せてやろうとしたところで、背後に「モノ」を感じた。得も言われぬ「危険のニュアンス」だ。デモンは顔を左に倒すことで「それ」をかわした。槍のような確かな魔法は彼女の右の頬に傷をつけた。細い傷であることから、後生抱えなければならないということはないだろう。
デモンは前髪を一つ掻き上げてから、右方へ反転、顔も目線も後ろにやった。
さらにデモンは独楽のようにくるりと左に回ると、両腕を左右に大きく広げた。
一息に上空へと舞い戻り、「かかってこい! 空くらい、飛べるんだろう!!」とまずはレイスを煽った。
目論見どおり、レイスが地を蹴った。
待てと強く発したのはガノッサだ。
向かい来る最中、レイスはまたぶつぶつ言う、くり返しの詠唱。
言葉を鋭くすることで、さながら魔法の神様か?
実際、無駄な行為に興じるからこそ、そこに決意が生まれるから、魔法は勢いを増す。
――が、敵ではない。
空から降り注ぐ白い光の無数の雨を、デモンは頭上にはったバリアにて無情にやりすごした。
デモンは彼の接近をゆるしてやった。
またもや鼻面を突き合わせる距離にまでとなり――レイスからは甘ったるい、女性的な匂いがした。
「私がおまえを殺してやる!!」
「だったらだなぁレイス、とっととそうしてくれという話なんだよ」
「生意気をぉぉっ!!」
「退け。いよいよ死ぬぞ?」
「死に怯える私ではないっ!!」
「しかし下がれ。殺すには惜しい逸材だと――」
左斜め下方からゴッと黄金色の太い光が迫ってきた、またか、虚を突きたいらしいが、ワンパターンなことだ。
いっぽうで、弟子に突きつけられた敗北について、気取ったりもしたのだろう。
ガノッサ殿だが、無言で向かってきた。
左右の手には同じく黄金色の剣。
二本振るうあたりには好感が持てる。
そこに必死さが見受けられるからだ。
右の回し蹴りでレイスを突き放したデモン――カタナを振るわなかった。
ガノッサの二つの剣を、左右の手のひらで受けてやった。
ガノッサは目を見開いた。
さすがに驚いたようだ。
「ガノッサ様っ!!」
「来るな、レイス! おまえにすべて託すぞ!!」
潔い反応だ。
弟子にあとを引き継ぐのはなかなかにシブく、素敵なことだ。
いやいやをするように、レイスが迫らんと――。
しかし、もう遅い。
デモンは力を込めた。
ガノッサの顔面を掴んだ右手に、だ。
かの翁の頭部は爆破されたように四散した。
大いに笑う、笑ってやる。
たとえ先の無い老翁のものであろうと、熱い血液を浴びるというその現象――は、悪いものではない。
頭を切り離された胴体が、ぼとぼとと醜悪に落ちてゆく。
レイスが初めて、怯えたような目を寄越した。
――レイスの首すら、刎ねてやった。
途端、背後に気配――。
大ぶりの刃物でも振りかぶっているような気配――。
間違いない。
ガノッサだ。
ガノッサは幻影を演出した、特別な魔法だ。
スイカ割りのように弾けた頭部、その姿を見せたこと自体が幻だった。
最初で最後の、とびきりの、フイウチ、バックアタック。
落下してゆくレイスが「やった!!」みたいな顔を見せた。
ガノッサはガノッサで「してやったり!!」のつもりだったことだろう。
――が。
デモンは一瞬で、今いた位置から五十メートルも上空にまで上昇した。
斬られてやったら斬られてやったで、それはそれで面白かったのかもしれないが――。
デモンの顔の隣にはオミの姿。
一つ「カァ」と鳴くと、阿呆ガラスは優雅に「鮮やかだね」――。
「誰がだ?」
「もちろん君が、だよ」
「言ってろ」
にぃと邪に笑うと、デモンは左の手をレイスの顔面に、右の手をガノッサほうへ、それぞれ向けた。
それぞれをズタズタに、ゼリーみたいに切り刻んでやった。
シビュラの敗北の瞬間と言っても、過言ではないのではないのか――。
*****
一通りの決着を見たわけであるが――。
もはや上から物を要求できる立場だ。
その旨をきちんと理解したうえで、メルはあらためてシビュラに入った、デモンも付き従った次第である。
制服組の長を謳い、実質、そのとおりに違いない存在であったガノッサ、それに彼の部下であるレイス……彼らを失ってしまった以上、あとはなんとか背広組が話をつけるしかないわけだ。そのへん自明の理であり、だからメルとデモン――彼女らは当該人物と会ってやっているのである。灰色の髪に同色の瞳のゲイリーは知っている。彼の隣には紺色の髪にこれまた同色の瞳をした若い、ほっそりとした女がいる。目つきがキツい。生粋の軍人だろう。伺ったところ、実際にそうであるらしい。時折、うっとりとした目を、おくびも恥ずかしげもなくゲイリーに向ける。彼に心酔している旨は否が応でも知り得た。
「わたくしは、もはや貴国には抵抗できるだけの余力はないように思うのです」
「メルティーナ様、それは確固たる事実かもしれませんが、だからといって、私どもが降参するとでも?」
「そうは言いません。ですが――」
「相手が貴殿ら、皇国とは言え、ここまで簡単に虐げられるとは考えていませんでした。だからといって、最後まで戦わない理由にはなりませんよ
「そんなあなたがたであろうと救いたいのです」
「ほぅ。その方法をお聞かせ願いたいですね」
「それはこれから決断いたします」
ゲイリーは笑った。
嘲るようにして――。
「それでは遅い。もう戦争は始まっているんですよ?」
「それでもわたくしはわたくしにできることを――」
「遅いと言ったんです」
ゲイリーにぴしゃりと言われ、メルティーナは押し黙った。
「ただ……ただ、ですよ?」ゲイリーが静かな声で始めた。「あなたがた皇国があり、しかしあなたがたが偉そうに、高圧的に振る舞わないことを祈るばかりです。いいですか? それは弱者の総意、弱者の切なる言葉の集合体なんですよ」
ラニ。
唐突に、ゲイリーがそう呼び――。
「やってみなさい。彼女らを殺してみせなさい」
返事をすることもなく、ほっそりとした軍人――ラニが襲いかかってきた、まずは主賓が目当て、メルティーナを対象としたらしい。デモンは右手で抜き払ったカタナで、いわく器用に、ラニが魔法で生成した金色の剣を受けたのである。受けながら、メルティーナに目をやった。彼女は悔しげに唇を噛んでいた。このシチュエーションにおいてこのリアクション。くだんの皇女の心根の強靭さをあらためて知るに至った、一途すぎるとも言える――。
デモンは豪奢なテーブルへと上がり――ながらもラニとの鍔迫り合いを続ける。
へたに距離をとるとなんらか飛び道具を放ってきそうなものだから、適度な力の入れ具合で受け止めることを続ける。
「ラニ嬢か? こちらとしてはべつにかまわんのだぞ、おまえたちをこの場で屠ってしまっても」
「私は負けない!」
「負けるんだよ」
「言っていろ、悪魔め!!」
デモン!! そう叫んだのはメルだ。
しかし、制止を求められようと、もはやどうしようもない。
先方が死にたがっているのだ。
だったら殺してやろう――一息で、カタナで胸を、刺し殺してやった。
ついでにゲイリーもカタにはめてやったのである。
もちろん、その他、出席者の方々も秒で血祭りにあげてやった。
振り返ると、頭から血を浴びたメルは悲しげに、残念そうな顔をしていた。
「メル、べつにおまえが悪いわけではないぞ。先方が空気を読まないものだから、こんなことに――」
「それでも、むなしいものでしかありません」
「どうあれシビュラはこれから滅びゆく。その決定事項にあって、おまえがどう行動するのかは興味があるよ」
「よりよい世界を目指し、その旨、みなさんに広めたいのです」
「無理っぽいと思うがな」
デモン。
神妙な面持ちで、メルが呼びかけてきた。
「デモン、あなたは最後まで、わたくしに付き合ってくださいますか?」
問われ、デモンは目線を上にやり、しばし考えた。
やはり自らの主はメルであるわけだ、そうである以上、問われた結果として、肯定した。
「もう、待ったなしになってしまいました」
何が待ったなしなんだ?
そう問いかける前に、メルは笑んだのだった。
しんどそうな、疲れたような微笑みに見えたものである。