28-4.
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刺激するのは望ましくないからと、最低限の部隊を率いてシビュラに入国した。速やかに――とある軍施設――へと先導してもらうことができた。なんでも背広組と制服組のトップが手厚く迎えてくれるのだという。主賓は皇族であろうとただの小娘にすぎないわけだからいかにも厚遇と言える。――否、自国を失いたくないのであれば、それは当たり前の対応か――。
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面積の広い大きな楕円形のテーブルを挟んでの夕食の場。「まずは食事を」と先方に招き入れられたのだ。皇国の出席者にも申し訳程度の文官の姿はあり、連中は前菜のサラダを口にすることすら怪しんだが、いっぽうでデモンはくんくんとその匂いを嗅いだのち、白いドレッシングがうっすらとかけられたそれを勢いよく思い切りよく口にした。薄く切られたレタスも細く切られた大根も貧乏くさいなと思ったのだが、だからこその選りすぐりの食材に違いないのだろうと考え、実際、じつにおいしくいただいた。かくして毒見は済んだわけだ。自陣の連中に向けて、デモンは「食えばいいぞ」と告げた。呆気にとられたような、安心の表情を浮かべたのち、フォークで刺したそれを、メルは口にした。「おいしいです。いい野菜ですね」と、以降、徹頭徹尾、微笑んだ次第だ。
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軽やかな夕食を終えると、泥の自動人形ゴーレムのそれかと見紛うくらい静謐かつ厳かな所作で皿が下げられた、メイドどもの手によって、である。デモンは口元をナプキンで拭い、あつあつのコーヒーを一口飲んだ。うん、まあまあいい豆だ。資源の面で質に優れた国家なのだろう。
「お話をさせていただいてもよろしいでしょうか?」と、いつもいつもふんだんに丁寧さを含む言葉で述べる、メル。
彼女のはす向かいに座る男――真白の髭と髪の老人が「いいさ、言ってみな」と言い、くつくつと喉を鳴らした。くつくつと喉を鳴らす――ちょっと意図と意味がわからない。
軽薄な態度は良くないと考えたのか――「我が軍のニンゲンが、申し訳ない」と謝罪したのは灰色の髪に灰色の瞳が特徴的なまだ若いと思しき男である。対してデモンは「そうだよ、灰色のおまえだおまえ、そして、そっちの白髪のじい様だ、おまえたちの名と身分を聞かせてもらおうかね」と今日も今日とて不遜で高圧的だ。
「わかりやすい識別子でお話しさせていただいても?」
「いいぞ、言ってみろ、くり返しになるが、まずは灰色のおまえだ」
「私は背広組のニンゲンです、ゲイリー、といいます。ファミリーネームは?」
「要らんさ、ああ、確かに背広だ。で、白髪の老人殿は?」
「彼はガノッサです。制服組のニンゲンです」
「ああ、たしかに軍服だな。で、たがいはやはりてっぺんだと?」
「ええ、そうです」
なるほど――と、デモンは頷いた。
ふいに「そうだ」と気づいたので、デモンは「ああ、すまんな」と謝罪した。誰にって、メルに対してである。デモンは出席者というだけでありステークホルダーではないのだ。「あなたが話をしてくださってもいいんです、デモン。わたくしはあなたを心の底から信頼しています。もっと言うと、運命共同体です」とメルは言ってくれたわけだが、妙な責任を微塵も背負い込むのが嫌なものだから、「どーぞ」とデモンは身を引いた。
「お話をさせていただきにまいりました。まずはわたくしの声に言葉に、耳を傾けていただけますでしょうか」
老人――もとい豊かな白髪のガノッサ翁が「ふん」と鼻を鳴らし、唇を左右に引き伸ばし、皮肉るような笑みを浮かべた。その無礼な
態度をたしなめるくらいはするかと思ったのだが、ゲイリーさんとやらはいっさい何も咎めなかった。メルは「わたくしどもは戦争をしたくないだけなんです」と訴えた。彼女の味方であるデモンからしてもそれは滑稽な言い分でしかなく、だが、先方にそんなふうに思われることなんざ知った上での提案――精一杯のアイデアなのだろう。
「麗しのメルティーナ様よ」と、がらがら声で口を利いたのはガノッサである。「どれだけ平和な国にあっても、たとえそれが物理的にも論理的にも隣国であっても諍い、あるいは争いは起きるのだよ。それはどうしてか、わかるかね?」
メルがデモンに流し目を寄越した。そこになんの狙いがあるのか、具体的には図りかねたが、答えを迷っているようにも見えた。
「愚かだな、皇国の姫君」ガノッサはまた嘲るような笑みを浮かべた。「おまえたちのような暴虐国家があるから、大きくなることでしか栄えられない愚者連中がいるから、世に戦争は絶えないのだよ」
またデモンに目を寄越した、メルティーナ。結局のところ、何を言われたところで、彼女からしたら想定内でしかないはずだ。そういう展開になるのは百も承知で調停者を買ってでたわけである。
「聞いてください、ミスター・ガノッサ。ですから、わたくしたちは戦争なんてしたくないんです」
「その言い分にはなんの説得力もないと申し上げているのだよ、姫君。戦争したくないのはあなただろう? あなたを除いた多数は戦争をしたくてたまらないはずだ」
「それは……」
「こっちのゲイリー、そして俺も、とことんまで剣をカタナを魔法を交えてやる覚悟だ。勝てやしないだろう。だが、死を恐れぬ兵に、おまえたちは戦慄することになる」
いいセリフだ。
まさに戦慄だ、ぞくぞくさせられる。
メルだって震えたのではないか、彼女の場合、特に恐怖に悲しみに――。
「メルティーナ嬢は殺せんよ。たとえ貴様らが、どれだけの使い手であろうと」と謳ってやった。
「だろうな、デモン・イーブルさんよ」
「おや、ガノッサ殿はわたしのことをご存知かね?」
「名うての魔女めが。その名を聞いてピンとこないのは、その道においてモグリだとしか言いようがない」
「そこまで有名人だったとはな」
言いたいことは、だいたい、もう言った。
あとは責任者たるメルがなんと述べるかだけだ。
彼女は「わたくしが話をつけられなかったら、軍はいよいよ動きます、そういう段取りなのです」と苦しそうに述べた。「望むところだと言ったつもりだがね」と応えたのはガノッサだ。彼は「そもそもだ、メルティーナ様、実質的な問題として、あなたに軍の意向、行動を止める力はあるのかね?」と訊いた。メルティーナは俯く。唇を噛んだのち、「それでもという話です」とは悔しげながらも力強い表情、語気。
「しかしだ、だからだ」と、ガノッサは前置きし――。「あなたの服も、そして心も、その根っこにあるのは他者の価値観なのだよ。そんなこと、言われるまでもないだろう?」と翁は続け。「自分たちは未来永劫幸福な国にあると信じていた市民には申し訳ない話だが、横暴を振るう輩はいる。どの世界線においても、その危険性は有り余るに等しい」と締めくくり。
「そんな。わたくしは誰もが幸せになれる世界があると信じていて――」
「このガノッサめがのたまおう。そんな世界は絶対に来ない」
すがるような目を背広組トップのゲイリーに向けた、メル。
「私は特に冷静であるべき、なかば非軍人的であるわけですが、阿呆みたいな力の行使にはこれでもと言えるくらい抗いますよ」ゲイリーはきっぱりと言いきった。
「明日明後日にも、我が軍、まずは、屈強な、魔法小隊が踏み入ります。……それでも?」
「迎え撃つ準備は万端だと言ったんだよ」
「ミスター・ガノッサ――」
「我が国の意地だ。たとえそれが最後の徒花になるとしても」
「……帰ります」と、メル。
「ああ、そうだ、とっとと帰れ。帰ってしまえ」と高笑いのガノッサ。
デモンはすっと立ち上がり、先方のアテンドのニンゲンに続くメルの隣に並んだ。
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翌朝、皇帝陛下との謁見を終えたメルティーナが、城内にある自身の私室に帰ってきた。昨日からこっち、まるで冴えない顔を続けている。このたびも思わしい文言が得られなかったのだろう。それどころか問うてみたところ、「すべて燃やし尽くせ、と……」などと――。
「皇帝陛下が、そう?」
「はい。もはやその方向で、主にファラオ兄様は動いている、と……」
「おまえの涙ぐましい努力などおかまいなし、もっと言えばその行動はお笑い種でしかないということだ」
デモンは笑い飛ばしてやったわけである。
するとメルティーナは目にじわりと涙を浮かべたが――そんなの知ったこっちゃない。
「問題は、おまえがどう動くかだけだ。わたしの雇い主はおまえだからな。おまえの意向に沿うだけさ」
「ファラオ兄様にお会いするしかありません」
「まあ、だろうな」
「この国に戦争を思いとどまらせることができるのは、もはやお兄様だけです」
「イイ男なのかね。お噂はかねがね、といった感じではあるが」
「ファラオ兄様ほど卓越した男性は他にいません」
どことなく自慢げに言ったように見せたのは気のせいではないのだろう。
兄に期待しているのだ、メルティーナは、期待するしかないとも言うか――。
はて実際のところ、奴さんはどんな人物なのかね――。
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特にノックをすることもなく、気持ち良く潔く、ファラオ兄様とやらの居室に乗り込んだメルティーナである。予想どおり目当ての人物は目をにわかに大きくしたものだが、すぐに態度をニュアンスを、柔和なものにした。歴史を刻んだ感が大いにあるテカテカした木製の机の向こうで微笑んだのである。肩までの金髪にグリーンアイ。純白の貴族衣装。「メルやないか。どないかしたか?」とキツい訛りで述べくさった表情も柔らかいの一言、邪さが見え隠れするあたりが本来の人間性なのだろうか。
「お兄様、シビュラのことについて、わたくしにも何かできることはないでしょうか?」
うん。
なんとも気持ちのいい、清々しい物言い、申し出である。
ファラオはいよいよいよいよ笑みを深めた。
「事が知れれば、おまえんことや、なんや寄越すやろうおもてた。せやさかい、こっそり推し進めてきたんやけどな」
「お兄様は意地悪です」
「おまえんことがかわいいさかいの言い分や。許したれや」
ファラオは笑うわけだが、目は笑っていない。
値踏みするような目線を「彼女」に寄越してきたのである。
「あんたか。お初やな、デモンさん」
「天下の皇国の第一皇子殿。わたしごときをご存じだとは驚きだな――いや、驚きです」
恭しく頭を垂れて見せてやる。顔を上げると、細い切れ長の目をさらに糸にして、ファラオはデモンのことを見ていた。助平のニュアンスはない。まるで隙の感じられないたたずまいが凛と構えているだけだった。
ファラオは立ち上がると、あらためてメルに目を向けた。
「話ぃ聞いたる準備はある。せやけど、それは今のほうがええか?」
いいえ。
そう応えつつ、メルは首を横に振った。
「メル、つくづくや、悲しそうにすなや」ファラオはやむなくといった感じで微笑した。「おまえの動きはよう知ってる。先方の、しかも現場で仕事してる連中んとこ訪ねたんやってな。無意味やとは言わん。せやけど、無価値や」と続けた。
「多かれ少なかれヒトは死ぬ。そういうもんやろ? そういうもんなんや」
「わたくしはそれをなくしたいんです」
「皇帝陛下にでもなったろうっていうんか?」
「時がわたくしにその役割を望むのであれば」
メルはくるりと身を翻し、「行きましょう」とデモンに告げた。
二人して退室する折、後ろから声。
「世の中のニンゲンの全部が幸せになることはできへんねんぞ」
メルは何も答えなかったが、悔しげに唇を噛む様子は想像に難くなかった。
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城内――メルの私室。
デモンはロッキングチェアの上、メルはベッドの端に腰掛け。
部屋の中は暗い。
「また一つ、我らが皇国の植民エリアが増えるだけだ。どうしてそうだと割り切れんかね?」
「ほんとうにそんなふうに、安っぽく短絡的にお考えなのですか?」
「ジョークだよ。いたずらに怒られようだなんて考えていないからな」
どうすれば、すべてを改善できるのでしょうか……。
――まったく、メルはイイヒト然としすぎているな。
「プライオリティだ」
「優先順位の問題だ、と?」
「ああ。たとえばわたしはなにより自らがかわいいものだから――」
「しかし、それでは――」
「おまえが救いたいのは誰なんだ? 言ってみろ。その定義によって、事はずいぶんと変化変色する」
そんなのわかりきっているはずなのに、メルはすぐには答えなかった。
「明日の夕方にも、先方への攻撃が始まると、お兄様は……」
「それで?」
「デモン、あなたはそれにまざりたいのですか?」
「おまえの隣にただいるよりは楽しいだろう」
「そんな理由で?」
「そんな理由さ」
デモンは高らかに笑い、するとメルは「話し合いの余地は、もうないのですね」と残念そうに言った。
「また皇国の勝利だよ。喜ぶといい。世の大勢には、およその変化もないんだからな」
「また力ずくの支配が始まるというだけです」
「定義の問題だ。それを平和と呼ぶニンゲンもいるんだよ」
わたくしは!
わたくしはそんなの認めません……っ!!
――と、幾分、否、かなり強い調子の言葉が返ってきた。
それなりに高い声だったものだから、デモンはつい目を見開いてしまった。
――それから、にぃと目を細め。
デモンは自身に偵察の任を与えることを提案した。
メルティーナの厳しい表情に変化はない。
「信じます、あなたのことを、デモン」
「まあわたしはおまえのことが嫌いではないからな。いい結果が出るといいな」
メルが立ち上がった。
立ち上がって、歩み、デモンの前まできた。
メルはデモンが持ち上げた両手に両手を添え、大きな瞳に涙すら浮かべたのである。